第183話 登校

「やばいやばいやばい……」


 あれから僕たちは、イタリアで朝から晩まで遊び尽くした。その時は日本まで1時間ぐらいで着くから、と高を括っていたのだが、僕もさくらも日本とイタリアの時差を全くもって考えていなかった。


 そのため、席に着いていなければいけない時間の、約30分前に僕たちは自分たちの各々の家に帰って来たという次第だ。


「真冬早く!」


 さくらは自分の家に帰った後、お風呂に入ったり筆記用具を準備したりなど、支度をちゃんと終わらせていた。しかし、僕は家に着いた途端疲れからか、一瞬の間意識がどこかへ飛んでいた。その結果、ふと目を覚ますと、着席時間9:00の10分前となっていた。


 その疲労の原因となったのは、紛れもなくあの一件の所為だろう。光り輝く剣――エクスカリバー伝説の再来か!?と何処の観光地に行っても新聞、テレビ、ラジオ、人々の携帯と全ての情報伝達ツールでひっきりなしで流れていた。


 さくらやウィルは全く気にも留めていなかったが、関わったというかほぼ犯人である僕はやっぱり気になってしまい、その所為で要らぬ気疲れを起こしてしまったのだ。


 しかし、その事態を起こした張本人であるウィルは、その様子が流れているテレビをイタリアで買ってきたお菓子を食べ、ソファーに座りながら休日の父親のような感じで暢気に見ており、沸々と苛立ちが募るも、時間的にお風呂には入れないと思われた僕に、身体を綺麗にする魔法を掛けてくれたので、怒るに怒れない。


「早く、急いで!!」


 玄関からは焦ったさくらの声が聞こえた同時に丁度支度も終え、あとは学校に向かうだけなのだが、僕の足にしがみつく猫のせいで玄関を背にし、その場を動けないでいた。


「にゃんで僕を連れて行かにゃかったのにゃ!!」


 右足にツタのように絡みつくこの猫、もといにゃーこはイタリアに行けず一人お留守番として置いて行かれたのが、心の底から不満らしい。しかし、そんなことを言われても、さくらが危ないと言われ家を飛び出し、解決してからそのままの流れでイタリアへと行ってしまったので、僕の所為では無いと言えば僕の所為では無いだろう。


 どちらかと言えば、ウィルのせいだ。


「ごめんって……だけどもう行かなくちゃだから」


 人は時に自分の所為ではなくても謝らなければいけない事がある、それを思い出し謝りつつ、右足をみゃーこを引き剥がすように振り回すも、前足と後ろ足をガッチリとホールドさせ、コアラの赤ちゃんのようにしっかりと掴んでいるみゃーこは、簡単には離れてくれなかった。


「嫌にゃ!イタリアに連れて行ってくれるまで絶対にはにゃさにゃいにゃ!!」


 どうしようかと、困惑している僕に、さくらの切羽詰まったような声がまたしても飛んでくる。


「あと3分しかないよ!」


 学校では落ちこぼれな僕だけが遅れるならまだしも、進学クラスで内申点が重要なさくらを遅れさせるわけにはいかないと、僕の焦りと困惑はただただ募るばかり。

 かと言って、さくらだけ先に行かせようとしても、僕だけが遅れたらどんな事されるか分からないからと、さくらは決して首を縦に振らないし。


「…………」


 いよいよ本当にどうしようか、と考え倦ねていると、ソファーで寛いでいたこの一連の騒動の全ての元凶が、口を開いた。


「みゃーこちゃん、こっちに美味しいお菓子があるよ」


 そう言いながらウィルはイタリアで買ってきたもので、みゃーこを釣ろうとする。しかし、イタリアに行きたかった事だけではなく、置いて行かれたことに対しても不満を持っているみゃーこがたったそれだけで釣られることも無く、更にしがみつく力を強くする。


「そん何じゃみゃーは靡かにゃいにゃ」


 もうこのまま学校まで連れて行ってしまおうか、という苦肉の策にして最終手段を取ろうか、と思った瞬間、ふわっと柔らかく、だが強烈な匂いが漂ってきた。


「「――――!!」」


 その香りの正体は、ウィルがソファーの上に立ち上がりこちらを見ながら上に掲げている、魚のお菓子から発せられる、とても美味しそうな香りだった。


「そんなので釣られるわけが無い」


 みゃーこ自身が釣られないと宣言していたため、幾ら気紛れな猫でも釣られないだろうと、頭で思ったことをそのまま口に出した瞬間、足に掛かっていた重さが突如として消える。


 そして、ゆっくりとみゃーこが必死にしがみついていたはずの足を見てみると、そこにはもうコアラのような格好で縋り付いていたみゃーこの姿はなかった。


「それ美味しそうにゃ……」


 ふらふらと足下がおぼつかない様ながらも、ゆっくりとウィルの手に持っている魚に吸い寄せられていくみゃーこ。そして、右手に持った魚とは反対の手でこちらは任せろと言わんばかりに親指を立てるウィル。


「――――」


 その様を見ながら思う。帰って来たらあの事態を起こしたウィルは再度怒らなければいけないだろうと。


「早くしないと……てか、これ間に合う!?」


 玄関に置いてある時計は既に8:59を刺しており、秒針は下り坂に入っていた。それはつまり、着席していなければいけない時間は、一分も切っているということだ。


「間に合わせる」


 僕は、さくらの今にも折れそうな華奢な手を引いた。そして玄関を飛び出ると、コンクリートの地面を蹴る。あっという間に離れていくコンクリートは多少蜘蛛の巣状に割れてしまったが、反省の証としてウィルに直して貰おう。僕は気にせずに、空に出た。


 そして、僕の家がここからからだと、ミニチュアに見えるまで高度を上げると、掴んでいたさくらを手を手繰り寄せ、背中と膝の裏に腕を回す。そうしてさくらをお姫様抱っこにすると、遠くに見える学校目掛けて、今度は手加減一切無しに思いっきり空を蹴った。


「――――」


 前方に飛んでいたカラスなどの鳥を瞬く間に抜かしていくと、上空に上がった際には点にしか見えなかった学校があっという間に近付いてくる。そこから二回勢いを足すために空を蹴ると、ドンドンと大きくなる目標地点。


「あとちょっと!」


 さくらが腕に付けた時計を見せてくる。秒針は谷を越え、あとは登るだけ。学校はもう目と鼻の先だが、数秒のロスが命取りになるだろう。


「きゃ!」


 間もなく僕らは屋上の上空に到達し、勢いのまま通り過ぎてしまうのを防ぐために前方の空を蹴り、バク宙の要領で一回転し、勢いを殺した。そして、屋上へ降り立つと、夏休みのため家に持って帰ってきていた上履きを急いで履き、袋の中に靴を入れるとさくらの手を再度掴む。


「最後!!」


 僕は屋上の扉を開け放ち、階段を一っ飛びで駆け下りる。そして、さくらと僕の学年がある階へ降り立つと、ある程度ガラスなどの影響を考え、されど最速で到達する速さで、さくらを進学クラスの教室に送り届けた。


「あと5秒だよ!真冬!」


 さくらが扉を開けるのと同時に、僕がいる後ろを振り返りながら時間を教えてくれた。


「――――」


 廊下に接している窓ガラスを台風以上に激しく揺らしながら、僕は疾きこと風の如く、疾走した。


 そして、自分のクラスのスライドドアを開ける。


 キーンコーンカーンコーン


「――――」


 クラスの人が廊下の騒ぎを気にしている間、僕は何とか席に座っていた。

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