第174話 作戦
「後悔すんなよ」
再度足を踏み出し、一歩目から全速力で駆け出す。異世界だとしたら駆け出しの冒険者にもは全然通用しないような速さだとは思うが、ここではそれで十分な速さだった。何故なら余裕を噛ましていた奴の顔が驚きで満ちたのが、何よりの証拠だから。
「――――!」
しかし、驚いてはいるものの視線ではしっかりと僕の動きを捉えており、真正面から掛かっても普通に防がれ、挙げ句カウンターをされる恐れが高いと判断したため、間合いに入る直前に身体の力をフッと緩め、乗っていたスピードを殺す。
「――――」
そして、次の瞬間には重力を利用して体勢を地面すれすれまでに落とし、反応速度が比較的に速い腕の範囲から逃げるようにして背後に回る。傍から見れば僕の動きは、明らかに常軌を逸していた事だろう。
「――――!」
しかし、視界に入らない背後に回ったとは言え油断は決して出来ない。駄目押しと言わんばかりに堅牢な背中側からダメージを与えられ、躱すことも防ぐことも困難な右の胸部に向かって無駄な力を抜いた拳を飛ばす。
俺は今までステータスに物を言わせて力で全てを押し切っていた。それで勝ててしまっていたらから。でも、ステータスではおそらく勝っているはずのリリスさんに完膚なきまでに叩きのめされた。
確かに力が極端にあれば、それだけでただ単純に強いだろう。全ての攻撃が当たったら死ぬような必死の一撃だとしたら、ミス一つで命が飛ばされる緊張から敵は自然と身体に力が入り、無駄な力が入った身体では思ったように動かすことが出来なくなる。
そういうのも諸々含めて、力というものは持っているだけで強力な武器となる。
「――――」
しかし、それだとしたら理屈的には僕はリリスさんに勝てた。もしくはあの一戦は相性や不意打ちによる偶々で、僕には勝てるビジョンが見えているはずだ。でも、僕には未だにかすり傷一つ与えられる気がしていない。
その訳は、技術の差があり過ぎるからだ。
単純な力は確かに強力だ、でも攻撃が当たらなければいくらそれが強大であろうと、赤子のパンチの方がダメージはあるだろう。
それに対して技術には様々なものがあり、まずは何が何でも当てる技術、当てることが出来るのならばどこを当てれば良いのか、どのように当てれば良いのか、などなど段階的に発展が出来る。そこが僕には足りなかったのだ。
逆を言えば、すでに力で上回っている僕は、技術を身につければリリスさんを越えることが出来るということだ。
「――――」
しかし当たり前だが、頭では理解しようと一朝一夕で出来るものでも無い。だから今はとりあえず闇雲に力を使っても決して勝てない状況で、僕は策を練り、身体を上手く使い、適切な力を適切に使うようにしているのだ。
そのため予測できない動きで背後に回った布石を始め、利き腕である右腕を上手く動かせない場所に、無駄な力を一切抜いた拳を叩き込もうとしている。そして力を抜いている分今のままではダメージが少ないはずなので、そこは当たる瞬間だけ一気に拳に力を込めることで、瞬発的に最大火力を叩き込む算段だ。
「――――」
拳が背中を捉える、そう確信したとき拳に力を込めた。だが、今まで異世界での単調な攻撃と比べたら圧倒的と言える程までに抜かりないと思われた一撃だったが、その一撃が背中を捉えることはなかった。
「――――!!」
「今のはさすがに焦ったぜ」
リリスさんの攻撃と比べたら、足下にも及ばないほど拙い物だっただろう。しかし、相手はステータスを持った異世界の人ではないし、喧嘩の経験こそあれど戦闘といえる程までの経験はさすがに無いような一般人だ。ここまで策を練ったのだから当たるのは当然だと、そう思っていた。
「何で……」
しかし現実は、半身になった相手によって俺が繰り出した拳は相手の利き手ではない左手で、硬く握り込まれていた。
「勘だな、長年の経験が俺に教えてくれた。ここが危ねーって」
そう言いながら俺の手を握っている手に更に力を入れ圧力を掛けてくる。その一回り大きい手の力は凄まじく、骨が軋み、余りの痛さと急造とは言え練った策が通用しなかったことから、思わず表情が歪む。
「それじゃこれのお返し、だッ!」
止められた拳を握られたまま引かれたため、体勢が前のめりに崩れる。体重が前に移動した俺を見計らって、引いた左手の反動を利用して開いている右手でパンチを繰り出してきた。
「――――!!」
体勢を崩され、前に倒れていく僕に対して迎えに行くように放たれた一撃は、躱すことは出来なかった。
この世の人が生み出したとは思えない膂力を受けた身体は遙か後方へと飛ばされた。しかし、考える間もなかったことから本能の赴くままに咄嗟に開いている左の腕で力を逃がすように動かせたため、それほどのダメージは受けていなかった。
「――――」
異世界での経験から、刃物や魔法など何でもありの戦闘という面では僕に分があると思っていたが、事今回に関しては拳対拳の喧嘩であるため、どうやら相手に分があるようだ。
けれどさっきの咄嗟に行なった防御は相手も想定していなかったらしく、敵ながらあっぱれと言った様子で、
「今のは防がれるとは思って無かったぜ」
相手は不良ということから、只単純に喧嘩の経験が豊富なのだろう。そして、奴はそういう世界では割と有名らしい。しかし、所詮は人同士の拳、格上と言っても人智の範疇だ。
それに対して俺は異世界での戦闘経験、その中には、人智を超越した格上との戦闘もあった。それだけでなく、そんな戦いで打ち勝ってきた。ステータスを下げた今では奴と比べると格下扱いとなってしまうのだろうが、今までのと比べるとその差はちょっとした誤差みたいな物だろう。
「あーもういいや、やめだやめだ」
俺が口に出すと、驚いたような少しがっかりしたような表情を奴は見せた。
「あ?逃げんのか?」
「違う、考えんのをやめんだよ」
頭に出てくる見かけ倒しのはりぼてのような作戦を、長く細い息と一緒に外に吐き出す。その一連の動作によってごちゃごちゃとまとまらない頭の中がすっきりと何もなくなった。そして頭の中にはただ一つ、さくらを助けることだけを考えていた。
「それじゃ行くぜ」
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