第136話 血塗られた刃

 そこをどけ、とまるでナイフ、いや死神が持つような大きな鎌を首元に突き付けられているようなそんな極度のプレッシャーが柔らかい言葉に乗せられ、僕の背中に突き刺すように放たれていた。


 ベルーゼの肝が底冷えするような圧倒的な恐怖とは少し違う恐怖。それは心臓を鷲掴みされているかのような圧迫した感じに等しかった。


 一見すると柔らかい言葉に乗せられた、重く研ぎ澄まされた重圧はおそらく僕だけにしかその鋭利さの指向性は向いていなく、こちらに視線を向けている大半の冒険者たちは、僕を包み込む剣呑な様子に微塵も気が付いていないだろう。


だから、それらの冒険達の視線、延いては傍から見れば僕が真後ろにいる研ぎ澄まされた刃のような人物の行く手を阻んでいるような、そんな図が見えているに違いない。


 しかし、それは全くもって違う。蛇に睨まれた蛙という言葉があるように、自分よりも圧倒的強者の前に立っている場合、意思とは裏腹に脳がそれを拒否し、身体はたちまち動けなくなってしまう。


「す、すいません……」


 だが、ベルーゼとの戦いを経て、比べることさえ出来ないような強者との死闘を繰り広げた結果、方向性の違う恐怖でもある程度の耐性は出来ていた。なので、邪魔と言われてから数泊遅れてしまったが、身体の向きをそのままにしながら横移動し、何とか塞いでいた通り道を空けることが出来た。


「……ありがとう」


 ボソッと僕だけにしか聞こえないような、むしろ僕でさえギリギリ耳に捕らえられたその感謝を表す一言は、ぶっきらぼうながらも気持ちは確かに伝わってきた。


 そして、それと同時に僕の横を鮮血のような、あるいは炎をそのまま体現したかのような、そんな鮮やかな赤色をした髪を持つ女性が颯爽と通り抜けていった。


「確か……」


 その女性が持つ髪色は、確かに見覚えがあった。


 この世界に初めて来た日のダンジョンから戻ってきた時のこと。僕は歴代最高に並ぶ記録でギルドカード金へと昇格した。そして、噂をすればなんとやら、フランさんとその話をしている最中に、金への到達記録が僕とタイに並んでいる剣神の弟子であるという件の赤髪の少女――リリスさんがギルドに入ってきたのだ。


 その時“研ぎ澄まされた刃”フランさんは、リリスさんのことをそう説明した。僕も遠目から見た感じでは、その表現以外では言い表せないぐらい一番適切だと思った。


 だが、今は違う。


 確かに研ぎ立ての剣のような鋭さや、鉄特有のひんやりとした冷酷さはただその場所に存在するだけで感じられる。しかし、上手く言葉にすることが出来ないが、研ぎ澄まされたなんてそんな生易しい、ぬるま湯のような人物ではない。拙いながらも強いて言葉で表現をするのならば、“血塗られた刃”という方が、プレッシャーに当てられた僕としてはしっくりくる。


 何十、何百、何千と数え切れない数の魔物困難を、己の身一つだけで切り開いて来たような、そして、その返り血を全身に浴び、鈍色にびいろであったはずの鉄で出来た刃が、朱殷しゅあんに染まったような、それほどプレッシャーを感じる人物だ。


「――――」


 そんな全方位から押さえつけられるような圧力がフッと緩み、いつの間にか身体全身を強張らせていた緊張がおもむろに解けた。その瞬間、緊張が抜けたことで今にも床に座り込みたい気にもなったが、さくらやみゃーこ、ウィルもいるため何とか堪える。


 そして、僕が上れない階段を流れる水のように精練された動きで手の届かない場所まで上がっていく彼女を見て、僕は直感する。


 ――僕はあの人を越えなくてはならない。越えなくてはベルーゼには一歩も届かないだろう。


 飽くまでも推測なので詳しくは分からないが、ベルーゼとリリスさん、現時点で僕が知り得る最強の二人を戦わせたら、おそらくリリスさんが勝つだろう。それは僕と戦った時と同じく、ベルーゼの力が制限されている状態での勝敗予想だが、それでもリリスさんは異次元の強さを持っていると思う。


「越えるためにはとりあえず……」


 ベルーゼの時に確信し、今一度その確信を確固たるものにした伸びしろ、それは武器。


 カイトが拵えた現状最高の出来の物でも、ベルーゼの攻撃の前ではまるで鉛筆のように使えば目減りしていく単なる消耗品となってしまった。もちろんこれはカイトが悪いのではなく、ただひたすらにベルーゼが強すぎる事のが問題なのだが、鍛冶師にとってこれを慰めの言葉として掛けたところで、「はい、そうですか」と納得出来るはずがないだろう。


 その言葉は鍛冶師からしたら、お前は技術不足と言われているのとさほど変わらないだろう。


「ーーーー」


 カイトの武器が一から作る武器ではベルーゼには届かない。それは紛れもない真実で、動かしようのない事実だ。だが、もう一度言うがそれはカイトが悪いわけではない。


 パンを切るときにはパン切り包丁を使うように、あるいは魚をさばくときには出刃包丁を使うように、用途に合った種類を使うのと同じように、ベルーゼを倒すにはそれ専用の物を使えば良い。そして、刃こぼれを治したり、切れ味を戻すために研いだりと、そういう作業は僕の専属の鍛冶師であるカイトに任せれば良い。


 だから、ベルーゼを倒す専用の剣ーー


「ーーアーティファクトを取りに行かなきゃ」


 こちらの世界では周りの人々の力添えのおかげもあって僕はある程度強い部類に入るが、向こうの世界、地球では過去の自分とは言えさくらにひたすら寄りかかるしか脳にない一辺倒で、てんでダメダメな自分のままで時が止まっている。


 そんな自分がまた出てくるのではないかと、多少忌避する自分がいるのは他の誰でも無い自分が一番よく知っているが、それを乗り越えるためにも、そして、僕が越えなくてはいけない人物――リリスさんに少しでも近づけるように、一度地球に帰らなくてはいけない。


 そう方針を固めたと同時に、フランさんが階段から心配そうな顔をして焦りながら駆け下りてきた。


「――ッ!真冬くん……それに皆も!!大丈夫!?」


 形の良い優しそうな眉がこれでもかと言うほどまで下がり、僕やさくら、みゃーことウィルと順番にぺたぺたと身体を執拗に触るフランさん。そんなフランさんの姿をおぼろげな視界に捉えながら、僕は身体の力が徐々に抜けていくのを感じていた。


「フラン、さん……」


 ベルーゼとの直接対決、難を逃れた後の帰路、そして追い打ちを掛けるようにリリスさんのプレッシャーと、精神と肉体の両方の体力をやすりで削るように立て続けに起きた波瀾万丈な出来事。それらの後に文字通り身体を預けられるほど安心できる人物が目の前に来たのならば、起こることはただ一つだけ。


「――――」


 僕は温かく、まるでマシュマロのようなものに包まれながら目を閉じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る