第176話 車vs真冬

「さて片付いたことだし、そろそろ返してくれるかな」


 普通では何も見えないほど真っ黒くスモークガラスになっているリアガラスを通して、伸びているリーダーの手下と思われる運転手の男を見る。


 ミラー越しで目を合わせたその男の表情は、この世の人間では無い人間を見たような恐怖に染まった表情をしており、ただ何もせずに固まっていた。こちらとしては固まって何も出来ない状態というのはさくらを助けるという点においては好都合なので、出来るだけ変に刺激しないようにゆっくりと歩いて近付いていく。


「――――」


 車との距離は徐々に、順調に近付いていていると思っていたのだが、その時リーダー格がぶつかった衝撃によって少しへこんでいる後ろの観音式のドアが急に開いた。


「やっべ」


 扉を開け中から顔を出したのは運転席で固まっている男ではなく、初めて姿を現わしたもう一人の仲間だった。そのもう一人の男は気絶しているリーダー格を強引に中に入れると、叫ぶような声で、


「早く走れ!!!!」


 リーダーを車内に放りこんだ男の怒号のような声に、顔を真っ青にして震えていた運転手はハッと意識を取り戻し、アクセルを思いっきり踏み込んだ。急発進した車はタイヤから大量の煙を吐き、スピードをドンドンと乗せていく。


 瞬く間に住宅街を暴走し駆け抜けていく車は、非常に危険と思われ、事故りでもしたら中にいる縛られているであろうさくらが万が一にでも怪我をしてしまうかもしれない。そう思った僕は、


「能力低下、解除」


 ステータスを元通りへと戻した。そして、手を数回握り力が戻ったのを確認すると軽く跳ねることで一メートルほど宙に浮き、身体を車の方に向け空気を蹴った。


 まるで爆弾でも爆発したかのような空気が爆ぜた音さえも置き去りにして、僕はエンジンをこれでもかというほど吹かし、重低音が効いた唸り声を上げている車へと一瞬で追いついた。そして、優に百キロは出ているだろう車の少し先へと降り立ち、持っていた木の枝をおもむろに構える。


「――――」


 今度は面ではなく点で高速で動いている車を捉え、何千キロとある鉄の塊が飛んでくる衝撃を完璧に打ち消さなければいけない。


 一見無理難題かと思うかもしれないが、元に戻したステータスのおかげで身体能力が先ほどとは比べものにならないぐらいに上がっているので、車は非常に緩慢として見える。しかも一番遅く見えるように調整すれば、動くのが非常にゆっくりと知られているナマケモノが動くのと同じ速さぐらいまで抑えることが出来たため、多少頑張らなければならないが決して無理難題ではないだろう。


「――――」


 その距離は目測で十メートルを切っており、普通の速さなら一秒も掛からずに衝突してしまうだろう。だが、僕の世界では遅々として向かってくる。

 そして、少しずつ近付くにつれて運転手の顔が酷いことになってくる。その表情は置き去りにしたはずの僕が一瞬のうちに目の前にいるからなのか、高速で走る車の前に急に人が飛び出してきたからなのか、おそらくはその両方なのだろう。


 そう考えていると、車が僕と木の棒の間合いに入った。


「――――!!」


 決して少なくない衝撃を吸収し、完璧にゼロにするため何回も何回も車に枝を当てていく。これがリリスさんであれば一度で完璧に車を停めることが出来るのであろうが、正直今の僕では点で衝撃を完璧に逃がすには一回では到底無理なので、何回も当ててその都度衝撃を逃がしていく他ならなかった。


「――――」


 最初に間合いに入ってから三歩ほど、ジワジワと下がりながら数十回ほど満遍なく枝を当て、向かってくる衝撃を逃がしたところで、車はようやく勢いを完全に失った。そしてそれと同時に役目を果たしたと言わんばかりに、手に握っていた枝は跡形もなく粉々に砕け散った。

 僕は木の枝に心の中で軽くお礼を言い、不自然に止まったのが原因かエンストし微動だにしない車を確かめる。


「――――」


 ここから見える運転手は驚きすぎたのか完全に気を失っており、ハンドルの前に動かない人が居るためこの車はこれ以上移動することは不可能と判断する。


「後ろにいる人たちはどうなってる?」


 僕は念のためほんのちょっとの力で軽く蹴りタイヤをバーストさせた後、後ろに回り込みバックドアを開けようと手を掛けた。


「やっぱり鍵掛けるよね……」


 案の定バックドアには外から開けられないように中から鍵が掛けられており、正攻法では開けられないようになっていた。どうしようかと悩んだが、その答えは一瞬で出てくる。


「タイヤもやっちゃったし、今更だよね」


 一応鉄で出来た扉を壊れない程度に優しくノックし、軽くへこんだ以上の反応が中から無いとことを確認すると、ドアを思いっきり掴みゆっくりと引く。通常では考えられないほど強い力で引かれたドアは大きな金属の音を立てながら、お菓子の袋を開けるときのように簡単に千切れていった。


 改めて感じるステータス上昇の恩恵に、ドアを完全に取り外した僕は慌ててステータスを下げる。


「…………」


 そして、ある程度下げた後に強引に開け放ったバックドアから中を覗くと、予想だにしなかった光景が広がっていた。

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