第198話 舞

 気が遠くなるような果てしない距離を隔てても、ほとんどの生物が凍える寒さを経てても、確かな熱を感じられるほどである太陽を体現したかのような、燃えるような真っ赤な髪を持つ少女――リリスさんは、数えるのも嫌になるほどの魔物に周囲を完全に囲まれ、ポツンと独りで佇んでいた。


 その傍らには、一本の剣が地に刺さっている。


「早く助けに行かないと……!」


 その光景を見て、焦ったようにさくらが叫ぶ。


「――――」


 さくらの気持ちは分からなくはない。自分と同世代の女の子が、あれほどの数の魔物とたった独りきりで対峙しているのだから。それに前も後ろも右も左も全方向が敵だらけ、今にも助けに行きたいというその焦りは当然と言えるだろう。しかし、


「ううん、僕たちが入る隙間なんて無いよ」


 向こうにとってはほんのお遊びにしかならなかったと思うが、リリスさんと直接剣を交えた僕には、この場においてリリスさんが助けを少しも求めていないことが、ピリピリとしてる空気を伝って僕には感じ取れていた。


 敢えてそれを言葉にするとしたら、近付いたら燃え尽きるぞ、とでも言いたげに。


「そうだね、君たちが今あの場所に入っていったら、魔物よりも早く彼女に殺されるよ」


「――――」


 さくらは僕とウィルの言葉を聞き、押し黙ることしか出来なかった。さくらも頭ではそんなこと百も承知だったからだ。


「始まるにゃ」


 みゃーこが呟いたのと同時に、空気がより一層重みを増した。


「――――」


 リリスさんは地面に突き刺さっている剣――エクスカリバーを無視し、腰に携えている自身の剣を抜き始める。


 ゆっくりと露わになっていく輝かしく、美しい刀身。ある種の芸術的な神秘さを感じられながらも、荒々しさや猛々しさも兼ね備えた剣は、僕が使わせて貰った時よりもなお一層生き生きとしていて、主に使われることを心の底から喜んでいるようだった。


「――――!!」


 周囲を取り囲んでいる魔物のほんの一部、目算で数十匹ほどが剣を構えて間もないリリスさんに向かって、岩をも簡単に砕けそうな立派な牙を剥きながら飛びついた。


 どの魔物も初速から目にも止まらぬ速さで動き始めており、気が付いた時にはリリスさんと魔物達の距離は、リリスさんの剣の間合いよりもやや内側で、文字通り目と鼻の先まで接近していた。


「――――」


 それからは何が起っているのか、そして何が起ったのか、僕たちには理解が及ばなかった。


 リリスさんの動きは、向かってくる魔物の動きに合わせて運ぶ身体はあらゆる状況にも対応できる水のように自由で、どんな一瞬の隙だろうと決して見逃さず最高火力で全てを飲み込む様は炎のようで、一つだけ分かった事は、僕たちはその一挙手一投足にただただ見とれていた。


「――――」


 全方向からの死角や錯覚などを上手く使った絶え間ない怒濤の攻撃の末、多勢では押し切れないと実力差を実感したであろう魔物達は、リリスさんに飛びかかるのをピタリと止めた。そしてそのおかげで、僕たちはようやく目の前で起っていた事が、何かの特別な訓練を受けた劇団の舞踏ではなく、両者の命をかけていた戦いであることに気が付いた。


 それに、見とれていたため戦闘でどれだけの時間が経ったのか分からないが、あれほどいた大群の魔物も数十体程へと数を減らしていたことにも気が付く。


「す、すごい……」


 思いがけず出たようなさくらの言葉に、僕は同意せざるを得なかった。しかし、その言葉の重みは僕とさくらでは全く違く、おそらく剣を扱っていないさくら以上に、僕の方がリリスさんの実力の高さを実感しているのは間違いない。だが、何がどれだけ凄いのかはとてもじゃないが説明出来るはずもなく、そのため出てくる言葉としてはさくらと同じ抽象的なものしか考えられなかった。


「そうだね……」


 魔法を扱うさくらが気付いているかどうかは分からないが、例としてリリスさんの実力の一部が垣間見える所を上げるとするならば、リリスさんの足下には靴の跡が二つ、今居る場所を合わせると合計で四つ、その足跡の少なさが剣を扱っている身として驚愕に値するだろう。

 何故なら、あれほどまでに流れるように身体を動かし、魔物の攻撃を躱し、攻めに転じていたのにも関わらず、足を全然動かしていない、動かしても四箇所までに留めているのだ。


「あれが、君たちがいずれは越えなくてはいけない頂だ」


 正直なところ、僕やさくらが持っているチート能力があれば、この世界の頂上なんて簡単に上れると心の何処かで思っていた。それはリリスさんと戦ったあの時に少し薄まっていたと思うが、今の今まで頭のほんの片隅に、その考えは残っていたと思う。


 しかし、僕が思っていたよりも頂上、つまりリリスさんやアルフさんは僕たちがチートという名のズルいと言われても致し方ない踏み台を使ったとしても、手を伸ばせば楽に届くような場所には決していない事実が、今心の奥底まで深く刻まれた。


「――――!!」


 実力を見せつけるように、息も切らすことなく綺麗な舞を踊るようにして魔物達を屠っていたリリスさんの顔が、突如驚きで染まった。


「――ッ!あれはさすがに止めないと!!」


 実力者の戦いを見させるという意味も持ちながら、トップと謳われるリリスさんならば大丈夫と遠くから傍観をしていたウィルだったが、魔物のある異常な行動によって、その方針を転換し、すぐさまリリスさんと魔物達の方へと急降下し始めた。


「本当に蠱毒みたい」


 口抑えているさくらの言う通り、それは同じ壺の中で喰らい合う蟲たちのように、周囲に残っていた魔物達が互いに互いを食い合っていた。惨たらしさをどれほど煮詰めれば蠱毒を表現できるのだろうか、それさえも想像がつかないぐらいに目の前で起こり始めた魔物達の惨状は、筆舌にし難い物であった。


「僕たちも行こう」


 瞬く間に数を減らし、力と憎悪を凝縮させていく魔物達。そのステータスは計り知れなく、僕たちに何が出来るのか、リリスさんの足手まといにならないか、色々な思いが頭を過ぎったが、リリスさん一人にあれを対処させるのは、いくらトップであろうと違うと思ったため、僕もウィルに続いて下降する。


「う、うん……」


 気乗りしないと言うよりかは、悲惨な状況を見てしまってショックを受けたのだろうさくらも、少し遅れて僕に続いた。


「にゃ!待つにゃ!!」


 その後、みゃーこはぼーっとしていたため最後になった。

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