第164話 外

 溜め込んでいた感情を流していた母は、いつかのさくらのように腕の中でスヤスヤと寝息を立てて寝てしまった。先ほどの悲しみなどは寝顔には一切表れておらず、反対に安心しているのと落ち着いているのが見受けられたので、僕の方もとりあえずは一安心した。


「これで良かったのかな……」


 ソファーに寝かせた母にブランケットを掛けながら、どこに行っていたのやら音もなく現れたウィルに向け、疑問を投げかける。自分の中では完璧な正解とまでは言えないし、そもそもの話正解が分からないので何とも言い難いが、及第点ぐらいは付けてもいいだろうとは思っている。


 しかし、何らかの方法でどこかでひっそりと見ていただろうウィル、つまり第三者による外から見た評価がふと気になった。


「んー……それは僕にもまだ正解かは分からない。でも、これだけは一つ言える。間違ってはいないよ、きっと」


 ウィルはそう言うと、僕の目から顔を逸らし、母の顔を一瞥。その後しみじみと何かを噛みしめるように深く頷いた。


「そっか、ありがと」


「ううん、それより少し外に出ようよ」


 ウィルは気にも留めないといった様子で金色の髪をなびかせ数回首を振ると、虫の鳴き声がさざめく窓の方を見やりそう言ってきた。


「良いけど、何で?」


 時計の短針も下り坂に入って夜も良い頃合い、日中に比べて気温にしては快適だが、今出るにはそれなりの理由があると思ったので、尋ねてみた。するとウィルは、あっけらかんとした声音で、


「地球の夜を見てみたいんだ、あと……」


 ウィルの楽しみにしていそうな表情で述べた前半部分でおおむね外に行く理由になっていたので、急にトーンダウンしたせいで聞き取れなかった後半部分は聞き返さないことにした。


「それじゃあ少しだけだよ」


 向こうの世界、つまり異世界では昼も夜も場所によってはある程度の活気が街に溢れており、本当の意味での皆が寝静まる、夜というものが無いに等しい。


 対して、ここ日本では、日中は気温が高く湿度も異常と言える程までに高いため息をしているだけで疲れるものの、日が落ち、外が人口の明かりと天然の明かりの強さが追い抜き追い抜かれを二回した月明かりが照らす頃、火照った身体を冷やす風、虫の鳴く声、静かな空、全て平等に照らす月と、筆舌にし難い風情漂う世界へ様変わりする。


 ウィルには後者を是非体験して貰いたいと思った。僕が異世界で感じた毎日がお祭りのような活気ある雰囲気に心を躍らせたように。


「やった、早速行こう!」


 ウィルは僕の手をパッと取り、引き摺るような勢いで外に飛び出そうとした。


「ちょ……っと!」


 ものすごい勢いと力で引っ張られるが、ソファーで寝ている母を起こさないように極力音を出さないように細心の注意を払って玄関へと歩みを進めた。


「――――」


 ウィルが何かをしたのだろう、いつもはガチャとリビングにいたら間違いなく聞こえるほどの音を立てて開く玄関の扉が、何の音も出さずに開いた。


 そして扉が開いたのと同時に外に転びそうになりながら出ると、やはり人工の光は街灯を除いてほとんど無く、優しく柔らかな月明かりが僕らに降り注いでいた。


「わぁ……綺麗……」


 思わず口をぽかんと開けて空を見上げるウィルを尻目に、閉まりかけている扉の隙間からこちらを見つめるみゃーこの目に、僕はアイコンタクトで語りかける。


(来ないの……?)


 するとみゃーこは僕の言いたいことが分かったのか、すぐに首を左右に振った。そして、その直後に扉が案の定何の音も立てずに完全に閉まった。


「ほら、早く行くよ」


 その言葉通り更に力強く引っ張るウィルの進行方向とは別の、閉められた玄関の扉を僕は見ていた。


「――――」


 閉まる直前のほんの一瞬、その僅かな瞬間に溢れるように見えたみゃーこの悲しそうな表情。それは僕たちに置いてかれるとか、そんな程度の問題ではないような悲しみの顔だったが、理由がまったく分からない僕はみゃーこに引っ張られ、しんとした空気が漂う夜の空へと飛び立った。

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