第191話 広場

「――――!!」


 異変はダンジョンに入る前、ダンジョンの周囲に広がっている広場からでも十分すぎるほど感じ取れることが出来た。


「みんなボロボロ……」


 さくらは息を呑みながら口を両手で押さえ、目の前に広がっている惨状とも言える状況を見て、思わずそんな言葉をぽろりと零した。その意図せず零したような言葉に対して、僕は何も浮かんで来ず、頷くだけしか出来なかった。


「うん……」


 ダンジョンがある広場は普段ならば、無事に帰還した冒険者達の喜びが半分、そしてこれから稼ぎに出るため張り切っている者が半分と、悲しさや悔しさなどおよそネガティブな雰囲気を漂わせている者は目を皿にして探したとしても滅多にいない。


 仮にどこかにいたとしても、九割以上の者たちが醸し出すポジティブな雰囲気で、あっという間にかき消されてしまうだろう。


「――――」


 しかし、今はどうだろうか。真逆あるいはそれ以上に悲惨な面持ちをしている冒険者、それもこの街で顔が知れ渡っているほどの実力を有する上級冒険者達が、輝きを失ったボロボロの鎧と、果ての無いほどの疲労感を携えた街の皆に知れ渡っていない表情で、ダンジョンの外は埋め尽くされていた。


「これだけの実力者がやられてるんだ、気を引き締めていこう」


 そんな悲惨な状況を見て言ったウィルに僕たちは無言で頷き、ダンジョンの入り口へと歩みを進める。


「――――」


 戦いに敗れて死に体で逃げ帰って来たであろう冒険者達の重苦しい空気の中、まるで鉛をかき分けていくように僕たちは無言でジッと進んだ。


 その途中、実力を持ちながらも人柄も良く、お年寄りや子どもに分け隔て無く接するということから、この町でも人気の冒険者と目が合った。


「……行くのは止めた方が良い」


 平常は冒険者ギルドに併設された酒屋でお酒を飲みながらダンジョンでの出来事を楽しそうに話していた彼の目は、嵐の直前の空模様のようにどんよりとしており、覇気というものが一切も感じられなかった。そしてそれは声も同じで、辛うじて聞こえてきたその言葉は、どうしようもなく酷く震え、ダンジョンに対してまるで子どものように怯えきっているのが如実に伝わってきた。


「……今行くのは死にに行くようなもんだ……悪いことは言わねぇ。命が惜しけりゃここに残れ」


 生気の無い表情と声だったが、どれほどダンジョンに打ちのめされたか、その実感と僕たちを引き留めようとする力だけは、消えてしまった炎の中にも薄らと、しかしハッキリと感じ取ることが出来た。


 だが、ここに残るという忠告をむざむざと聞き入れることは出来ない。


「――それは出来ません」


「どうしてだ、この状況が目に入ってんのか!?入ってねぇ―としたら耳からちゃんと聞け。行くのは止めた方が良い、死にたくないならな!!」


 まるで狂った人を見哀れみさえも滲み出ている目だったが必死に引き留めようと、ダンジョンに入ろうとする僕たちにガラガラで今にも割れそうな怒号で訴えかけた。


 唾をまき散らし、かつての人気冒険者とは似ても似つかないその痛々しい姿は、通常ならばどちらが狂人か判断に困る道理は一切無いはずだ。しかし、こと今回の場合では、その判断は間違っていると、ここら一帯に広がる惨状がこれでもかと物語っている。


 そして、鎧と精神が見窄らしい程までにボロボロの彼自身も大変な状況の中、そんな状況を作った異常な状態のダンジョンへ行く僕たちを必死に引き留める優しさを持っていることから、端から見れば引き留められている僕たちこそが真の狂人と言えよう。


「もちろん死にたくないです……でも、どうしても行かなくちゃいけないんです」


 いくら覚悟を決めようと、死ぬのは怖い。でも、恐らく今も最前線で重い荷物と重圧を抱え、独りで闇雲に頑張っている子がいる。


「――――!!」


 彼の顔が一瞬歪む。それが何故なのかは、大体予想がついた。


 恐らくは、今までの積み上げたありとあらゆる物を全部ぶっ壊されたように傷ついたこの人も、もっと言えば、この広場で動けなくなっている人たちは誰一人として敗走して命からがら逃げ帰ってくるなんて予想、微塵もしなかっただろう。しかし、現実はそうなり、周囲に笑われるほど過度に悲観的な誰かがした最悪の想像から、一歩も二歩も離れた残酷なものとなった。


 そんな事を思い出し、僕たちと過去の自分を重ね合わせたのだろう。


「忠告痛み入ります。でも、僕たちは行くことに決めたんです」


 僕は三人を見る。予想通り、揺るぎの無い決意が固まっている表情だ。


「お前らどうしても行くんだな……ならこれ持ってけ」


 彼はそう言って、座りながら力なさげに一つの小袋を投げてきた。僕は数歩手前で落ちそうになるそれを慌てて受け取り、首を傾げる。


「これは……?」


「絶対お前達のためになるもんだ。危なくなったら使え」


「ありがとうございます」


 僕は引き留めてくれたこと、それを無視するにも関わらず餞別をくれた彼にしっかりと頭を下げ、お礼を言った後、一緒に頭を下げているさくらを一瞥した。視線を受け取ったさくらは僕が何を伝えたいか分かったように頷き、


【回復《ヒール》】


 と、回復魔法を彼に掛けた。すると、彼の硬かった表情は気持ち柔らかさが見えるようになり、回復魔法の効果は絶大だったと思えた。


「すまない……ほんとは手伝ってやりたいが、もうしばらくはここで休ませて貰うよ」


「いえいえ、こちらこそありがとうございます。それでは」


 僕はコートの無限収納に貰った小袋を中身を確認せずにいれ、もう一度頭を下げ、彼の前からダンジョンへと歩みを進めた。


「ああ、お前らがあのルーキーか……あの人を頼む」


 背中越しに聞こえた音はとても小さかったため何を言っているのかまでは聞こえなかったが、何かを託されたことだけは伝わってきた。

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