第171話 母の料理

「本当にごめんね」


 神出鬼没を体現するかのようにどこからともなく現れたウィルが、背中の方から声を掛けてきた。その申し訳なさそうな声に僕は、母が今し方出て行った玄関を見つめながら首を横に振る。


「ううん、忘れられるのは少し寂しいけど、おかげで初めてちゃんとお別れが出来たから」


 おそらく母が僕のことを忘れるなんて状況にならなかったら、今のようにきちんと見送ることが出来なかっただろう。大抵のことは無くした後から、大事なことに気付くのだから。


「それに何となくだけど、母さんと、会えなかったけど父さんなら完璧に僕のことを忘れないと思うんだよね。本当に何となくだけど」


「――――」


 ウィルは何も言わなかった。記憶を消す側としては僕の希望的観測かもしれない何となくの勘を肯定することはもちろん、心情的に否定することも出来ないのだろう。玄関から差し込む明かりとは裏腹に、少しだけ暗くなってしまった空気を変えるために僕はわざと明るい声で振り返り、


「それより母さんが作ってくれたご飯食べて、さくらを迎えに行こう」


「うん!」


 ウィルも明るくそう答えた。



 母の料理はとても温かく、口に運ぶ度に幸せそのものを噛みしめているような気さえしていた。そのため先ほどの暗くなってしまった空気などとっくの昔に感じて、今はウィルとは顔を合わせ自然と笑顔が溢れていた。


「やっぱり美味しい!」


「うん、調理されているけどそれでも素材が生き生きしてるみたい」


 そんな会話をしながら僕たちは、起きたばかりの朝ご飯として食べられる量ではないぐらいの量をぺろっと食べてしまった。しかし、母が作った料理はまだこれっぽちも減ってはいなく、これらが完食されるまではまだ相当な時間が掛かると予想された。


 けれど僕たちは余り物で同じ料理だからと言って、憂鬱な気分にはならなかった。何故なら空腹時の最初の一口目だろうが、お腹が破裂しそうな最後の一口目だろうが、爆発的な幸せが溢れてきたからだ。


「まだあと何回かこれを食べられるんだよね」


 ウィルは心の底から幸せそうなホクホクとした顔をしながら、種類ごとにタッパーに詰めてフランさんから貰ったコートの収納スペースに入れている僕に言った。


「うん、これのおかげでね」


 この収納は時間の経過がないように作られているので、中に入れておけば腐らないようになっている。あまりにもこのコートが現実離れしているためおそらくは無いとは思うが、それも全て見越してこれらを作っているとしたら、我が母ながら怖すぎる。


「なるほどね」


「ところでエクスカリバー……もといアーティファクトってどうやって取りに行くの?」


 エクスカリバー、ゲームやアニメなどではドが付くほどの定番の剣なのだが、さすがにその名前を真面目に言うのは恥ずかしかったので、言い直した。しかしそれに気が付いたウィルはニヤニヤしながら、


「わざわざ言い直さなくても良いのに……」


 と、悪戯な笑みを浮かべていたので、僕は恥ずかしさを隠すために不満を思い切り目に込めた。


「ごめんごめん……それよりもちょっとまずいことになってるかも」


 ウィルは軽く謝ると、今すぐにも行動を起こさなければいけないと言うほど焦っている感じはしないながらも、それなりにまずい状況と伝えてきた。


「何があったの?」


「さくらちゃんがちょっと……」


 僕はその言葉を聞いた途端、家を飛び出し、直ぐ近くにあるさくらの家へと直行した。

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