第168話 月と太陽

 それから僕たちは、夜空に輝く星を時間を忘れたかのようにゆっくりと堪能してから、再度空を飛んで家に帰ることにした。


「綺麗だったねー」


 ウィルはこちらを向き、星空と同じくキラキラと輝いている瞳で僕に言った。


「そうだね、そう言えば向こうの世界には星とかってあるの?」


 往路と同じように、また僕の手を引いて先導してくれているウィルに尋ねる。すると後ろから微かに見えるウィルの表情は見る見る内に複雑なものに変わり、その表情と同じ声音で


「まあね……でも久しく見てないんだ」


 まるで陰ってしまった月のように暗く鬱々とした声は、ウィルが今どんな感情を持っているのか容易く想像させ、それはさながら太陽に照らされていない真っ暗な月のようだった。


「理由を聞いてもいい?」


 エルフであるアルフさんとの出会いを思い出せば分かる通り、ウィルは大精霊が故に対等に向き合える存在に滅多に出会うことが出来ない。だから嬉しいことはもちろん、悲しいことや辛い出来事に出会っても、誰一人として自分と同じ目線で話を聞いてくれる人がいなかったのだろう。


 そのため今のウィルは、僕の目からは一人で泣くのを堪えているような気がした。ある面しか顔を見せない月のように、無理をしてでも明るく朗らかに笑っている様な。


「良いけど、対して面白くないよ?」


 ウィルは僕に顔を見せずに尋ねてきたので、それに対して僕は何も言わずただ頷いた。言葉は要らない気がして。


「……僕ね、一応光を司ってるけど昔は暗かったんだ。太陽のいない月のようにね」


 ――そんな比喩を口切りに、ウィルは昔の話をし始めた。




 光から生まれ光を司る大精霊ウィルは、いつもひとりぼっちだった。その原因はその生まれ持った性質とは真反対の、表情は暗くいつもネガティブなことしか口にしなかったからだ。


 そんな根暗な光の大精霊とは反対に、同時期に闇から生まれ闇を司る大精霊シェイドはいつも明るく朗らかで、とてもポジティブだった。そして、周囲にも優しいシェイドにはいつも人だかりが出来ていた。


「ねえねえ、こんなところで何してるの?」


「――――!?」


 シェイドは持ち前の明るさを持って、小高い丘の上にある大きな木の下で小さく身体を畳みながら何もせずただただぼーっとしているウィルに話しかけた。すると話しかけられることを想像さえしていなかったウィルは突然の出来事に驚き、居場所がないとでも言うかのように出来るだけ小さくなっていた体勢を崩し、丘からゴロゴロと転げ落ちた。


「……痛い」


 頭と足が二転三転と少し転がったところでようやく止まったウィルは、身体中に付着した草や葉っぱを払いながらボソッと一言呟いた。その声量は取り払われていく草や葉さえも聞き逃してしまうほど小さかったため、慌てて駆け寄っているシェイドには到底届かなかった。


「おい、大丈夫かー?」


 シェイドは、自分では一通り身体に付いた余計な物を取り払ったと思っているウィルに心配の声を投げかけた。しかし、シェイドが心配の眼差しで怪我が有無を確認するため、ウィルのつま先から頭の先まで視線を映したところで、シェイドはある一点を見つめ、


「……ぶっっ……ハッハッハ」


 思いっきり吹き出した。


「…………?」


 ウィルは大笑いをしているシェイドの視線の先を追って、その大笑いが自分の、もっと詳しく言うと頭に向けられていることを知った。


「――――」


 ウィルは頭を見て何故笑われているのか気になり、いつも通り何てことの無い魔法を唱える。


【光魔法・反射】


 その魔法はある光を任意の場所で反射させ、その光と同じ物をその場所へと映す魔法だ。分かりやすく言うと要するに鏡を作り出せるということだ。


 ウィルは自分で考え編み出したその魔法で、嘘偽りのない自身のありのままの姿を見た。そこに映っていたのは紛れもない自分自身なのだが、頭髪には葉っぱが二つ刺さっており、その姿はまるで犬や猫のような耳が上の方にある動物のように見えた。


「…………!?」


 ウィルは急いで頭に軽く刺さっていた葉っぱを取るが、こみ上げてくる恥ずかしさから自分の顔が次第に赤く染まっていくのが分かった。そして、自分の顔が赤面していることに気付いてしまったが故に、更に赤みを増していくこととなり、次第に顔を隠すように下を向いた。


「――――」


 そんな様子を見た、そしてその原因の発端は全て自分にあるということを理解したシェイドは笑うことを即座に辞め、自分も頭を下げた。


「ごめん!友達とかと一緒のノリでつい笑っちゃた……ほんとごめんっ!」


 シェイドは先ほどの心の底から面白いと笑っていた様子とは打って変わって、今度は心の底から謝った。急に話しかけ驚かせてしまったことや、友達とかと馬鹿をやるような普段の乗りでウィルと接してしまったこと。


「――――」


 一方恥ずかしさから頭を下げざるを得なかったウィルは、何故自分に向けて頭を下げられているのかが理解出来なかった。


 自分がどんくさいから転んだ。自分の不注意が頭に葉っぱを付けて滑稽さを生んだ。だから笑われて当然だ、と。


「シェイドくんは悪くないよ……悪いのは私だか「いや、全部俺が悪い。ごめん」」


 ウィルは驚きで反射的に顔を上げ、目を見開いた。何故なら自分の所為にされなかったから。


「でも……」


 自分の悪癖を完全否定されてもなお心に刻まれた、この世の辛い出来事は全て自分の所為、と言う言葉が疼き出す。


「俺がいきなり話しかけちゃって驚かせて、その拍子で葉っぱがたまたま動物みたいに頭に付いて、それを俺がノリを間違えて笑っちゃった。だから俺が悪いんだ」


 シェイドは自身の行動を一から見つめ直し、考えた結果、自分が悪いと結論づけた。ウィルの自傷とも言える悪癖を否定してまでも。


 それはある種の暴力だ。優しい暴力。


「ごめん、許してくれ」


 シェイドのまくし立てにウィルはただただ気圧されていた。


「う、うん……」


 その結果、許しを請う言葉に肯定するしか他なかった。でも不思議と嫌な感じは全くしなく、むしろ感じたことのない清々しさが心を駆け巡っていた。それは草原に吹き駆ける夏風のようで、心に残っていた傷さえも一瞬にしてさらっていった。


「本当か!ありがとな」


 シェイドは仲直りの印に片手を出し、ウィルの手をガシッと奪った。そしてブンブンと音がするほど上下に振り、文字通りハンドシェイクを行なった。


「ところでさ、さっきの魔法どうやったんだよ……あの、自分の姿を映すやつ」


 シェイドは目をこれでもかと言うほど輝かせ、グイッとウィルに顔を近づけるも、ウィルの驚いた表情が覗いた瞬間に一歩退く。


「あ、ごめん。これくらいならどう?」


 ウィルは何回も無言で頷いた。


「分かった、それでさっきのはどうやったんだ?もう一回見せて」


 ウィルは普段息をするように行なっている魔法を使って、シェイドと自分の姿を空中に映し出した。そこに映っていたのは、光を司っているとはお世辞にも言えないほど暗いいつも通りの自分の姿と、これまた闇を司っているとは思えないほど目を見開く驚き様を見せているシェイドの姿だった。


「…………っぷ」


 ウィルは目の前に映っている自分たちの性質と性格のちぐはぐさに、何かがこみ上げてきていた。そしてそれは今までに感じたことのない感情だったため、到底抑えることなど出来るはずもなく、


「っぷ……ハッハッハ」


 と、こみ上げてくる何かに耐えきれず、ウィルは笑った。


「何だよ!……って笑った」


 シェイドは少しだけ不満そうに呟いた直ぐ後、目をぱちくりさせ、ウィルの笑顔を見つめる。そのウィルの表情は今まで見たことがなく、非常に愛らしいものだった。


「普通に笑えんじゃん」


 ウィルは先ほど自分が真っ暗な顔をしていた反射を今一度見た。そこに映っていたのは数分前の自分とは打って変わって、遠目からいつも見ていた他人の笑顔に似たやけに楽しそうにしている自分の顔だった。


 今までに幾度となく反射を使って自分の姿を見てきたが、この時ウィルは始めて自分の笑顔を見た。


「ねー、俺と友達になろうよ」


 シェイドはとびっきりの笑顔で、ウィルに握手を求めるように手を伸ばした。


「――――」


 ウィルは出された手を掴んだ。シェイドと同じ弾けるような笑顔で。




 それから二人はまるでピースがあったように意気投合し、日に日に二人の仲は良くなる一方だった。そしてどこに行くのにも二人で一緒だった。


 月と太陽。二人はそう言われていた。


 ウィルが月で、シェイドは太陽。司っている性質的には真逆だったが、本人達も納得していたし、心からお互いを認めていた。




 それからまた月日は流れ、精霊達は人間と一緒に暮らすこととなった。そのため二人には良くも悪くも劇的な環境の変化があった。


 まずは光の精霊であるウィル。ウィルは太陽に照らされた月のように表情や性格が明るくなっていた。そのおかげでウィルの周囲にはいつも人が溢れていた。いつかのシェイドみたいに。


 しかし反対にシェイドは、闇の精霊ということで精神操作が主な闇の魔法が得意であるため、人々からは言葉にしたり態度で示されたりなどの明確な拒絶は無いものの、人々との心の距離が分かるぐらいには関わりが薄かった。


 そして、皮肉にも二人は自分が司る性質と同じような立ち位置となってしまった。


「シェイド―、遊ぼー」


「うん!」


 しかし、立ち位置が変わっても、立場が変わっても、それでも二人の関係が変わることはなかった。明るくなったウィルにとってシェイドは未だ眩しく憧れの太陽で、暗くなってしまったシェイドにとってウィルは優しく照らし返してくれる月のような存在だった。


 だが、人間という欲深な種族が自分たちの世界に介入したことはシェイドの性格を変えただけでは飽き足らず、世界とウィルに闇をもたらした。




「シェイド、シェイド!!」


 ウィルにとっての太陽、シェイドは人間に取り込まれた。




 シェイドを取り込んだ人間の力は強大だった。闇の大精霊であるシェイドは闇をそのまま具現化したような力を持っている。そして力が強いことはもちろんのこと、能力が実に厄介を極めていた。


 闇魔法の軸は、主に精神操作。それを極めていたシェイドは精神を持つ者ならば誰でも思いのままに操ることが出来た。そのためシェイドを取り込んだ人間は手当たり次第目に付いた者を、自身の操り人形とした。


 手当たり次第とは神をも例に漏れず、階級が低く精神力がない神は強力な傀儡とされてしまった。


 それからは名のある神や精霊たちの必死の奮闘により、その人間をどうにか負かすことに成功した。しかし、完全に倒した訳ではないため、シェイドがウィルの元へ帰って来ることはなかった。



「その頃から僕は空を見上げなくなったんだ……」


 寂しそうに空を見上げるウィルの目には、シェイドという闇の精霊を見ているように思えた。

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