6-19 みんな俺と同じ思いを味わえばいいと思った
セレーラさんは俺に気づいたが、歌は途切れなかった。
部屋に入った俺は静かに扉を閉めて、耳を傾けることにした。
昼に鼻歌で歌っていた明るい曲とはまるで違い、スローテンポでしっとりとした曲だ。
やがて歌は終わり、小さな手で鳴らす拍手が響いた。
「前向きな気分になれるような、素敵な曲ですね」
なぜかセレーラさんは、目をパチクリさせて驚きを表現している。
「なにか?」
「いえ、私もそういうふうに思いますけれど……そう言った人は初めてだったので。今まで聞いた人は皆、物悲しい曲だと」
「なるほど。それもわからなくはないですね」
たしかに全体的には哀愁漂うメロディーだった。でも俺としてはその中に、前を向く力強さも感じたのだ。
たとえて言うなら……卒業ソングみたいな感じか。
別れと出合いの歌詞でも乗せたら、大ヒットしそうな気がする。
「なんて曲なんです?」
セレーラさんが、ゆるゆると首を振る。
「わかりませんわ。私が本当に幼いころ聞いて、耳に残っていた曲で……たぶん、母が歌っていたのだと。不思議なものですわね。母はおろか、父の顔すらもう
セレーラさんは、エルフである母親のことはほぼ記憶にないそうだ。
子供のころに人間である父親に連れられて旅をしてきたのは覚えているらしいが、リースの街の近くで父親は亡くなってしまった。
そのときの記憶はあやふやなようだが、おそらく魔物にでもやられたのだろう。
隠れているように言われ、時間が経ってから出ていったら、父親は虫の息で倒れていたらしい。
そこを通りがかったどこかの冒険者かなにかが、リースまで連れてきてくれたとのことだ。
「でもこの曲を歌うと、心が落ち着きますの。つらいときも悲しいときも……緊張しているときも」
「そうなんですね」
緊張か……ここにいるということは、そういうことなのだろう。
意を決し、スリッパを脱いでベッドに乗る。
向かい合って座ると、セレーラさんも姿勢を正した。
「セレーラさん、これが不本意な道筋だったことはわかっています。僕があなたの道を捻じ曲げてしまった。でも、それでもどうか僕と──」
「私──」
共に歩んで欲しいと改めて伝えようとした俺を、また前みたいにセレーラさんがさえぎる。
風呂に入ってほとんど縦ロールが解けたウェービーな髪を、クルクルと指先でもてあそんでいた。
「私……あなたに謝らなければいけませんの」
「もしかしてまたフラれるんですか!?」
「そうじゃなくて!」
ビビった……ここまできてフラれたらどうしようかと。
「その、実は、このあいだお断りしたとき……ウソをつきましたの」
「というと?」
「あのときはこの街が心配だと、そう言い訳してお断りしましたけど……いえ、心配なのは本当ですわ。でも、私などがいなくてもこの街は大丈夫ですし、それよりはあなたと共に行きたい気持ちのほうがずっと強かったんですの」
そう言ってもらえるのはうれしいのだが、この街におけるセレーラさんの重要度というのは決して低くないと思う。
役職的にも重要なポジションだが、それだけではない。
ダイバーズギルドと侯爵、それとその他の冒険者ギルドの関わり合いの中で、セレーラさんは
だからといって、セレーラさんに来てくれる気があるなら遠慮などしないが。
「そうだったんですか……ではなぜ断ったのでしょうか?」
気まずそうに笑ってから、セレーラさんはキッパリと言い切った。
「意地ですわ」
なるほど、意地か。
「…………わかりません!」
「だ、だって悔しいじゃありません!? 出会ってからずっと振り回されて、あなたの手の平で転がされて、最後まで思うようにされるなんて! ちょっとくらいあなたが悔しがる顔を見たいと思ってもいいじゃありませんの!」
「わかりました、わかりましたから触手は引っ込めましょうか」
恥ずかしさで顔が真っ赤になるほど興奮していて、触手も四本ほど伸び出てしまっている。
ややあって、ようやく全部引っ込んだ。
「ええと……ではそんな理由で何年も棒に振ろうと?」
「エルフでしたもの」
「たしかに寿命は長いでしょうけど……」
「だからあのとき言ったじゃありませんの。私は意地っ張りで馬鹿な女だって。絶対にあとで後悔すると自分でもわかっていたのに。というか断りながら後悔してましたもの。めんどくさい女でしょう?」
吹っ切れたというか、むしろ怒ってるくらいのテンションでまくし立ててくるセレーラさんだったが、そこで少し落ち着いた。
「だからトゥバイに斬られたとき……神様のバチが当たったのだと思いましたわ」
「いやいや、神様はそんなことしませんよ」
少なくとも俺の知る
「ふふ、そうですわね、やり直すチャンスをくれただけですわね。馬鹿な意地を張るのはやめろって。あきらめて素直になれって」
右手をついて身を乗り出したセレーラさんの左手が伸び、俺のほほに優しく触れる。
新芽のように鮮やかな
そしてはき出したのは、なんの飾りも駆け引きもない、澄んだ想い。
「あなたが好き」
微笑をたたえたまま近づいた唇が俺の唇に重なり、すぐに離れた。
「ちゃんとこの言葉を伝えないままでは、死んでも死にきれませんでしたわ……ほんとに、ずいぶん遠回りをしてしまいましたわね」
一緒に歩んでくれるというのだから、好きでいてくれているのだとは理解していた。
それでも、はっきりと想いを聞けたのはやっぱりとてもとても格別だった。
俺も想いを伝えようと思ったのに、今になって恥ずかしくなったのか、またまくし立てられてしまった。
「いっ、言っておきますけれど、めんどくさい女だからって今さらいらないなどとは言わせませんわっ。是が非でも、問答無用でもらっていただきますから!」
あのね、こっちとしてはそんなこと言われても、
「望むところですよ! 僕のほうがセレーラさんを好きなんですよ!」
という答えしかもっていないんだけど。
そしたら引き寄せられ、もうぶちゅーっと表現するしかない感じで、思い切り。
──俺にはわからない。
前に断った理由が本当に話したとおりなのかどうか、俺にはわからない。
俺が気に病まないように、そう言ってくれているだけなのかもしれない。
きっと永遠にわからない。
それでもいい。
呼吸もままならないほどの、気持ちごとぶつかってくるようなこの口づけは、間違いなく本物なのだから。
たとえ捻じ曲げてしまった道だろうと、セレーラさんに笑って歩んでもらう。
そのためには苦い思いも全部飲み込んで、目一杯やっていく以外にないのだ。
出てきた触手に絡みつかれながらの、長い口づけが終わった。
あふれる思いが言葉にならず、瞳を潤ませたセレーラさんと至近距離で見つめ合う。
二連の泣きボクロがとても色っぽい。
やはり泣きボクロは、ヨダレボクロ(口もとのホクロを俺はそう呼んでいる)と甲乙つけがたい無敵さを誇っている。
そういえば、ヨダレボクロのあの人はどうしているのかな……。
昔のことが頭に浮かんだら、セレーラさんにホッペをはさみ潰された。
「もうっ。二人のことでも考えていたのでしょう」
「いへ、違うんでひゅ。初恋の人のことを思い出していまひた」
「なお悪いですわ!」
そう言って、罰のように唇を奪われる。
「んっ……今は私だけを見てくださいませ」
「……はい」
たしかに失礼なことをしてしまった。素直に反省だ。
それにしても、感無量である。
ついに……ついにセレーラさんと結ばれるときがきた。
「セレーラさん……」
望みどおりセレーラさんだけを見て、その全てをこの目に焼きつけるのだ。
そう思って押し倒す寸前、俺の胸に手を当て、セレーラさんが押しとどめた。
「セラですわ」
「セラ?」
「さっき父の話が出たときに、思い出が蘇りましたの。父は私をそう呼んでいましたわ……いつも優しく、とても大切そうに」
「そうなんですか……ではセレーラさん、そろそろ」
「だ・か・ら!」
今度はショタホッペが両手でびろ~んと引っ張られる。いきなりどしたのぉ?
「なんでそういうところは鈍いんですの! そう呼べと言ってますのにっ」
「えー、わかりませんよ……」
「わかりなさい。あとそれも禁止ですわ。ニケさんやルクレツィアさんと同じように話してくださいませ」
「そうやってはっきり言ってくれればわかります。じゃなくてわかった、セラ……なんかむずがゆいですね」
セレーラさんもそうなのか、俺と額を合わせてくすぐったそうに笑う。
ずっと敬語だったからな……じきに慣れるのだろうけど。
「それじゃあセラ──」
「それともう一つ」
「まだあるの……」
「その、あれが気になりますの」
「あれとは?」
「ですから、あの…………声がですわ」
ああ、なるほど。
今も内容まではわからないが、ときおりニケとルチアが話している声が聞こえてくるくらいだ。
ニケいわく、安全のために俺がどこにいるか常に把握しておきたいとのことでそうなっている。
でも俺専用の防音皆無のトイレまで設置させられているのはどうなんだろうか。
ともあれセレーラさんが気になるというなら、今晩くらいはいいだろう。
むむんと念じて、防音設定を変えた。
「これで大丈夫、聞こえない」
「もうですか? 便利なものですわね」
「それじゃあセラ──」
「あと、最後に」
………………さっきもう一つって言ったじゃない! どこまで焦らすのぉ!
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