第172話 救出

 家を飛び出して目と鼻の先にあるさくらの家に近付くと、塀に囲まれた住宅街に起こっている異変にすぐに気が付いた。


「あいつはマジで止めた方が良いって」


「俺らと逃げよ」


「良いから黙って来いよ」


 そこには一人の女の子を男三人がかりで何処かに連れ去ろうとしている光景があった。


「離してよ!!」


 女の子――さくらは声を大きく荒げていたが、その実掴まれている腕には一切力を入れていないように傍からは見えた。しかし、それを見た瞬間、何故力を入れていないのか僕には分かった。


 ――さくらは力を込められないんだ。


 僕とさくらはこの地球上では持ってはいけないと言っても過言ではないほどの力を、異世界のステータスを通して手に入れた。そのため僕たちにとっては何気ないただのデコピンだとしても、地球の普通の人からすれば大袈裟でも何でも無く、ボクサーに殴られたぐらいの衝撃が指が当たった一点に局所的に走ってしまう。


 だから、掴まれてしまった腕を軽く振り払うなどをしようには、振り払われた側は最低でも身体を空に投げ出される程度は免れないだろう。


「――――」


 事情はともあれ結果的に抵抗が一切出来ない一人の女の子を、三人の男が囲んでいるという状況に腹が立ち、その女の子がさくらということが更に僕の怒りを深めた。


 そして、沸き上がる怒りのままに足を踏み出すと、怒りを体現するかのように大きくなった足音で三人の男が僕の存在に気が付いた。


「あれー?真冬くーん、何しに来たのかなー?」


「怪我したくないなら何処かいきなー」


「お前じゃなくて、俺たちはさくらちゃんに用があるんだよ。ほら口で嫌がってるけど、身体は素直らしいし」


 そう言ってリーダー格の奴はさくらの腕を更に引っ張った。その反動でさくらは体勢を崩し、地面に転んでしまった。そして、その隙に口を布で塞がれてしまう。


「さくら!お前ら……」


 一歩一歩足を踏み出し、奴らに近付くごとに怒りが増し募っていく。


「何だよめんどくせーな……また前みたいにやられたいのか!?」


 リーダー格の男がさくらの腕を離すまいとぎゅっと掴みながら、面倒くさ気に軽く首を傾け音を鳴らす。その瞬間、怒りで何も考えられなかった頭が、怒りで踏み出していた足が、冷や水を掛けられそれが凍り付いたように動かなくなった。


 ――恐怖。


 弱者として刷り込まれた本能的がここに来て、意思とは裏腹に意図せずに反応してしまった。


 こいつらよりも大きい奴と戦った。こいつらよりも強い奴と戦った。こいつらよりも怖い奴と戦った。


 しかし、それらは僕が異世界に行ってからの話で、こいつらはこの世界で、僕が弱かった世界で最強の存在なのだ。


「――――」


 今の僕ならバットで思いっきり殴られようが、車に轢かれようが全くの無傷だろう。しかし、頭では分かっているのだが、今まで踏み出してきた足が竦み、嘘のように反対方向に進みたがる。それを抑えることに今は必死だった。


「――――」


 地面に膝をついたさくらを力任せに強引に引っ張り、仲間と一緒に乗ってきたであろう車に乗り込もうとし、僕に向かって、


「ふん、弱者はスッ込んでろ。ほら行くぞ」


 と、唾を吐き捨てるように言った。


「――――」


 優しすぎるが故に相手を傷付ける恐れがある抵抗が出来ないため、今にも連れ去られそうになっているさくらを目にはしているものの、トラウマに掴まれた足はちっとも動いてはくれなかった。


 助けを求め目には涙を溜めているさくらの視線が、僕に向けられる。現状を打破する力が無く、為す術も無く虐げられる者の目だった。そして、それは何時の日か見たことがある物だった。


「――――」


 虐められボコボコにされた後、ふと目にした窓ガラスにボンヤリと映っていた自分の目。さくらが今している目は、それと全く一緒の目だった。


【ステータス・ダウン】


 僕はステータスを任意の値に下げられる魔法を使い、ステータスを大幅に下げる。一般人よりも低い、あの時の自分と同じぐらいまで。


 そして重く、鉛が詰まっているのかと言うほど動きづらい身体で走る。


「おいおい、おっそーー!」


「ハエが止まっちゃうよーー?」


 自分たちに向かって走ってきた僕に気が付いた手下二人は、あの頃と何一つ変わらない下卑た視線で嘲笑する。


 成長がない、僕はそう思った。


「さあいつものようにやりますか」


「スットレス解消♪」


 手下二人は僕のことを敵ではなく、ただの的だと思っているようだった。そのためパンチを繰り出すのもダランとリラックスした体勢からだった。


「ほーらよ!」


 体重も乗っていない、フェイントなどの駆け引きも一切無い、ただの殴りは、ステータスが下がり思ったように身体が動けない僕でさえ、避けるのはいとも容易く、殴りを繰り出してきた右側にしゃがみ避ける。


「な!?」


 僕に避けられたことで驚き一色で顔が染まりながらも喧嘩慣れしているこいつは、すぐさま僕の顔面に向けて、右足で回し蹴りを繰り出してくる。


「――――」


 しかし、それも予想していた僕は足が届くであろう範囲から距離を取ることで、あっさりと避ける。


「二回交わしたのは見事だけどよ、後ろが空いてるぜ!」


 乱闘にも慣れているのだろうか、すかさず二人目の手下が後ろに下がって蹴りを躱した僕に、これ一発で仕留めんと言わんばかりの大振りの右ストレートを放つ。


 普通の喧嘩相手ならばそんな程度のパンチで通用するのだろうが、生憎僕は死線を何回もくぐり抜けてきた。後ろからの攻撃で、しかも素人の力任せなどに当たるはずもない。一瞥もせずに右に身体ごと逸れることで最小の移動で交わす。


「ちょっ、まっ、待て!!」


「危ねー、避けろーー!!」


 あいつにとっては渾身かつ必殺の右ストレートだったため、その勢い余って蹴りを躱され体勢を崩した最初の奴と事故を起こしていた。二人とも凄い勢いでコンクリの地面に頭を打ったので、目覚めるのは当分先の話だろう。


「おいおいおいおい、どういうカラクリだー?あんな弱かったお前が」


 さくらを車に乗せ、リーダーはこちらに向けてゆっくりと歩いてきた。腐ってもリーダーとしての器なのかその表情、佇まいなどさっきの舐めきっていた二人とは違い、僕のことを敵として見ていた。


「さくらを返せ」


「はい、分かりました、返しますよ……とでも言うかと思ったか?お前も男なら力で奪い取ってみるんだなッ!」


 言い切るのと同時に、足を力強く踏み出してきた。予備動作がないくせにその速さは凄まじい物で、あっという間に距離を詰められたため、初手は完全に向こうに取られる形となった。


「――――!」


 相手の右足が上がり始める。蹴りだと予想されるが、高さ的に何処に打ち込んでくるのかが分からない。そのため詰められた距離を離すためにただ後ろに下がることしか出来ない。


「――――ウッ!」


 腹部に重い衝撃が走る。幸い後ろに距離を置こうとしていたため内臓にまで響くことはなかったが、それでも足がふらつくほどのダメージはあった。


「そいつらは雑魚だからなー、もしかしたら俺にも勝てるって思ってたんだろ?」


 腹を抱えて大声で笑う。


「なわけねぇーだろ!」


 また一瞬にも思えるほど僅かな時間で、数メートルを一気に詰めてくる。そして蹴られたせいで痛むお腹を押さえしゃがみ込んでいた僕の顔面をめがけ、足が迫ってくる。


「――――!」


 僕の身体能力では到底避けられなかった。低い地面から勢いよく上がってきたつま先で、顎をすくい取られる。その衝撃は文字通り世界がひっくり返るほどの物で、僕は先ほどまで居た場所から遙か後方へと飛ばされ、地面へとたたき落とされた。


「――――」


 痛いとか、苦しいとか、それらはすでに通り越していた。今は意識が刈り取られる、丁度限界まで眠るのを我慢したときのような、虚ろ虚ろとした感覚であった。


「雑魚は大人しく寝てろ」

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