第215話 焦り

 あれから僕たちは長時間、夢中で母の手料理を食べ続け、そのおいしさ故に宴会の始まりのように大量に残っていた料理の数々を全て胃の中に収めてしまった。

 もっとも、主にさくらがバクバクと食べていたのだが。


 そして、僕たちは身も心も満腹となったところで、そのまま寝てしまったようだ。


「――――」


 いくら身体に長時間の休息が必要だったとは言え、母の料理を食べ終えた直後の夕方にはすでに寝てしまっていたため、僕だけ日がまだ顔を出していない夜明けと夜中の狭間の時間に一人目を覚ましてしまった。


 その隣ではさくらがスースーと静かに寝息を立てており、僕とさくらの間でウィルがお腹を出して寝ている。


「風邪引いちゃうよ……って精霊は風邪引かないか」


 精霊であるウィルが風邪を引くのかどうか怪しいが、風邪を引かないにしても身体を不必要に冷やしてはいけないと思い、僕は起こさないように優しく布団を掛けてあげる。その時、枕元から蚊の鳴くような小声が聞こえてきた。


「どこか……行くのかにゃ……?」


 僕が動いたことで、枕元で通称アンモニャイトと呼ばれる風にまん丸になりながら寝ていたみゃーこを起こしてしまったようで、あくびをかみ殺しながら尋ねてきた。


「うん、昨日アルフさんに言われたからね」


 昨日の集まりの時、僕たちに上から嫌味をグチグチと言ってきたマルスさんのことをアルフさんは信頼し、努力家と称賛していた。


 だが、僕からしたらそんなことをする人が努力家だとは到底思えない。だから、まだ朝にもなっていないのでいくら何でも早過ぎるかもと思いつつも、起きてしまったついでにその真相を確かめるべく街の外に見に行こうという魂胆でいた。


「みゃーこはまだ寝てて良いよ。その代わりさくらたちが起きたら僕が外に出てるってことだけ言ってくれる?」


「りょう……かい……にゃ……」


 寝ぼけ眼なみゃーこは途切れ途切れの返答をしながら、そのままから力尽きてしまった。


「おやすみ」


 そんなみゃーこを一撫でして、僕は部屋を後にした。




 ダンジョンが通常に戻り冒険者が普通に潜れるようになるまでの間、次にいつまともに魔石が入手出来るかが誰にも分からない。そのため、魔石を出来るだけ使わないようにしなくてはいけないので、街には明かりという明かりが一切点っていなかった。


 なので、しんと寝静まったような街の中、僕は一人で壁の向こうを目指して歩いていた。


(おはようございます、真冬さん)


 世界で自分だけが取り残されてしまったかのような張り詰めた静寂具合に、若干の寂しさを感じていると、ナビーの声が頭に響いた。


(おはよ、ナビー。それにしても本当に静かだね)


 いつもなら明け方前のこの時間でも街の何処かしらでは活気が溢れており、日夜問わずこの街が完全に寝静まることはない。しかし、この異常事態を象徴するように、今は完全な無音がどこまでも続いており、朝霧で少し離れれば姿は見えなくなるが、静寂を体現したそこでは声を出すことさえ躊躇ってしまうほどだった。


(いつ入るか分からない以上、出来るだけ魔石を使わない方が良いですからね。言うなれば、これは街を挙げての戦いです。だから早めに元に戻せるように頑張りましょう)


 この街に住む住人はこれから冒険者ギルドの指揮の下、生活に必要な最低限の魔石しか手に入れられない。何故なら、独りの勝手が、延いては街の全住人を苦しめることになるからだ。


 だから、生きるため以外では、水もまともに使えないし、火も不用意に使うことは許されない。よって、それらを合わせたお風呂も、今後は数日に一回程度しか入れないという苦行を強いられる。


 そのため、僕たち冒険者は、出来るだけ早くダンジョンを攻略し、この街に以前の活気を取り戻さなくてはならない。


(そうだね、頑張るよ)


 ここ最近、僕たちは頑張り過ぎているのかもしれない。特に命に関わることに関して。


 しかし、事今回は僕たちだけの問題では無いのが一番の問題であり、故に僕たちがダンジョンを踏破するミッションを街にある魔石が尽きるまでに達成できなかった場合、下手したらこの街の住人の全員の命が損なわれる可能性だってあり得る。


 だから、今回だけは何が何でも失敗してはいけない。


「――――」


 そんなことを先が見えない朝霧の中考えていると、強くならなくてはならないという焦燥感にも似た感情が、僕の身体を駆け巡るのを感じた。


 早く強くならなくては、出来るだけ強くならなくては、誰よりも強くならなくては。


 頭を巡るそれらの言葉は、一人の少女の声によって鳴りを潜めた。


「そんなに焦っても絶対に強くなれない」


 いつの間にか辿り着いた街を取り囲む巨大な壁に、華奢な身体を預けて寄りかかっていたのはリリスさんだった。


「この街の人を救うには時間があまり無いんですよ」


 ――二週間。


 残りたったの二週間ほどの僅かな時間で、僕たちはあと二十階層分ほど強くならなくてはならない。目安で言えば、苦戦を強いられたあの大鬼が例え群れで襲い掛かってきても余裕で対処できる位に強くならないといけない。


 そんな無理ゲーを課せられている僕の焦りを理解していることは確かだったが、リリスさんはいつも通り口数少なく首を振って言った。


「それでも焦ったら駄目。とりあえず、外行こう」


 リリスさんは相も変わらずゆっくりと壁の関所を指さしたので、トップ冒険者の余裕か、余りの焦りの無さに対してさっきにも増して焦りが募って行くだけであったが、そうは言ってもやっぱり相手はトップの冒険者、僕は促されるままに頷くことしか出来なかった。


「研ぎ澄まされた……っは!!すいません!!どうぞお通りください!!」


 関所ではダンジョンの異常関係なくこの街に入る人と出る人を見張らなくてはならないため、いつもと変わらず人が数人居た。


 その内の一人の門番が“研ぎ澄まされた刃”ことリリスさんということを見た目から判断すると、顔を青ざめさせながら後ずさりした後、若干の及び腰になりながらも門番としての役割をキチンと勤めた。


「――――」


 そう言えば、僕も最初に思ったことなのだが、リリスさんから発せられる雰囲気は明らかに他者を寄せ付けないように、矛先をこちらに向けて尖らせている。

 だから、こうして何かしらの偶然の付き合いがなかったら今頃も僕は、リリスさんに対して門番の人が思ったであろう恐怖を心の底から感じていたに違いない。


 そして、それが全くの見当違いであり、リリスさんがただ単に極度の人見知りだといことに気が付かないで終わっていただろう。


「――――」


 そんな風に少しの感慨深さを感じながら僕は、街から外に出る門を潜り、その先で驚くべき光景を目にしたのだった。

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