第186話 正義

「な、何事ですか!?」


 僕が席について間もなく、僕がいじめのことを相談した例の女性のカウンセラーが、担任の泣き叫ぶ尋常ではない声を聞きつけたのか、教室に飛び込んできた。


 そして、自分の腕を押さえながら、咽び泣く担任を見て、


「な……何があったんです!?」


 何かしら確実にあっただろう担任自身ではなく、僕たちに向けて尋ねてきた。その視線は、一人一人を射貫くような鋭い目つきで、この中の誰かが犯人だと心の底から決めつけているように見えた。


「…………」


 鬼の形相と言えるほど余りにも釣り上がった目で生徒達を睨む姿に、視線を受けた人たちは誰もが一歩に満たないまでも、少し後ずさりをしていた。しかし、最後に視線を向けられた僕だけは、一人だけ席に座っていたため、では無く、そんな表情を怖くも何とも思っていなかったため、微動だにしなかった。


「あなたなんですね!?」


 全員が恐怖で固まっていた中そんな僕を見つけると顎を上げ、カツカツとヒールを高らかに鳴らし、まるで自分が正義のヒーローにでもなったかのような様で、向かって歩いてくる。そして、目の前まで来ると、


「何をしたんです?早くおっしゃってください!」


 自分が絶対に正しいと信じて疑わない声音で、ヒステリックに叫んだ。その光景を見て、僕は思い出す。僕が虐められていることをこのカウンセラーに相談した時のことを。


「――――」


 その先生は教科書を読むように平然と言った。


 ――虐められる側にも訳があると。だから、それは正義なのだ、と。


 このカウンセラーに言わせれば、犯罪を犯せば警察が捕まえに来て、悪いことをしたら良いことをする人が懲らしめるように、虐められる訳がある人を虐めるのは、その人を矯正するための正義ということらしい。


「いいえ、僕は悪いことは何もやっていません」


 僕は悠然と首を振る。そして、続けざまに


「その人に殴られそうになったので、自分を守っただけです」


 と、この状況になった経緯を知っているクラスメイトから見ても、一切反論の余地が無い事実を叩きつける。大人に殴られそうになったから、デコピンで撃退した。


 デコピンという手段はともかく、自分よりも体格が明らかに大きい人に手を上げられたため、自分なりの正当防衛という図式は成り立つだろう。


「そ、それであんな風になるとでも!?」


 信じられないと顔に書いてあると思えるほど、カウンセラーの人は怪訝そうに叫んだ。しかし、事実は事実。それ以上でもそれ以下でもない。なので僕は再度、カウンセラーの目をしっかりと見据え、言う。


「僕はあくまでも殴られそうになったので、自分を守っただけです」


 思わず語気に力を込めてしまったためカウンセラーは一瞬たじろいだが、その後すぐに勢いを取り戻したかのように僕の机を掌で叩いた。


「だからってあそこまでしますか!?それは正義ではありません。ハッキリ申しますと、あなたがしたことは悪です。正義は正当に行なわれるから正義で、過剰に行きすぎた場合、それは歴とした悪に他なりません」


 顔は熟しすぎたトマトのように真っ赤で、鼻息は闘牛のように荒く、事情も背景も一切知らないくせに自身の信じる正義を貫き、欲しがってもいない他人に押しつけるそれは、ある種の傲慢にしか見えなかった。


 しかし、同時に納得もいった。僕が虐められた時、それを認めず、それどころかいじめをしている人たちの方が正しいと言ったのは、この歪みすぎた正義の所為なのだと。


「先生、正義って何ですか?」


 ヒステリックに捲くし立てるカウンセラーとは対照的に、それこそ生徒が授業で分からない所を質問するかのような、ほんの軽い感じで僕はカウンセラーの人に尋ねた。すると、カウンセラーは待ってましたと言わんばかりに、


「正義とは正しい事です」


「じゃあ正しい事とは?」


 余りに抽象的すぎる表現に首を傾げ尋ねると、自分で自分の言葉を噛みしめるように、そして酔いしれるように言い切る。


「正しい事とは、誰が見ても称賛に値すると思うような行為です」


「――――」


 僕は異世界で、僕たちにとっては悪と言える人たちだったが、そんな人を殺しをした。その肌を切り裂いていく生々しい感覚は今でも掌に鮮明に残っており、正直未だに怖いと思う時がある。しかし、あの時は人を殺すことでもしなければさくらを――大事な人を助けられなかったかもしれなかった。


 だが、いくら綺麗な言葉で包もうと、そして、そんな大義名分はあれど、僕は紛れもなく人を殺した。


 確かに殺人は地球はもちろん、異世界でも悪と言われるだろう。しかし、もし自分の大切な人を助ける場合だとしたら、もしくは自分を守るためだとしたら、それは絶対な悪と言えるのだろうか。


 逆に、僕が殺した人の仲間は僕たちのことを、悪だと思っているのではないだろうか。いや、きっと思っているに違いない。何故なら仲間が殺されたからだ。


「――――」


 そんな風に僕たちが行なうことには絶対の正義はなく、反対に絶対の悪もない。正義の反対は正義で、見方を変えれば、あるいは焦点を変えれば悪の反対も悪なのだ。


 因みに、後に聞いた話だが、冒険者ギルドの調べによるとガンダ自身は悪いことは一切していなかったらしいが、その傘下である僕が殺した人たちは、誘拐や人身売買などその他色々、手を染めていたらしい。


「先生、僕が虐められてるって言った時に、先生は“虐められる訳がある人を虐めるのは、それは正義”っておっしゃいましたよね?じゃあ、ここで僕が先生のことを虐めても、それは正義ですよね?だって……虐められる訳があるんですから」


 僕はカウンセラーの目をジッと見据えながら、ゆっくりと膝の裏でイスを後ろに押し、席から立ち上がる。


「――――ッ!!」


 今まで我こそが正義の根源とでも言うかのように自分だけが正しいと信じていたカウンセラーの目に、明らかな動揺が走る。張っていた胸は徐々に力を無くし、叩きつけた後も机に置いてある手は微かに震えている。


 そんな正義の仮面を被った独善的で脆弱な偽善に、僕は異世界で出会った歴とした正義を思い出す。


「――――」


 或る人は、行きずりの冒険者に担当になったからと、受付嬢として本来はやらなくてもいい部分にまで手を掛けてくれた。その人の正義は、もう二度と冒険者をダンジョンで亡くしたくないという、優しさの正義だ。


 また或る人は、過去のトラウマに悩まされながらも自分の憧れである兄たちに、どうにか追いつこうと、そして追い越して兄たちがあの世でも自分を誇れるようにと、ひたすら剣の腕を磨き続けた、信念の正義だ。


「――――」


 その二人の足下にも及ばないちんけな正義を振りかざすこのカウンセラーに、僕は怒りすら感じる様になっていた。


「正義はそんなに軽い物じゃない」


 僕は、いつの間にか机から手を離し僕から出来るだけ距離を取ろうととしているカウンセラーにゆっくりと近付いて行く。一歩、また一歩と近付く度にカウンセラーは僕から離れるようにかかとを引き摺る。


「少なくともお前なんかが口にして良い言葉ではない」


 後ろに下がり続けたカウンセラーの背中が黒板に当たる。それはもう逃げ場がないことを意味していた。


 そして、それを悟ったカウンセラーは恐怖で歪みに歪みまくった顔を隠すことなく、こちらをただただ見つめる。その目には周りから見て腐っていたとしても自分の正義を貫こうという芯など一切も感じられなく、恐怖一色に染まっていた。


「正義をもう二度と口にするな」


 カウンセラーはその場で腰を抜かし、まるで銃を突き付けられているかのように絶望とした顔で固まった。

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