第216話 努力
「――――ッ!――――ッ!!――――ッ!!!」
街と外を隔てる巨大な壁を通り抜け、だだっ広い草原が広がるのどかな風景の中で余りの異質さに真っ先に目に入った光景があった。それは一人の青年が水たまりが出来るまで大量に汗を流し、しかしその汗を大量に流しているのさえ気が付いていないほど自分だけの世界に入り込んでいて、目を瞑りながらただひたすら剣を振っていた。
剣の振り方は、一種類。
両手で剣を持ち、身体の真っ正面で上から下に向けて一気に縦に振り下ろす、極々普通の剣の振り方だ。
「彼はあれを千回毎日やってる……それも一回一回この世界を断ち切るぐらい極限まで集中して」
リリスさんはそれから付け足した。
彼――マルスさんの素振りで使っている剣は純プラチナ製で、見た目よりも実際は相当重量があること。
素振りが終わったら、プラチナの剣のまま今まで戦った一番強い敵数体をイメージして想像の中で戦うこと。
その次は万が一徒手空拳で戦わなければいけなくなったときのために、素手で戦う想像をすること。
全てを毎日欠くことなく常人では考えられないレベルの集中でこなし、日々成長することを只唯一の目標としている努力家ということを。
「真冬くん、実を言うと私も彼は嫌い……人付き合いに対して軽いから。でも、彼の剣に対しての、そして強くなることに対しての情熱と努力は、誰よりも凄くて尊敬に値する。実際、彼は冒険者の中で上から二位だから」
「…………」
リリスさんの口から、加えて今その場面を目の辺りにしながらマルスさんが実力者であり、努力家でもある話を聞き、僕は言葉を口に出来なかった。
何故なら、僕はマルスさんよりも圧倒的に弱く、劣っているにも関わらずそこまでの努力を今まで一度たりともしていない、と惨めな思いを感じていたからだ。
「あともう一つだけ言うと、彼は根っからの剣の天才じゃない。ただ人よりも何倍も努力して、今の地位に登りつめた。それだけのこと」
マルスさんはその昔、誰もが見下すほどの底辺冒険者だったらしく、実力が物を言う実力至上主義のこの世界で、物を言える程度の実力が無いマルスさんは至極当たり前のように他の冒険者のいじめの標的にされ、稽古や遊びと称された実質集団リンチを喰らっていたと言う。
そのため実力が無いのが、反撃が出来ないのが、立ち向かおうとすれば足が澄むことがどうしても悔しくて悔しくて、それからは日が昇る前の早朝から、ほとんどの人が寝静まる夜中まで、ひたすら修行を積んでは合間にダンジョンに死に物狂いで挑み、いつの間にか冒険者で二位に登りつめるほどになっていた、とリリスさんは教えてくれた。
「――――」
――僕と似ている。
弱かった僕も、地球ではマルスさんと同じく周囲から何かにつけて虐められていた。でも、何も出来ないと諦めていた僕と違いマルスさんはそこから己の努力と、それによって付けていった実力で、周囲を片っ端から黙らせていったんだ。
「――――」
僕がマルスさんに感じていたのは、事あるごとに上から目線で嫌味を言ってくることに対しての嫌悪感ではなかった。
本当はマルスさんが羨ましかったんだ。僕とどこか似ているけど、僕とマルスさんの今の立ち位置を決めた分岐点でもある、虐められたからと言って逃げないで努力をして立ち向かった強さが。
「――ああ、そうだよ。昔の俺は今のてめーの足下にも及ばねーほど弱っちかったよ。でもな、数週間でギルマスに認められたぐらいで良い気になって、ふんぞりながら胡座掻いてる奴なんかより、あの頃の俺の方がよっぽどマシだね」
修行メニューの合間でやっと僕たちに気が付いたのか、汗をダラダラと流しているマルスさんはこちらに向かって歩きながら、やはり悪態を吐いてきた。
「――――」
この人の、マルスさんの他人を見下したような憎まれ口の理由が何となく分かった気がした。
運も才能も実力も、文字通り何も持たない自分が努力だけで全冒険者の中で二位に登りつめたため、最底辺だった自分よりも運も才能もあるように見える僕が努力を少しもしないで大きな苦労をしていると話していたのが、今も進行形で気に障っているのだろう。
しかし、軽蔑の言葉の数々の発端が、マルスさんが行なっている水準の愚にも付かない程度の努力しかしていない僕にあるということが分かった今、汗だくになって息を切らしているマルスさんに平身低頭、深く頭を下げた。
「マルスさん……僕に戦い方を教えてください」
そんな僕の事を立場的にも物理的にも見下しているマルスさんは、予備動作の気配さえも感じ取れないぐらい平静と、地面を向いている僕の右頬スレスレにプラチナの剣を振り下ろした。
「――――」
プラチナの剣は、ほんの数ミリ単位で僕の身体に触れることはなかったが、耳の間近を通過した剣の音圧は反対の左耳がしばらく聞こえなくなるほどであり、生命の終わりが顔を過ぎった感覚を今更ながらに実感した僕の全身からは、汗が噴き出てきた。
「お前が俺のことを嫌いなように、俺もお前が嫌いだ」
マルスさんは、鼻で笑った。
「だけどよ、努力しようとする奴は嫌いじゃないぜ……ほらよ、使えよ」
マルスさんは、どこからともなく出した真剣を地面に刺した。そして、丁度顔を出し始めた太陽の光が刀身に当たり、地面に刺された剣がまるで宝石のように輝く。
「――――」
剣を見る限り、カイトが作ったよりもおそらく格が高く、実際強力なものだ。
そんな上等な物をぽんと人に貸せるマルスさんはやはり、僕では刃が立たないほどの実力者。改めてレベルの違いを感じながら剣を地面から抜くと、マルスさんは挑発するように手を招く。
「まずはお前の本気を見せてみろ。そうだな……殺す気で来い、じゃなきゃ俺がお前を殺る」
そして、ニヤッと怪しく笑った後、一瞬僕とマルスさんの間の空気が爆ぜたような錯覚をしてしまう、暴力的な剣気を放つ。
「――――」
遠慮はしていられない。
一瞬にも満たない僅かな時間でも選択に迷いがあれば、マルスさんは何の躊躇いもなく本気で僕を殺すだろう。それを横で見ているリリスさんが間に入って助けることは、器質的にはもちろんだが、実力的にも到底無理だ。
「――――」
マルスさんが放つ、それだけでそこら辺の魔物なら楽に殺せそうな鋭いプレッシャーのため、大鬼やリリスさんと対峙した時とは比べものにならないぐらい極度の緊張が場に走る。
僕は渇いた喉を鳴らし、少量の唾を飲み込んだ。
「……行きますッ!!」
雰囲気から察するに、間合いなどあってないようなマルスさんによって統制された空間の中に始まりからすでに入っているため、僕は技術や考えなどはもちろん、直感や感など無意識の部分も総動員しながら、マルスさんに向かって突っ込んだ。
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