第231話 土俵

 今まで後ろに流れていた景色が前後左右どちらに動くことも無く完璧に止まった、つまり成功――


 かのように思えたが、


「わ……ッ!!」


 確かに前後左右には景色が流れることはなく、一瞬止まったかのように思えた。しかし、上下の方向には動く余地があった。


 直後、足、膝、最後に顔、と順番に衝撃が走る。


「痛!!」


 上下の動く余地――加速による推進力の変数を減らすために宙に浮いて移動していたことをすっかりと忘れていたのだ。


 そのため、推進力とそれと同じ力で反対に加えた停止力、それらの前後に動く力は完璧に相殺し合ったが、自分が止まることに必死だったため、剣を振った後の着地のことは考えていなかった。


「……すごい、ほぼ出来た」


 それでも、おもむろに近付いてきたリリスさんは、目をぱちくりさせながら呟いた。


 どうやらたった一回停止の感覚を体験しただけで再現出来るとは露ほどにも思っていなかったらしく、自分と同じく、停止に関しては時間を掛けてゆっくりと習得するだろうと予想していたらしい。


「やっぱりそんなに難易度は高いんですか?」


 リリスさんでさえ時間が掛かったという事実に驚く。


「大体の冒険者はここで挫折する」


 何でも中級冒険者の中で芽がある人が自分よりも遙かに格上の師匠を見つけて時初めて、歩行から始まったこの一連の修行、すなわちステータスに頼らない動き方の存在を初めて知るという。


 そこから力を一切使わない修行に入り、中盤に差し掛かった頃、一番難易度が高いとされる停止が立ちはだかり、今までどれだけ順調に進んできた才覚がある者でも、何の因果かどれだけ時間を掛けて修練を積んでも一向に成長の兆しが見えない停滞期を迎える。


 そして、停止を乗り越えられなかった暁にはそれまでの努力と挙げ句には自分自身、全てを燃やし尽くし、先があった中級冒険者は、先のない晩年中級冒険者としていつかはその花びらを散らす運命を辿るのだとか。


「ここが私たちと、昨日までの君の分水嶺」


 リリスさんは着地に失敗して転んでから地面に座ったままの僕に手を伸ばした。


「ようこそ、こっちの世界へ」


 僕はまだリリスさん達と同じレベルでは決して無い。まだ互角に戦う実力も技術も持ち合わせていない。それでもリリスさん――そこらへんの冒険者とは一線を画すような一握りの冒険者達とようやく同じ土俵に立てた実感が、差し出された手を握って初めて実感した。


「――――」


 自分が成長出来たことや自分のこれまでの苦労が報われたことに対しての喜びは確かに胸を駆け巡った。だが、憧れているリリスさんに少しでも認められたことに対しての身震い、鳥肌、畏敬の念、それらの方が何もかも圧倒的に勝っていた。


「ありがとうございます」


 リリスさんに引っ張られ、立ち上がった流れでそのまま頭を下げたのも束の間、頭上からは鋭い剣気が降り掛かる。


「でも、まだ終わってないから」


 その言葉通り、目の前で発せられる剣気に怯んでしまう程度にはまだ遠く及ばなく、自分よりも小さく華奢な女の子であるリリスさんの足下にも届いていないことは自明。


「はい、まだまだ頑張ります!」


 ひとまずは停止の精度をあげなければいけない。その後、無意識で出来るように昇華させ、それから次の段階へと移行する。


 まだまだ修行の道のりは長そうだ。

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