第202話 トンネルの先

「シャー!!」


 つい数秒前までこちらを見向きもせずに毛繕いにご執心だったみゃーこも即座に臨戦態勢となり、辺りには緊張感が一気に漂い始めた。そして、僕たちも各々今すぐにでも戦いを始められるように準備をした。


「――――」


 ひとまず心身の準備は整ったので、場の状況を掴もうと周りを見渡すとあることに気が付いた。鬼の後ろを起点に左右へと広がっていた砂煙は、ある一箇所、つまり大鬼から見て僕たちの背中側へと広がっていたのだ。


「まさか僕たち囲まれてる……!」


「さっきもこんな感じだった、気付いたら出てきてて囲まれていたの」


 その言葉はおそらく、僕たちがこの階層に到着した少し後、リリスさんの元へと最初に駆けつけた時も含めての話なのだろう。実際、その時もリリスさんは魔物に四方を完全に囲まれていたのは、まだ記憶に新しい。


「多分この階層はずっとこんな感じだと思います。ひとまず退路を確保して、ここから出ましょう」


 ダンジョンの異常の所為かどうかは判明しないが、現時点の状況から考えるにおそらくこの階層は特殊であり、魔物が従来の壁からではなく地面から、そして冒険者を狙ったかのようにピンポイントで大量の魔物がポップする様な、休む暇も与えてくれない過酷な階層だと推測できる。


「出口はあっち!」


 警戒していたからなのか鬼を倒した今もさくらと憑依を解いていなかったウィルが、さくらの中から出口の方向を教えてくれた。


 その方向は幸いにも、今もそのままの残骸が残っている大鬼の場所とは正反対であり、周囲を囲まれてはいるが全部を相手にする必要は無く、ただ一箇所の魔物達をどうにかすれば、階段へと直行出来るようだった。


「私が先に行く――【剣舞】」


 リリスさんはおもむろに走り始めると、力の奔流を足へと纏わせた。すると、あっという間に遠くの魔物がいる場所へと吹っ飛んでいく。


「リリスちゃんに続くよ――【飛行】」


 ウィルは魔法を唱え、僕たちに移動の術を施してくれた。


「――――」


 大鬼に背を向け、景色が歪むほど全力でリリスさんの後を追いかけて数秒の後、モクモクと果てしなく立ち上る砂煙の元、魔物達が満員電車よりも密度高くひしめく場所へと到着した。


 先に着いていたリリスさんはと言うと、地上を歩く魔物と空を飛ぶ魔物で出来た分厚い壁から少し距離を取り、地面に突き刺した鈍く錆びているエクスカリバーに大鬼を斬った時よりも密度の濃い力を流し始めていた。

 しかし、そうは問屋は卸してくれるはずも無く、リリスさんが剣に力を込め始めたことによって身の危険を察知した魔物達は、形振り構わず一斉にリリスさんに襲いかかる。


「させない!」

【火の玉】

「にゃー!!」


 まるで美術館の絵画のように、周囲の世界とは完全に切り離されているかのようにぴくりとも動かないリリスさんを守るべく、僕たちはリリスさんの前に踊り出て、近付いてきた魔物達を排除しにかかった。


「――――」


 そして間もなく、背中に感じていた灼熱にも思えるリリスさんの力がふっと消えたかのように静寂になったと思いきや、嵐の前の静けさだったようで、刹那の後、息が詰まるような殺気と肌を突き刺す剣気が全てを飲み込まんと荒れ狂いはじめた。


「退いて」


 リリスさんの短い言葉で僕たちは逃げるように後ろへと身を引く。


「――――」


 それを確認したリリスさんは剣を両手で引き抜き頭上まで持ってくると、そこら中で荒れ狂った力を剣へと凝縮し、一気に解放するように振り下ろした。


「――――ッ!!」


 あれほど溢れていた魔物達が歩く音、多種多様な色、筆舌にし難い独特の匂い、ありとあらゆる方向への動き、それら全てが無くなったかのようにリリスさんが振るった剣によって綺麗さっぱり消し飛び、魔物の壁に直径数十メートルの綻びが生じた。


「急いで」


 リリスさんが僕たちよりも先行し、十全に力を溜めたことによって自身が出せる最大の火力で攻撃したおかげで生じた壁の大きな穴は、攻撃を免れた魔物達によってまるで巨大な生き物の様にうごめきながら見る見る内に塞がっていく。


 その中では例え魔物一匹にでも捕まってしまったら、圧倒的な集団で襲いかかられその結果蜂の巣で済めばまだ良い方だと予想される。しかも、タイムリミットとしてはほんの数十秒もあればいとも簡単に塞がってしまう勢いだ。


 だが、この場から逃げたところで大鬼の場所の時点で周囲を完全に囲まれていたため、その場凌ぎさえもならなく、てんで意味が無いだろう。そのため、トンネルのように円筒形に空いた魔物達の隙間に、僕たちは意を決して飛び込む。


「――――」


 リリスさんが空けてくれたトンネルを通り抜けている最中、最初は遠くに感じられ視界の端にギリギリ映っていた魔物達も、時間が経つにつれて明確に僕たちに近付いて来ており、先の方に見える出口らしき光も徐々に狭まっていっている。

 後ろを振り返る余裕などとっくに無いが、もし振り返る余裕があったら僕たちが通ってきた場所は完全に塞がっており、後には引けないことは明確だろう。


「…………」


 先導するリリスさんはこの穴を空けたそばから、僕たちが追いつけない速さで抜けていった。おそらくは抜けた場所が安全かどうか確かめるためなのだろう。しかし、その確認が意味のある物なのか無意味になってしまうのかは、僕たちの生還に掛かっている。


 そこを期待されていると言えば、嬉しいのだがそれ以上にプレッシャーとなって僕たちの襲いかかる。何故なら、僕たちがこのトンネルを抜けきらずに魔物達に捕まった場合、次に狙われるのはあの光の向こうでギリギリまで僕たちを待っているリリスさんなのだから。


「…………」


 僕たちだけで無くトップに名を連ねる冒険者であるリリスさんの命まで背負っているというそんな重圧から、脂汗と冷や汗がない交ぜになり、遙か後ろへと流れていく。


「あと少し……」


 最初に目に入った時よりも目に見えて小さくなっている出口の光、あと少しでそこに辿り着くと思ったその時、


「――――!!」


 視界の右端からパッと飛び込んできた、掠りさえすれば肉を根こそぎ持って行かれるほど鋭利で、魔物の涎でキラリと不気味に光っている象牙色の牙が、穴を抜けるために全速力で飛行している僕の命を掠め取ろうと、首目掛けて迫ってくる。


 その牙は瞬きの間に目と鼻の先まで迫っており、まるで死神に撫でられたように身体全身が粟立つ。


「――――ッ!!」


 徐々にギロチンの如く迫ってくる牙に、手に持っている剣を振るうことが間に合わないと瞬時に判断した僕は、腕を思いっきり振り自分が慣性に従って飛んでいる軌道を強引に逸らすことで、来ている服の襟が一部持って行かれるほど間一髪で回避した。


「わ!」


「きゃ!」


「にゃ!」


 横から飛び出してきた魔物の尖鋭な牙が持つ本来の攻撃力に加えて、ほんの微調整ぐらいしか制御出来ない速さが加わるため、それらの相乗効果によって想像するだけでもぞっとする極大なダメージ、それを避けるために必死で躱した。


 その結果、強引に牙を躱したことで体勢を崩した僕は、ある程度は距離を取っていたものの何かあった際のことを考え適当な距離を保っていたさくらとみゃーこを巻き込みながら、空中で三人で団子のように塊になって、そのまま光に包まれた。


「痛ててて……」


 何回か宙で回転した後、下に叩きつけられたことでバラバラになった僕たちは少しグルグルとした世界の中、ボンヤリとした明かりが広がっている辺りを見渡した。


「……もう大丈夫なの?」


 ぺたんと俗に言う女の子座りをしているさくらは、焦点の定まっていない朧気な瞳で、きょろきょろとしている。


「ギリギリだったにゃ」


 みゃーこは猫だからなのか三半規管が強いようで、もうすっかりと混乱を直していた。


「大丈夫?」


 余りの回転振りに未だ混乱している頭の中、僕たちは順番にリリスさんに手を借りてゆっくりと立ち上がると、まだ距離的に近いとは言えないが、視線の先の方にこの階層への入り口がぽっかりと口を開けていた。


「あと少し、魔物もいるし急がなきゃ!」


「だ、大丈夫……ほら……」


 慌てて入り口に向かおうとするさくらを、リリスさんは弱々しく止めた。そして、僕たちに後ろを振り向かせると、


「……混乱してる、みたい」


 と、統率を失った軍隊のように、バラバラになった各々が動こうとするが、それが裏目に出て反対に動けないといった様子で、数多の魔物達は僕たち以上に混乱の形相であった。


「良かったー……」


 しばらくは混乱が続くであろうあの大量の魔物達を、後ろに背負いながら逃げなくても良い事になったおかげで気を張っていた肩の力を緩め、深くありったけの息を吐くさくら。それを見て僕もようやく一息が吐けると、いつの間にか入っていた力を緩めることが出来た。


「あとは帰るだけだ。でも、気を緩めないで行こう」


 当初の目的であった何事も独りで頑張りすぎてしまうリリスさんと合流すること。


 それを達成したとほぼ同時に、リリスさんの目的であるダンジョンの異常の原因を究明することは、暴食、言い換えれば蠱毒とも言えるそれを用い異常の原因を如実に語った大鬼のおかげで、魔物達が蠱毒によって階層関係なく強化されると判明した。


 その後、通常ではあり得ないほど魔物が大量に発生することも、トンネルを経験して分かったことだ。


 大鬼を倒し、魔物達のトンネルを抜けた僕たちに残されたミッションとしては、それらの情報を無事に冒険者ギルドへと届けるだけとなった。


「そう言えばリリスさん、これ返します」


 リリスさんが大鬼に吹っ飛ばされた時に手から落としてしまった剣を渡そうとした。すると、ふと疑問に思ったことを思い出した。


「ところでリリスさん、それエクスカリバーっていうアーティファクトなんですが、どうして使えてるんですか?」


 気付けば最初から違和感はあった。まず初めは僕たちがこの階層に入ってきて遠くで爆発が起こった後その場所へと移動し始めた時、錆び付いて紙切れ一枚も斬れなさそうなエクスカリバーは僕たちよりも早く爆発が起こった場所、つまりリリスさんの方へと吹き飛ぶように飛んでいった。


 次に驚異的な回復を見せたため大鬼を倒すことは叶わなかったものの、斬ったリリスさんは僕たちの方へと帰る際、他愛無いように地面に突き刺さったエクスカリバ―をあっさりと抜いた。


「――――」


 もっともどちらの現象も、剣の腕として僕を圧倒しているリリスさんがアーティファクトであるエクスカリバーを持つのに相応しいと言えばそれまでなのだが……。


「な、何で使えるかは分からない……でも、私になら使われても良いって言ってる気が、する」


 やはり僕が持つよりもリリスさんに使われる方がアーティファクト級の剣からすれば魅力的ということに他ならなく、例えるなら技術やリーダーシップなど全てを含む能力が低い主将やキャプテンに引っ張られるよりも、それらの能力が高い人に率いられる方が良いという、至極当たり前のことなのだろう。


「――――」


 軽くへこんでいる僕にリリスさんは続けた。


「だけど……まだ若い蕾が芽吹くまでの間だけ、だって」


 そう言ってリリスさんは手中のエクスカリバーを見た。


「それって……」


 リリスさんにどういう意味か聞こうとしたその時、手にあるエクスカリバーが光り出した。


「さっきと同じ――ッ!」


 記憶を探ったリリスさんの焦る声が地響きによる轟音で掻き消される。



 ―――ドン




 ――――――――ドン




 ――――――――――――――ドン





 ―――――――――――――――――――――ドン








「オイオイ、ツレネェージャネェーカ!モウチョットアソボウゼ」








 情報を持って帰らなければいけない僕たちの前に、先ほどよりも一回り、いや二回りも三回りも巨大化し、全身の肌の色も真っ黒となったことで更に禍々しさを増した――大鬼が闇のような深い笑みを浮かべながら、立ちはだかっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る