第169話 桜と真冬
ウィルとはあれから言葉を一言も交わさず、いつの間にか僕たちは家に着いていた。視界に入った先ほどまではあんなに綺麗で輝いていた月だったが、今は光を漏らさないほど分厚く黒い雲で隠れていた。
「さぁ、到着したよ」
ウィルはこちらを一瞥もせずに僕の手をそっと離し、そのまま何処かに行こうとしていた。そんなウィルの背中に向けて、
「ウィル、絶対にシェイドを取り返そうね」
振り向いたウィルの頭上には、一切の陰りもない綺麗で晴れた月が輝いていた。
ある三人は偶然にも同じ夢を見ていた。
「「「――――」」」
目の前にあるのは非常に綺麗で、そして可愛らしい心惹きつけられるような一本の桜の木。薄いピンク色に輝く桜を引き立たせるのは、その色とは対照的ながらも互いに補い合いながら魅力を高めていく空の色だった。
「「「――――!?」」」
しかし、しばらく浮き世離れした景色に見惚れるていると、綺麗だった桜の薄ピンク色が次第に陰りを帯びてきた。何故かは直ぐに分かった。薄ピンクを映えさせていた空の色が急にどんよりと、モノクロ色に染まってきたからである。
先ほどまでの空の色が、春の優しく包み込んでくれるような温もりのある空だとしたら、今度は反対の、心を突き放し、ズキズキと刺すような冷徹で寒い空。それは丁度季節で言うと真冬のような。
「「「――――」」」
息が白くなってきた事を自覚したと同時に、鎖で縛られているように一切も動かせない身体は寒さから悲鳴を上げ始めた。足先と手先は痛覚が麻痺し初め、動かないはずの身体はまるで自分のではないかのようにブルブルと震える。
しかし、自分の身体がどうなろうともこの際どうでも良かった。
目の前で花を散らせ、枯れていく桜を守りたい気持ちの方がそれを上回っていたから。
「「「…………」」」
寒さから、いやこの寒さをもたらした真冬から、桜を守ろうと必死に手を伸ばそうとする。しかし、身体は言うことをちっとも聞いてくれなかった。
鎖で縛られているような
比喩ではなく、足下から氷が徐々に張っていく。それは徐々に膝、太ももと上に浸食してきて、瞬く間に首から下は完全に氷で飲み込まれた。
「「「…………」」」
頭までも氷に包まれる恐怖は、感じなかった。それよりもただただ桜を守りたい。それだけだった。しかし、無慈悲にも突然襲ってきた真冬の寒さは、桜の花を完全に散らせ、それを見届けることしか出来なかった自分たちを凍りづけにした。
――そして自分を包む氷が割れるのと同時に、世界が割れた。
「「「――――ッ!?」」」
窓の外から蝉の鳴く声がうるさいぐらいに室内に入り込む。Tシャツが不快感を催すほどべっとりと身体に張り付いているのは、寝ているときに掻いたと思われる汗の所為だろう。
そして、その汗を掻くこととなった直接の原因は、夏の暑さの所為ではなく、今でもハッキリと覚えている夢の所為だろう。
――桜の木を枯らした真冬の寒さ。
それは何かの暗示のような気がしたため、急いで別の二人にメールを送る。
「さくらちゃんが野郎に何かされているかも、助けに行くぞ」
そんな文面を送ったのと同時に、携帯の着信音が成る。通知を開くと大同小異似たような文面のメールが二通。
俺たちは、さくらちゃんを守るという正義を持って真冬を成敗することにした。
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