第239話 本気

「今から全力で気を出すから、感じ取って」


 リリスさんはそう言うと、僕の方へと向きを直した。そして、軽く息を吐くと、


「――――ッ!!」


 瞬間、まるで絶対零度の嵐が僕の身体を吹き抜けたように全身がこれでもかと言うほど粟立ち、数秒経った後ようやく冷や汗をダラリと垂らしている自分が、生きるために最低限必要な呼吸を忘れていたことに気が付いた。


「…………」


 今思えば大鬼と戦った時、リリスさんの身体からは誰も寄せ付けないぐらいの猛烈なピリピリとした鋭さが溢れ出ていた。


 しかし、横に居て大鬼という強大な攻撃目標を共にしていた時のそれと、目の前で実際に自分に向けて発せられた物とは余りにも差が開きすぎて比べものにならなく、今さっきは自分が今生きているのか、あるいは身体全身を粉々に刻まれとっくに死んでいるのか自分でも一瞬分からなくなる程だった。


「気をコントロール出来るようになれば、今みたいに戦わなくても勝てるようになる」


 リリスさんは勝てるという言葉の意味まで深く言わなかったが、並大抵の冒険者であれば今のをまともにぶつけられていたら冗談や比喩抜きで文字通り心臓が止まっていただろうし、おそらく一週間前の僕でもそうなっていたに違いない。


 つまりは勝てるということは、余りにも格下の相手に気を浴びせれば、相手を容易に殺せると言外に言っているのだ。


 それぐらいリリスさんの全力の気は重苦しかった。


「死ぬかと思いました……」


「マルスのはもっとだから」


 このリリスさんですら遠い目で語る様子を見て、再三再四マルスさんの凄さは聞き及んでいるし実戦を通して体感してもいるのだが、冒険者2位であるマルスさんについて知れば知るほどドンドンと遠ざかっていくような気がしていた。


「それよりも気は大体分かった?」


「全然です……正直それどころじゃなかったので……」


 ただの気と言うよりはもはや殺気と呼んでも良い凄絶な気に晒されたため、自分の首がきちんと繋がっているのか判断しかねる状況で分析が出来るほど、僕の肝はしっかりと据わっていない。


 そのため、気という物を全く理解することが出来なかったのは至極当然だろう。もっとも、あれほどの物をぶつけられてもなお分析することが出来、更にそこで漠然とした気を理解出来るのなら、師匠を付けて修行をする意味があるのかはなはだ疑問だが。


「それじゃあ今度は少し弱めで」


 そう言ったリリスさんは先ほどと同じ手順で気を発した。


「――――!」


 先ほどは殺気と見紛うほどの猛烈な気を全身で浴びたため、意図せずとも身体が防御態勢に入ってしまい、結局気に関して何も掴むことが出来なかった。しかし、今回は殺気を感じるほどの強さではなく、それに加え極度に強い物を浴びたばかりだったためその落差から、何とか余裕が保てた。


 その結果、一つだけ分かったことがあった。


「魔力に比べてもっと鋭い感じですか……?」


 魔力を指向性も性質も何も付与しないでただ放出した場合、イメージ的に言うと、温泉や熱湯から漂う湯気や煙みたいにゆらゆらと漂う感じとなり、実体があやふやだからこそ思った通りに形を変えられる。だから、基本的には魔力を用いる魔法は想像した通りに発動されるのだ。


 だが、反対に気に関して未だに完璧に掴んだとは言い難いが薄らと感じた事で言うと、リリスさんが放出した気は、もっと硬く、気とそうではない部分の境界線がハッキリとしているような感じがした。


 例えて言うなら、魔力はゆらゆらとして実体が掴めない火のような物で、気はハッキリと実体と外界が分かれている氷のような感じと言えば分かりやすいだろうか。


 いずれにせよ、もしそれが正しければ、


「もしかして僕のあれ、入ってましたか?」


 あれ、とはリリスさんとの鬼ごっこの時に見せた最後の一撃のことだ。


 あの技は、強敵と戦うときにいつも使っていた技が元となっているが、リリスさんとの鬼ごっこの時に出した物とは文字通り次元が違っていた。


 そして、それは当然力を込めた感触も同じで、魔力とも体力とも違う何かが籠もっていた気がしている。そうでなければ、あれだけの威力は出るはずがない。


「まだコントロール不足だったけど、一応は入ってた」


 もしも完全に気をコントロールし適切に扱うことが出来るようになれば、一部だけとは言わずこの森を完全に消失させることが可能だと言う。そして、リリスさんの見立てによるとその威力は直接当たらずとも大鬼を軽く消し飛ばせるほどの物らしい。


 ちなみに比較で言うと、森の一部を消し飛ばした先ほどのあれの威力は、大鬼に綺麗に当たれば普通に消し飛ばせる位とのことだ。


「そうですか……あと少しで掴めそうなので、リリスさんもう一度お願いします」


 まだ手に残っている魔力とは違う何かしらの強大な力の感触。おそらくそれは今掴みかけている気であり、いずれは手中に完全に掴まなくてははいけない力だ。


「行くよ」


 再度、弱まっているとは言え身体が思わず強張ってしまうほどのリリスさんの猛烈な気を浴び続けたのだった。

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