第226話 停止

「次は急停止を出来るようにする」


「急停止……?」


 今僕が行なっている修行の内容は、方向転換、つまり真っ直ぐから右に曲がったり、左に曲がったりなどと進む方向を変える事をやっており、今さっきは体重移動や力の掛け方などを無意識でも出来るように身体に染み込ませていた。


 その次の段階と言うからには、360度全ての方向に身体を無理なく自然な運びで持って行けるようにするのか、あるいは曲がる際に弧を描くやり方ではなく、直線的に曲がるリリスさんの曲がり方を教えて貰えるのかと思ったが、そのどちらでもなく、更に方向転換どころかただの停止だと言う。


「そう、急停止」


「方向転換の次の段階ですよね?」


 何故方向転換の次の段階なのに停止を習得するのか、訳が分からない僕はきょとんとし、リリスさんは僕がきょとんとするのが何でなのか分からないといった様子できょとんとしていた。


 そのため、話が一向進まないのを見越したナビーが会話に入る。


「カーブの次は停止で間違いないです。と言うのも……」


 寡黙で大体において言葉が足りないリリスさんに代わり、ナビーが何故急停止を会得する必要があるのかを説明してくれる。


 曰く、僕が今やっている曲がり方が何故車で曲がるような曲線的になってしまうのかというと、それは前進へと用いている直線的な力をただ曲がる方向に引用しているだけだからだという。


 反対に、かくっと何かのゲームのように曲がることが出来るリリスさんの曲がる様子を分解してみると、曲がる直前に使っていた力を反対の力で打ち消して停止し、止まった瞬間に曲がりたい方向に力を掛けているため、あたかも慣性を無視したようなどんな角度でも直線的に曲がることを可能にしているらしい。


 だから、その進んでいる方向の逆に力を入れ推進力を打ち消し、動いた状態から停止することを体得しない事には、車が曲がるような曲線的な曲がり方であっても、その場ですぐには直角以上は曲がれず、自分の肩より僅かでも後ろ側に曲がるとなるとある程度の動く範囲が必要になるため、戦いには到底使えなくなってしまうと言うのだ。


「最終的には瞬時に後ろに下がることも出来るようにならなくてはいけません。なので、急停止は必須中の必須ですね」


「そういうこと」


 ナビーの何故急停止が方向転換の修行に組み込まれているのかという分かりやすい説明に対して、組み込んだ張本人であるリリスさんは顔は驚きながらも、飽くまでもそれらを含めて全部分かっていたかのような口振りで言い切った。


「その……停止のコツとかってありませんよね?」


 リリスさんは感覚派であるため、コツのような物を教えるのがあまり得意ではない。しかし、今回はリリスさんも色々と苦労したのだろうか、コツを教えてくれた。


2-12引く1でも駄目だし、2-32引く3でも駄目。丁度ピースをはめるような感じ」


「そうですね、こればっかりはひたすらやるしかないんですけど、直進の力に対して大き過ぎず小さ過ぎず、完璧に同じになるように、ですね」


「分かった、二人ともありがとう」



 リリスさんから離れてすぐ、僕はとりあえず前方に向かって走った。


「うん、板に付いてきた」


 この修行の中で一つ気付いたことがある。それは次の段階に進み、その段階での練習をこなしているといつの間にか、前段階での技術が飛躍的に向上しているのだ。


 例えば、ステータスに頼らずに走ることを練習していれば、ただ歩くことが前よりももっと楽でスムーズに行えるようになり、方向転換を練習していれば、前よりも走る速さもスピードの緩急もトップスピードまでの時間も格段に改良されていく。


 おそらくはありとあらゆる身体の使い方を修行しているため、それらが相互に作用し合って互いに絶大なる影響を及ぼしているのだろう。


「――――」


 頭を切り替え早速、急停止を試みる。


「――――」


 ある程度スピードがある中、右足で草が生えている地面を踏み切り、前に出てくる左足で空を蹴るような動作を行ない、右足で生み出した推進力を打ち消そうとする。


「――――!!」


 後ろに流れていた景色がピタリと止まり、急停止が出来た――そう思った瞬間、逆再生をしたように後ろに流れていった景色が逆に戻り始め、そんな景色の異変を感じたのも束の間、身体が一瞬軽くなった後、臀部に衝撃が走った。


「ッ!!……痛い」


 どうやら右足で生み出した前に進む力よりも、左足で繰り出した打ち消す力の方が強かったらしく、結果後ろにひっくり返ってしまったようだ。


 ――これは思った以上に高難易度。


 それが素直な感想だった。


「――――」


 右足で生み出した推進力は地面を踏み切った瞬間が一番ピークで、それからはコンマ一秒単位で力の強さが目減りしていく。

 更に、周囲に吹く微妙な風の強弱や身体への当たり方、そのほか踏み切った地面の泥濘み具合や材質など、一歩ごとに、あるいは一秒、一コンマ毎の変数が余りにも多種多様な上に複雑。


 そのため、今までの修行のメニューとは、一線を画すというのが初っ端からからありありと伝わってきた。


 しかも、もしこの草原で完璧に出来たとしても、地面の条件が変われば対応の仕方もガラリと変わってくるため、そこら辺も加味してこのメニューは完全に習得しなければいけないだろう。もっとも、それはこの草原で完璧に出来た後考えねばならぬ事ではあるが。


「ナビー、これ習得できるの」


「出来るか出来ないかで言ったら、出来ます。でも、時間がどれだけ掛かるかは分かりません。この急停止が真冬さんがリリスさんとの修行の中で習得せねばならない技術の中で、トップクラスに位置するので……。ですが、反対に言いますとこれさえ習得してしまえば、あとはこれよりも比較的に易しめのが待っているだけですので、どうにか踏ん張りましょう」


 急停止を筆頭にここからの修行は更に難易度を増すと言われていたら間違いなく、僕の心は折れ掛かっていただろう。


しかし、ナビー曰く急停止は序の口では無いらしく、むしろ最難関クラスとのことで、その言葉が初っ端から気骨を折りに掛かってきているこの急停止という難行へ挑む、せめてもの救いであった。

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