第2話 神様?

「……ゆ。……ふゆ。――真冬!起・き・て!遅刻しちゃうよ」


 どこからか僕の名前を呼ぶ声が徐々に明瞭になりながら聞こえてきて、まだ言うことを聞いてくれないまぶたを強引にこじ開けると天使――もといさくらが制服姿でいた。


「……あ!おはよー、さくら」


 こちらも未だに手綱が取れない脳を無理矢理フル回転させた結果、まずは挨拶が重要だということに着地したので、自分でも分かるほど間の抜けた声で朝の挨拶をしてみた。

 挨拶をされたら挨拶で返す、という決まりを教わってきたので、普通に挨拶が返ってくると思っていたのだが、目の前で腕組みをしながらお冠のさくらから返って来たのは、ニワトリもどこかに飛んでいってしまうようなほど大きな怒号だった。


「あ!おはよー、さくら。――じゃなくて!早く支度してーー!!」




「間に合ったー……真冬の所為でギリギリになっちゃったじゃん!」


 この世のどの目覚ましの方法よりも確実に起きてしまうさくらの怒号に当てられた僕は、寝起きでスロースターターな思考を置いていく早さで、さくらの逆鱗で真っ青になった顔を洗い、さくらが用意してくれていた朝ご飯をかき込み、さくらと一緒に大慌てで学校に向かい、既に学校の上履きに履き替え終わっているさくらの隣で、今にも倒れてしまいそうなほど息を切らしている今に至っている。


 隣で平然としているさくらはさすがSクラスと言うべきか、全力疾走を学校までの道のり――約10分ほどしてもなおまだまだ息に余裕があるのだが、一般的に体力が女の子よりも上回ると言われている男である僕は息も絶え絶えで、登校したばかりだというのにすでに疲労困憊だ。


「ご、ごめんね」


 今日は夏休み前日ということで、例年通りの日本の夏の気候に沿い、気温も湿度もものすごく高く、不快指数もさることながら、じめじめと纏わり付いてくる空気が疲労に拍車を掛けているのだろう。


 そしてその暑さの所為かおかげか、さくらの髪型は髪を後ろでまとめて縛る――俗に言うポニーテールにしていて、うなじを少しだけ覗かせるその姿は少し色っぽく、疲労も呼吸も忘れるほど目が釘付けになってしまう。


「さっきから何見てるの……?もしかして何か付いてる?」


「あ……いや……なんでもないよ」


 さくらは僕の視線に気が付いたが、幸い身体の何処を見ているのかまでは分からなかったようで、僕は少しだけホッとした気持ちになった。

 それにしても女の子は何故、こうも視線に敏感なのかが分からない。



 そんなこんなでさくらと別れ、自分の在籍しているクラスの教室に入ると、いじめっ子3人衆が揃いも揃って射殺さんとするような目つきで、僕を睨んできた。

 その訳は大体予想が付く。昨日、日常生活で溜まっていたストレスをいつも通り僕にぶつけて消化していたが、さくらに途中で邪魔されたことによってストレスが消化不良のフラストレーションとなった。そして、時が経つにつれて黒い感情は増加し、いつの間にかドロドロのヘドロとなって、奴らの腹の底に溢れるほど溜まっているからであろう。


 でも、あいつらがどれ程のストレスを抱えようとも被害者である僕には全くもって関係ない。理由が何であれいじめ――いや暴行をして良い道理がないからだ。

 それでも、今日さえ乗り越えて家に帰ってしまえば、明日からは1ヶ月強の間夏休みに入るのでいじめられなくて済む。そう思うだけで心がスッと軽くなるのを感じた。


 ――そこで普通の学生ならば手放しで喜ぶはずの長期休みという存在よりも、いじめられるか、いじめられないか、その2つに重きを置くことが、真冬が今までどれほど壮絶な学校生活を送ってきたかの決定的な証左となるだろう。そしてその学校生活をまだ続けていられるのは偏にさくらのおかげだし、それがどれほどの救いになっているかは推して知るべしだろう。



「明日から夏休みです。高校生として自覚を――」


 校長先生の話がこんなにも長いのは古今東西において、学生の共通理解だと思う。しかも毎回似たりよったりの内容なので、聞いている身としては耳にタコが出来そうだ。



 しばらく長い長いご高説が続き、あと少ししたら貧血で倒れる人が出るんじゃないかな、と考えていたところ、ちょうどよく集会が終わり、今は夏休み前最後のHRをしている。


「じゃあ夏休み明けに全員揃うことを願っています。――あ、一人を除いてなー」


 クラスの全員が示しを合わせたかのようにこっちを向き、顔に癖でも付いてるのではと思うほどごくごく自然に、下卑た笑いと共に嘲りの眼差しを送ってくる。

 僕としては、このクラスの皆とも1ヶ月以上会わないと思うと謎の感動もひとしおで、慣れに慣れた侮辱の限りもそんな感慨の中ではそよ風のようだ。


「では、さようなら」



 早くさくらと一緒に帰ろう。

 

 いつもはいじめられている現場に迎えに来てくれていたのだが、今回は僕の方からいじめっ子に見つからないようにこそこそと隠れながらさくらが居るであろうSクラスの教室まで行くことにした。

 そして3クラス分の廊下を歩き、Sクラスの教室の後ろで佇んでいるさくらを見つけると、一直線に近づいていき声をかけた。


「さくら、一緒に帰ろう」


「は……けな……」


 さくらが小声で何かを呟いた。その声は音としては僕の耳に届いたのだが、内容のある言葉としては余りに弱々しく耳朶を打つまでに至らなかった。


「……ん?なに?」


「話かけないで!!」


 僕が聞き返し、それに対して返ってきた声は先ほどの音の比では無いほどはっきりとした言葉で、拒絶の意が込められていることを一瞬にして理解した。が、僕の耳が、鼓膜が、更には脳までもがその言葉の理解を頑なに拒んだ。


 その結果口から出たのは、言葉でも音でも無い純粋な疑問の気持ち、そのものだった。


「――え?」


 しばらく呆然とするしか他なく、気がついた時に最初に入ってきた情報は、さくらが目に涙をためながら走っていった。ただそれだけだった。



 家に向かい、目的地に着き、鍵を開け、扉を開け、鍵を閉める。


 あれから何があったかほとんど覚えていない。

 しかし、1つだけ覚えていることがあった。それはさくらに明らかに避けられたことだ。そのことだけは脳裏に焼き付いているかのように鮮明に、心に刻まれているかのように克明に、覚えていた。


 ――何かしたんだろうか。何かあったんだろうか。何か……、何か……。

 朝は普通に話して登校したのに、その間に何か……。


 僕はひたすら思考を回転させたが、一向に答えなど出やしなかった。答えの出ない自問自答を繰り返した後、ただ1つだけ嫌になるほど理解していることがあった。さくらに嫌われたこと、だけだ。

 

 その理解はどこにも反論する余地などなく、今までの事を考えてみれば1+1が2になるように当たり前の結果だった。当然の帰結と信じてもいない神様に突きつけられても納得出来るほどに。


 ――僕は何も出来ないし、何もやろうともしない。殻に引きこもれば心の痛みも、身体の痛みも全てが軽減される気がして、ずっと守ってくれる殻のような存在のさくらに寄りかかっていた。

 そして、何よりそんな自分に一番依存していたんだ。理由が無いのに暴力を振るわれるほど可哀想で、理不尽を追い払える力のない非力で、その2つを兼ね備えた本来は助けられるべき存在の自分に。


 殻であるさくらと、空である僕に依存していたツケが今になって総加算で回ってきたのだ。平気だって無視してきた痛み、こんなはずじゃないと見ないふりをしてきた現実、その罪が今の自分に課せられた罰で帳尻を合わせないといけない。

 

 そんなことを考えているときにふと脳裏に一番楽で、甘美で、最良の考えが過ぎった。


 ――死んでしまえば良い、と。


 自分がこの世からいなくなってしまえば、こんなどうしようもない自分をどうすることもできない自分が見なくて済むし、他者にも無様な自分を晒さなくて済む。

 何よりマイナスになってしまった物に0を掛けてしまえば、元通りになる。


 最後にさくらのことは気がかりだけど、僕がいなくてもあの娘ならきっと幸せになれるから……僕は、死の――


「君は自分を変えたくはないか?」


 死のう。と決心する直前に何の前触れも無く、目の前から声が降ってきた。

 その声は僕を抱くような、慈しむような感情が多分に含まれていて、一度気を許してしまえば止めどなく涙が出てきそうなほど優しかった。


「――わっ!え!?だ、誰?鍵はかけたのにどうやって入ったの!?」


 つい先程まで死のうと思っていた自分だったが、目の前から聞こえた声に咄嗟に反応して口から出た言葉は、家のセキュリティーの有無についてだった。

 こうも簡単に死に踏み切るという一大決心を、侵入者がどうやって家の中に入ったかで覆されるとは我ながら呆れていた。


「僕?僕は……神、かな。どうやって入ったかは神だからね。そこはどうにでもなるよ」


 その声をよくよく聞けば、少年のようにも少女のようにも、さては若い男の人にも妙齢の女の人にも聞こえ、変な薄気味悪さを抱いた。

 だがそれよりも不気味なのは、存在感の発現だ。こうして言葉を交わすまで一切の音も気配も息遣いでさえ一つも立てずに近づくのは、人間であれば不可能としか言いようが無いだろう。


「音も気配もしなかったのに……」


「そこも神だから……。信じてくれるかな?」


「あ……はい」


 暗闇の中目を凝らしてよく見てみると、目の前には白くぼんやりとした人型の何かが存在していた。

 それはひどく薄々としていたが、存在感が人のそれとは明らかに違っていたので、神様と言われても疑うこと無く信じることができた。いや、信じ込まされたという方が正しいのだろうか。


「そうか、よかった。で、質問の返答が聞きたいのだけど」


 神様は僕が信じたという返事をするのを確認すると一瞬微笑んだような動向を見せ、最初の質問の答えを促してきた。


 それに対する答えはもちろん、はい、だ。こんな自分を見るなら、見せるぐらいなら死んだ方がマシとまで考えたんだ。


 それなら答えはもう――


「僕は、幼馴染に助けられてばかりの自分を変えたいです!」


「じゃあそんな君を異世界に行けるようにしてあげるよ。あ、もちろん行き来出来るようにはするよ」


 僕の、僕による、僕のための魂の誓いは、急に目の前に現れた神様の空気ほどに軽い言葉であっさりと返された。


「異世界?そんなことが本当にできるんですか?」


 いくら神様といっても、読んだことがあるラノベでは、リソースや世界の掟とやらの関係で異世界に行く方法は、死んでから転生という形か、強制的に連れて行く、の2つが主流なので、専ら半信半疑にしかならない。しかも、往き来出来るとは見たことも聞いたことも無い。


「出来るよ。しつこいようだけど、神だからね。その世界は君たちの言葉で言うと、剣と魔法の世界って感じかな。君はそこで好きにしてもらって構わない」


「それだと神様に何のメリットがあるんですか?」


「メリットか。んー……それは後でわかるよ」


「そうですか」


 あとで、という言い回しに少し思うところがあったが、文字通り命の恩人なので気にしないことにした。そうして異世界のことについてやりとりしていく内に気付いたのだが、もう死ぬ、という選択肢は頭の中から跡形も無く消えていた。ひとえに神様のおかげなのだろう。


「まず君に能力向上ステータスアップのスキルをあげよう。こっちの人のステータスだと、向こうにいるちょっと強い人には逆立ちしても勝てないからね。僕も見知った人がそこらで野垂れ死ぬってのは夢見が悪いからね」


「ありがとうございます」


「あとそれだけだと心許ないと思うから、僕からプレゼントを2つほどあげるよ。まず、この指輪を……きっと良いことがあるよ。それと手を出して」


 渡された指輪は至ってシンプルで、何の変哲も無いプラチナリングだ。敢えて変わっているところをあげるなら、神様に貰った物ということだけだ。


「はい」


 僕が手を出すと、神様は僕の手に手を重ねた。

 そして神様の手が淡く光り、何やら熱いものが僕の手を通して全身を巡るように大量に流れてきた。そして、全身が冴えているという淡くぼんやりとした感覚が全身を占めていた。


「これで能力向上ステータスアップと2つ目のプレゼント、ナビゲータースキルを君に送ったよ」


「ナビゲータースキル?」


「それは向こうに行けばわかるよ。じゃあ最後にこっちから向こうに行ける、あるいは向こうからこっちに来れるゲートの呪文を教えるね」


「――――」


「手の平を前に出して異世界への門ワールドゲートって唱えて」


 世界を超越する魔法は、普通の人には到底無理な高等魔法だって以前読んだことがあるのだが、この魔法は違うのかなと疑問に思ったが、こんなに簡単に覚えられるんだからそんなことは無いだろう、と頭の中でその疑問を一蹴した。


「分かりました。では早速行ってみます」


異世界への門ワールドゲート


 手を前に出し教えられた呪文を唱えると、目の前には人がちょうど1人通れる大きさの、陽炎のようなボヤボヤと歪んでいる空間が現れた。


 壁に掛かっている時計を見ると、時刻は深夜0時。今から行くには遅い気がして少しだけ尻込みをしていると、


「あ、言い忘れてたけど、向こうとこっちはちょうど昼夜逆転してるから、ちょうど良い時間だと思うよ。それじゃあ、君の人生に幸あることを願うよ」


 神様は最後に僕の幸せを願う言葉を残してくれ、ボヤボヤとした白い何か――神様が、ちょうど水蒸気が周りの空気に馴染むようにして一瞬にして消えていった。


「ありがとうございます」


 神様が消えた場所に向かって”行ってきます”の意も含めてお礼を言った後――スクールカースト最底辺の僕は幼馴染に助けられてばかりの自分を変えるべく、その足で異世界へと通じるゲートをくぐり抜けた。

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