第157話 第一歩
周囲の魔力はさくらを通して風となった。至って普通の風だ。
違う箇所が一つあるとするならばそれは、ドライヤーや扇風機などの機械から出ているのではなく、さくらの手から放出されていることぐらいだろうか。
「――――」
そのさくらの手から放出されている風は、突風とまではいかないが強風と呼べるぐらいの風力はあり、それを浴びているウィルの髪は不思議にも見る見る内に湿り気を飛ばしていっていた。
「――――?」
何故あれだけの風量がありながらもウィルはそよ風を受けているかのように心地よさそうにしているのか、何故それほどの熱を感じない風であるはずなのにあんなにも早く水分が飛ばされていくのか、主な疑問はそんなところであった。
しかし、そんなふと湧き出てきた疑問よりも、僕はさくらがウィルに与えられたこの無理難題をこなすことが出来るのかが気になって仕方が無かった。
「間に合え……!」
ウィルの頭上の砂時計を見る。上に残された時間はもう微量と言えるほど残っていないが、さっきの渇かす速さを見れば間に合うかも知れない、と自然と僕の握った拳に力がこもるのを感じていた。
「――――」
瞬く間に湿り気を飛ばしていったウィルの髪が完全に乾ききったことを確認すると、さくらはみゃーこに魔法を向けた。
湿り気を帯び大きな束となっていた体毛が、次第に細かくそしてサラサラに変化していくのが目に見えて分かる。その速さはドライヤーなどでは到底足下にも及ばないほどで、それはまるで乾燥機に掛けているように思えた。
「最後……ッ!」
さくらが苦しそうに出したその言葉通り、後は残すところさくら自身、ただ一人だけになった。すでに終えた腰まで伸ばした金髪のウィル、全身が体毛に覆われたみゃーこと、その両者と比べてさくらは肩口までしか髪を伸ばしていないため比較的早く渇くだろう。
(これならいける!)
唇を固く結び力を込めているさくらの表情からあと一踏ん張りだ、という表情が見て取れたため、これはあくまで僕の考えだったが、きっとさくらも同じ事を考えているのだろう。
それを証明するかのように、さくらが魔力を更に放出するのが感じ取れた。
そして自分ならば加減は必要ない、とより一層風力を上げた風がさくらの髪を包み込んだ瞬間、
――ゴーンゴーン
そんな後もう少しという淡い希望は、無慈悲にも終わりを告げる鐘の音が粉々に砕いてしまった。
「はい、そこまで」
ウィルが指をパチンと軽く鳴らすと、自身の頭上にあった砂が落ちきった砂時計が音もなく消え、それと同時にさくらの魔法と魔力、さくらの髪の湿り気も一瞬のうちに消え失せた。
「そんな……」
さくらは力無くへたりこむようにして床へ座り込んだ。その姿はあまりにも痛々しく、弱々しく、見ているだけでこちらまで涙が溢れそうになってくるほどだ。
そんな重苦しい雰囲気を割るかのようにウィルは、背中を丸め頭を垂れ下げているさくらの名前を呼ぶ。
「さくらちゃん」
自分の名前を急に呼ばれたことによってびっくりしたのか、肩を一瞬だけ跳ねさせはしたものの、さくらは
しかし、ウィルはもう一度さくらの名前をはっきりと呼ぶ。
「さくらちゃん」
ウィルの声はさくらの重苦しい雰囲気とは真逆の明るい声音であり、まるで小さな子どもが飛び跳ねながら遊んでいる様のようなその声は、さくらが今抱えているであろう届かなかった悔しさや悲しさを撥ね除けるほどの力を持っていた。
頭にのし掛かっていた物を取り除いて貰ったさくらはゆっくりと顔を上げた。そして笑顔のウィルと目が合う。
「さくらちゃん、君は頑張ったよ!……正直ここまで急成長すると思わなかった、まさか型破りが出来るようになるとは」
少し赤く腫れた目に小雨の後の水たまりのような涙を目尻に溜めながら、さくらはきょとんとした顔で尋ねる。
「型破り……?」
「そう型破り、結構魔法が出来る人でも中々出来ないことなんだよ。それを君はやってのけた」
さくらは僕の方を恐る恐る見る。その顔には期待に応えられなかった事に対する自責の念や自身への不甲斐なさなどが大半だったが、その中には子どもが親に何かを披露した後のような期待感が顔を覗かせていたので、僕は自然に溢れた笑顔のまま頷き、
「ウィルが無理を言っていたとは言え結果的には成功出来なかったけど、それよりもさくらは成長出来たから……頑張ったね、お疲れさま」
さくらはその言葉を聞き届けると同時に僕に飛びつき、胸元で泣き始めた。
最後に一瞬だけ見えたさくらの泣き顔は悲しさや辛さではなく、純粋な嬉しさから来る涙のように感じたので大人しく飛びつかれ、今は初めての挫折を乗り越えるための第一歩を踏み出せた喜びを噛みしめさせてあげることにしたのだ。
「ごめん、嬉しくてつい……」
さくらの涙でびしょびしょに濡れてしまった服だ。
「僕の方は大丈夫だけど、着替え終わるまでご飯は待ってて」
僕がそう言い部屋を後にしようと腰を上げると、ふと服の袖をきゅっと掴まれ、行く手を阻まれた。
「ちょっと待って」
袖を掴んできたのは、顔が今にも飢餓で死んでしまいそうに思えるほどげっそりとやせ細っているウィルだった。その目は虚ろに見えるが、魔法の影響が出ないところまで運んだ料理が乗ったテーブルの方を確かに向いており、その執念は察するに余る物だ。
「――――!?」
早くご飯が食べたいと思いながらも、濡れた服を着替えに行かせないという謎の行動に驚き、疑問に思っていると、ウィルはおもむろに指を鳴らした。その乾いた音は誰一人として言葉を発していないリビングに綺麗に響き次の瞬間、指を鳴らした本人以外の誰もが驚きの声を挙げる。
「え、渇いている……」
僕は今の今まで濡れていた服を触り確かめる。
「ほんとだ……」
さくらも同じく服をなでつける。
「すご!これではやくたべられるにゃ」
にゃーこはいつも通り、食事以外には大して興味を示さなかった。
「――――」
僕とさくらは必死に食べ物を口に運ぶウィルを見て、多分同じ事を思っているだろう。
――ウィル程の実力なら濡れた物を渇かすのなんて一瞬あれば足りたのだと。
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