第236話 近道

「私が追うから逃げて」


 リリスさんは剣で軽く素振りをすると、そう言った。


「あの……本気は出さないでくださいね」


 僕も剣士のため剣を取り出しながら恐る恐るリリスさんの顔色を窺う。


「安心して、戦技は出さない」


 何をどう安心すれば良いのか今一分からなかったが、とりあえず頷く。


 リリスさんと言えど戦技を使わなければステータスでは僕の方が上らしいし、この前戦った時よりも僕は格段にパワーアップしている。そのため、いくら何でも一方的なワンサイドゲームにはならないだろう。


「――――」


 しかし、そんな思いは後に打ち砕かれるのであった。




「じゃあ逃げて」


 僕は10秒後に僕を追いかけ始める鬼のリリスさんから、一目散に逃げた。


「――――」


 森の中は過密過ぎず過疎過ぎず、種類や大小など実に様々な木々が丁度良い感じに乱立しているため、やはり今までに習得した技術を全体的に強化する修行にはもってこいだった。


 しかし、一つだけ疑問があった。


 それはリリスさんがいくらトップ冒険者とは言えこの鬱蒼とした森の中、僕が本気で逃げたら見つけること自体が困難なのではないか、と素朴な疑問だ。


「――――」


 僕の力がリリスさんを圧倒しているという慢心も、リリスさんの確かな実力を軽視しているわけではない。


 それでも、僕が今のステータスを持ってして10秒間野放しにされたら、どれだけ開けている場所でも姿がゴマみたいに小粒のように、あるいは見えなくなるぐらいまで瞬く間に離れることが出来る。


 それに加えて、ここは開けているどころか10メートル先が枝や葉、幹に邪魔されて綺麗に見通すことが出来なく、イメージとしてはジャングルや樹海のようになっているため、直接視認することが不可能なのでリリスさんが千里眼のような能力を持っていなければ鬼ごっこは成立さえままならないだろう。


「――――」


 それらの状況を合わせれば、10メートル先も見通せない視界の悪さの中で、最低でも1キロは離れている僕を見つけなければならない。


「さすがにリリスさんでも厳しいんじゃ……」


 そう思った矢先、先ほどまで糸を張ったように静寂だった森が急に怪しくざわめきだした。


「…………」


 この森で一体何が起こっているのかは分からない。しかし、今必要なことはこの場から逃げること、それしか頭に浮かんでこなかった。


「――――ッ」


 僕はついさっきまで居た場所から一度も振り向かずに走り去った。だが、いくら逃げようとも突如として幕を開けた森のざわめきはまるで僕を追ってきているかのように追従してこっちに来ており、右へ左へどれだけ方向転換しても僕から離れる気配は感じ取れなかった。


「…………」


 いや、それどころか、森のざわめきは次第に大きくなっており、僕に近付いて来ているように思えた。


「まさか……」


 嫌な予感が胸をざわつかせる中、ちらりと一瞬だけ後ろを振り返った。


「――リリスさん!!」


 嵐が来たように急に響きだした森のざわめき。その正体は僕を猛追してくるリリスさんだった。


「索敵はトップ冒険者には欠かせない」


 リリスさんはどういうわけか、僕にマーキングをしていたかのようにぴったりと逃げた先を把握していたのだ。


「そんな事よりも……!!」


 どうやって僕を見つけ出したのか、それは確かに気になる。しかし、今はそれどころではない状況だ。


「もっと早く逃げないと……!!」


 徐々に近付いてくるリリスさんから逃げる速度をもっと上げたい。だが、ランダムに配置され、ランダムな構造を持つ木々達にそれを邪魔される。


「――――」


 このルートならば少しの間真っ直ぐに走れると思っても、薄暗闇の影から枝が伸びて行く手を阻む。それを避けるため、ほんの少し進む方向をずらせば、また視覚的に見えない幹が立ちはだかる。


 そんな感じに3歩真っ直ぐ走れれば御の字という複雑な迷路のなか、今までにそれなりに習得したと思っていた方向転換や停止など数々の技術を頭が痛むほど高速で思考し、今までよりも高度に駆使しても全くと言っても良いほど思い通りに進めない状況だった。


「これぐらい目瞑っても全速力で走れないと」


 そう言うリリスさんは戦技を使っていないので僕よりステータスが低いにも関わらず、言葉通り目を瞑りながら自分と僕の間に空いた距離を徐々に縮めていた。


(真冬さん、手伝いましょうか?)


 そんな時、ナビーの声が頭に響いた。


「――――」


 確かにナビーの手を借りれば、圧倒的な情報処理速度によってこの複雑な迷路でも比較的シンプルに進むことが容易に出来、現時点でのリリスさんの早さが相手であればあっという間に差を生むことが可能だろう。


 それぐらいナビーは頼りになる。


 しかし、追ってきているリリスさんから逃げるという点ではこれ以上にないほどの魅力的な提案だったが、僕は首を縦には振らなかった。


「いや、僕一人でなんとかする」


 リリスさんとの修行の間、ナビーには習得したい技術のアドバイス以外の手助け、例えばマルスさんとの戦闘で作戦の立案を一緒にすることやマルスさんの攻撃の予測など、人間には持ち得ないはずの情報処理を用いて産出する最適解を教えて貰わないようにしていた。


 何故なら、ナビーの口出しがあればマルスさんにもう1歩や2歩、下手したら数歩確実に近付くことが出来てしまうからだ。


「――――」


 いくらでも失敗や挫折を味わっても良い修行の時点でナビーに手軽に頼ってばかりでは、それらが致命的になってしまういざという時に、僕は自分よりも圧倒的に強大な力に立ち向かうことが出来なくなってしまう。

 そのため、僕が躓く所以外ではアドバイスをしない方針に事前にしていたのだ。


「――――」


 だから、今回も思い通りに進めない中、猛スピードで追ってくるリリスさんから逃げる術を自分で見つけなければならない。それが長期的に見て僕を成長させる唯一であり、絶対の近道だから。


(そうですか……真冬さんならきっと出来ます。健闘を祈ってます)


 そういって鳴りを潜めたナビーに僕は心の中でお礼を言う。その後すぐに頭を切り換える。


「――――」


 さて、自分よりもこの複雑な状況を上手く乗りこなせているリリスさんからどうやって逃げようか。

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