第173話 変革

 足音が徐々に遠のいていく。それは実際に奴の姿が離れていっているのもあるが、急所である顎を足で力強く掬い上げられたことによって意識が消えかけているためでもあると思われた。


 ――また負けた。


 次第に薄れゆく景色の中、ただそれだけが何度も何度も何度も頭の中を駆け巡り、反芻していた。


 地球に居た頃の自分と同じ力で勝ってこそ意味があると、変なプライドで、変な意地で挑んでは無残にも負けた。しかし、悔しさよりもむしろ清々しかった、過去の自分はあんなにも弱かったんだと、そして異世界で様々な経験を経た僕はステータスによって比べものにならないぐらい変われたのだと、実感することが出来たから。


「――――」


 さくらの身はきっと大丈夫であろう。余程何かされそうになったらいくら何でもさすがに多少の抵抗はするだろうし、僕の家に居ても異変を察知できたウィルならばその何かの前にさくらを助け出すのなんて朝飯前だろう。


 ――それじゃ駄目だ。


 そして、助け出されたさくらはウィルと一緒に僕を心配してくれるだろう。いや、もしかしたらなんでちゃんと戦わないのか怒られるかな。でも結局はそのあとに傷の治療と心配はしてくれるはず。


 ――それじゃ駄目だ。


 あとは異世界からこっちに帰って来た時にまた何かしてくるようだったら、今度はステータスを下げないで、正真正銘僕の本気の力で奴らを叩きのめせば、もう金輪際僕たちに近付いてくことは無いだろう。


 ――それじゃ駄目だ。


 あとは……あとは……


 ――それじゃ駄目だ。


 頭の中で必死に理由良い訳を探す。自分が許されるべきである正当な良い訳を。


 ――それじゃ駄目だ。


 しかし、僕の何かがそれをさせまいと必死に抵抗してくる。理由を見つける度にそれを真っ向から否定する。


 それじゃ駄目だ、と。


 ふらふらする身体と視界でゆっくりと立ち上がる。


「おい、ちょっと待てよ……まだ終わってねーよ」


 さくらはどんなときであれ僕が虐められていたら助けてくれた。いくら運動神経が良く、頭が良くてもさくらは飽くまでも一般的な女の子の範疇に入っている。そのため高校生となり体格に差が出てきた男女では、女の子であるさくらは火を見るよりも明らかに圧倒的に不利だ。


 それなのにさくらは、いつでも男三人に囲まれている僕の元へ飛んで駆けつけてくれた。本当は怖かったはずだ、喧嘩慣れしている三人を止めに入るのが。この三人が向かってきたらあの頃のさくらは手も足も出ないはずなのだから、怖くないはずがない。


 でもその恐怖心を、弱い心を乗り越えてさくらは強くあり続けた。強い心を保ち続けた。


「あ?まだ寝てなかったのか?」


 奴は心底めんどくさそうにゆっくりとこちらへと向かってくる。その動きはもう僕のことを敵視していないのが見て取れて、油断は少しもしていないが本気で立ち向かう気はとっくに捨てていた。


「大人しくそこで寝てればそれ以上痛い目に遭わなくてのによー。最後に忠告すんぞ、もうお目覚めか?」


 拳を鳴らし俗に言うクラッキングする奴の威圧は、ステータスが下がったせいもあると思うが、異世界でもトップクラスの圧だった。


「あんまり寝坊するとさくらに怒られるからな」


「冗談は俺を倒してから言え」


 その瞬間空気が変わった。朝方とは思えないほどピリピリとした空気が周囲を包む。


「俺は変わった、もう弱くない」


 ステータスは元に戻していない。けれど先ほどとは違い、力が身体の底から溢れてくるのを感じていた。


「――――」


 何故だかは分からないが、溢れてくる力のおかげで身体がものすごく軽く感じる。それに力を確認するために軽く握り拳を作ってみるも、明らかに前とは違う感覚だった。


 ――もう弱くない。


 その言葉を心に、僕は力を込めた足を踏み出す。


「そんな簡単に変われるわけ――なッ!?」


 足を踏み出した瞬間、景色が慌てて後方に流れていく。そして、あっという間に驚きで目を見開いている奴の懐まで入り込んだ。そのままの勢いでお腹に拳を入れる。


「――――!?」


 ドンという鈍い音を立てて、体重と力のこもった衝撃をもろに受けた奴は数メートル足を引きずり後ずさりした。その後倒れ込むように片膝を地面に着かせ、数回咳きこんでいた。


「これで大人しくさくらを返してくれたら嬉しいんだけど」


 このまま畳み掛けても良かったのだが、それをするという事はあの日のこいつらと同じ卑劣な真似をする事になるので、さすがに憚られた。そのため今の一発で戦意が無くなり、素直にさくらを返すことさえしてくれれば今までのことは全て不問にしようと思っていたのだが、奴は少し血の混じった唾を吐き、唇を歪ませる。


「ハッハッハ、まさか返すわけねぇーだろ。やっとこれで対等に殴り合える奴が出てきたっていうのによ」


 ゆっくりと緩慢とした動作で立ち上がり、掌を上に向けて数回挑発するように指を折り込む。


「さぁもっと楽しませてくれよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る