第119話 死

 ステータスを整理し終わり、飛ばされた勢いも無くなりつつあったので、反撃に出ようかと思った矢先、もうどのくらい離れているのかさえも分からないような点が突如として消えた。


「――――!?」


 そして点が消えたのと同時に、死への恐怖が再度鎌首かまくびをもたげていた。


「息程度でこれほどまで飛ぶとは……軟弱め」


 まるで耳のすぐそばで囁かれたのかと思うぐらい明瞭に聞こえた声に、”ボク”は全力で臨戦態勢を整えようとするも、軽く腹部を押された感覚がした瞬間、再度弾かれたようにはるか後方へと飛ばされた。


 そして飛ばされてから数瞬後、押された腹部が遅れて衝撃を認識した。


「――――ウッ!」


 ”ボク”の腹部を穿った衝撃は、内蔵や骨を一切も傷つけること無く、腹部から背中まで刹那も経たないうちに後方へと抜けていった。


 背骨だけを直接掴まれ後ろへと引っ張られているかのように、くの字になりながら飛ばされていると、またもや身体中が底冷えするような途轍もない恐怖が襲ってきた。


「そなたからして先ほどの者たちは大事か?」


 普通では考えられない速度で飛ばされているのにも関わらず、その状態を作った本人はまるで”ボク”が制止しているのではと錯覚するほどぴったりと目の前に付いてきており、そのためその問いは素直に耳に入ってきた。しかしその問いに答えられる状況ではない”ボク”は、歯を食いしばりひたすら身体が動かせるほどまでに慣性が弱まるのを待つしかなかった。


「――――!?」


 異変を感じたのはその時だった。言葉を発せない状況に加え、1度目の飛ばされた時と今回のダメージの所為でまともに思考することもままならない極限状態で、頭の中の記憶を選り好んでごっそり持ってかれるような、味わったことのない奇妙な感覚に襲われた。


「そうか、なるほど」


「な、にを……」


「言ったではないか、話しをしようと。我は心を読むことが出来る。それ故、我の質問がそなたの耳に入ればそなたは質問に答えたも同然」


 ――記憶のつまみ食い、まさしくそんな言葉が一番合うのではないだろうか。


 記憶とは、単に脳に保存された情報の集合体に過ぎない。しかし、その情報を他人にどれほど懇切丁寧に話そうが、その時の風景、色、匂い、感情、それらを余すことなく全てを伝えることは決して出来ない。いわば記憶とはどんな物よりも自分だけの物で、今の自分を形作る重要な情報だ。心の宝物と言っても差し支えない。


 それを全くの関係の無いやつに覗き見され、色や匂い、風景だけではなく、自分が思ったその時の感情までも見られることがどれほど不快感を催すものか。


「――――」


 だが、記憶の強奪行為にどれほど不快感を抱こうが、どれほど憎悪ぞうおの炎を燃やそうが、それをぶつけられるほどの力を”ボク”は持っていない。力が全ての世界で”ボク”はこいつよりも圧倒的に弱い。それこそ赤子が大の大人に立ち向かう様なものだ。


「そなたたちはどちらが本物だ?最初の方か?それとも今の方か?」


 弱者は強者に搾取さくしゅされる。その言葉通り強者悪魔からの搾取に、弱者ボクは無言の完全回答をさせられた。


「そうか、そなたは魂が……」


 記憶をむさぼり、咀嚼そしゃくし、飲み込む悪魔は続ける。


「そなたはどうやってこちらの世界にやってきた?」


 おそらく悪魔は奪取だっしゅした”ボク”の記憶のピースを繋ぎ合わせて、”ボク”がこの世界の人間では無いと判断したのだろう。その問いを発し、”ボク”の聴覚がそれを拒むことが出来ず、受け入れた瞬間、目の前の悪魔は存在感、威圧感を息が出来なくなる程まで膨れさせあげ、そして今までに無かった憎悪を、地獄の炎のように可視化できる程までにたぎらせてた。


「そなた、記憶が改竄かいざんされているようじゃがこの我は騙せんぞ」


 頭を過ぎった早く死んで楽になりたいという切実な願いから呼吸を止める。それは目の前数センチの位置に地球ほどの大きさの惑星を真っ二つに割ってもなお、威力を失わないほどの巨大な隕石が存在して、そこで時が止まっているかのような、それほど極限の心境だ。


 死への恐怖や嫌悪は、まだ助かるかも知れないという希望から来ている感情だとすると、この場合、死ぬことはすでに決まっており、どう足掻いても動かしようの無い未来なので、死ぬことへの恐怖や嫌悪は当然無い。


 あるのはただひたすらに、死にたいという願い。早く楽になりたいという望みだけだ。


「そなたはここで始末する。それがこの世界の、平和の為じゃ」


 目の前にいる悪魔のような見た目のしていた巨大な豚は、発している圧をそのままに、いやその何倍にも膨れさせながら、人の形へと変貌を遂げた。見た目は人間のそれとほとんど変わりないが、災厄そのものを表しているような見た目の禍々しい角だけは、その頭部に存在していた。


「塵一つもこの世界に残さん」


 その言葉通り、”ボク”に向けてかざしている両手にはブラックホールもかくやというほどの漆黒の球があり、おそらくそれが少しでも掠りさえすれば、この世の生物という生物全てが分子一つも残らない、そう思うほどまでのエネルギーを感じる物体だった。


「――さらばじゃ」


 僕は喜んで死を受け入れた。

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