第160話 母

 父と母は、僕が中学に通っていた頃から海外で仕事をしている。そのため、年末年始に仕事が落ち着いたらようやく会うことが出来るぐらい二人は忙しいので、それ以外の日常では滅多に会うことが出来ない。なので、何で僕の目の前に忙しいはずの母がいるのか、異世界でステータスを上げた僕でも理解が出来無かった。


「何でいるのって顔してるけど、答えは家に帰って来たからよ」


 フランさんに言われた通り、考えていることが顔に出ないように注意をしていたので今も少しも顔に出ていないはずだ。だからおそらくは目の前にいる母は僕の心を見透かしたのだろう。

 しかし、そんなことは昔からなので今更驚きもしない。だが、改めて考えてみると人の心を読めることは凄い。それこそ人間を相手にした仕事の場合、その力はあらゆる面において遺憾なく発揮されるだろう。


「仕事はどうしたの?忙しいはずじゃ……」


 地球上にいればもちろんのこと、多少の範囲なら地球の外、つまり宇宙にいたとしても画面を通して顔を合わせて会話が出来るような技術が発達したこの時代に、両親はわざわざ海外へとその身を飛ばしている。


 それは何故かと前聞いたとき、人はやはり顔を合わせて、目を合わせて話した方が感情が伝わるのだからと言われた。その事はおそらく嘘偽り無く本心なのだろうが、今なら別の思惑も分かった気がしている。自分たちの大のお気に入りであるさくらと、息子である僕をどうにかこうにかくっつけようと考えているのだろう。


 話しが少し脱線してしまったが、理由はどうあれこの母親と、今回は一緒に帰って来ていないらしい父の二人は、海外へと仕事におもむいているため、とても忙しい。


「何故か帰ってこなきゃって思ったのよ、それ以外特に理由は無いわ」


 きっぱりとそして少し得意げに言いきった母親は少しだけさくらと似ていた。類は友を呼ぶ、そして、人は自分と似た人を好きになるらしいので、母と父はさくらのことをえらく気に入っているのだろう。


「それより雰囲気変わったんじゃない?前より……たくましくなった?」


「うん、多分成長した……僕成長したんだ」


 先ほど感じた自身の成長の実感に加え、それを自分のことを誰よりも理解してくれている両親である母に伝えられた喜びは、涙腺を綻ばせるのに十分だった。そして、目の前の世界がゆっくりと融解して熱い雫が頬を伝う頃、それよりも何よりも温かい熱を持ったものが、髪の毛を乱暴に散らす。


「凄いじゃん!さすが私たちの息子!!」


 母は自分のことのように心の底から嬉しそうな屈託のない笑顔を見せ、僕の髪の毛をくしゃくしゃにした。そして、まるで子どもが物事を尋ねるみたいに興味を顔に張り付かせた表情で、僕に尋ねる。


「何があったの?」


「まずね――」


 僕は母にこれまで自分が体験したこと、出会ってきた人たちのことを話した。ダンジョンなどの異世界のこと……はさすがに突拍子も無さ過ぎる眉唾な話で、母ならば信じてはくれるだろうが少しだけ気が引けたのでそこだけは包み隠した。


「そっか……私たちが見ていない間にそんなことがあったんだね」


 母は感慨深そうに呟いた。


「だからもう大丈夫だよ」


 何が、とはわざわざ言葉にしてまで言わないが、多分きっと伝わるだろう。僕はそう確信して言った。


「うん、分かった……でも何か一つ訊きたいことがあるんじゃない?そんな顔してるけど」


 母は一回力強く頷くと、次に不思議そうな顔をして尋ねてきた。何が大丈夫か、の何がが伝わるのは予想していたので案の定なのだが、先の部分に関しては予想の範疇はんちゅうを逸脱し過ぎた。なので普通の人でも分かるほど僕の顔は動揺を見せ、驚きに満ちたと思う。


「ほらやっぱり、話してごらん?ちなみにだけど、あの人が帰ってこないのは私が無理を言って帰って来ちゃったからだから」


 僕が気になっていること、そしてそれを誤魔化そうと頭の中で必死に用意していた言い訳のようなものも、この母の前では透明度の高いガラスの奥に隠された隠し事、同様だった。


「それは……」


 隠す理由、それは非常に曖昧な物だ。


 異世界で危険な場面に直面したとき、必ず出てきた僕と瓜二つな姿を持つボク。その存在を目の前で首を傾げいつでも来て良いよと言いたげな表情をしている母に訊くことが、何故か駄目だと直感的に思った。おそらくは傷を付けてしまう、あるいは傷を抉ってしまうと。


「何でも良いよ、話して」


 慈愛に満ちた表情に、僕はポツリポツリと、蛇口を閉め忘れた時のようにゆっくりと言葉を零していった。

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