第84話 一光年

「そんな簡単な話じゃないだろ……」


 カイトは物憂いげにそう呟いた。おそらくその一言は僕とさくらの、延いてはこの世界中の人々の声を一緒くたにしたような実感がこれでもかと言うほど濃密に籠もっており、ウィルのように楽観の上に楽観を重ねたようなふわふわとした気持ちで挑んでは到底乗り越えることが出来ない、と誰も彼もが持っている共通認識だ。


 一光年は光が一年で進む距離のことを指す。これになぞらえて考えると、他の追随を許さない速さを持つ光からしたら決して短くはないが一年待てば手が届く距離でも、僕ら人類からしたらその距離は約9.5兆キロメートルという想像することさえ容易ではないほどの莫大な距離になってしまう。

 ウィルと僕たちの認識の差はちょうどこれと酷似しているだろう。


 ダンジョンの攻略――それは言葉通りダンジョンが建設されてから今の今まで誰にも成し得ず、また誰にも為されないままでいる夢のまた夢のような遙か遠い目標。


 或る人は名声のために。

 また或る人は富のために。

 そして或る人は他人のために。


 様々な命知らずが野望、憧憬、理想のためにダンジョンに挑むが、最終目標は誰もが植物の根っこを先から上に辿っていくかのように、ある一つの当然の帰結を口にする。


 ――誰よりも上に登りつめたい。


 名声のために挑む者は、誰よりも有名になりたいと。

 富のために前に進む者は、誰よりもお金を持って贅の限りを尽くしたいと。

 他人のために力を振り絞る者は、自分が世界中の皆を幸せにしたいと。


 しかし、それを達成した者は誰一人として存在していない。そして、それを夢見た者は誰一人としてこの世で天寿を全うできない。


「そうだね、確かに難しいかもしれない。でもやるしかない」


 僕の口からは生物がこの世に誕生した時から呼吸をするみたいに、そして誰に教わる訳でもなく産声を挙げるかのように、ごくごく自然と、ごくごく当たり前にその言葉が出てきた。


 この時の僕を前の僕が見たら何て言うのだろうか。恥ずかしがって照れるのだろうか。それともこんなの僕じゃないと目を背けるのだろうか。いいや、おそらく目を背ける前に見ようともしないのではないか。

 現実から目を背けてきた弱い僕だから、助けて貰うのを待つだけだったから。


 でも、今は違う。


 こうして僕が意志を示すだけで、僕が言葉に出すことで、行動で見せるだけで目の前にいる人に熱が伝わって、その熱で僕も燃え上がる。


「そうだな、やってやろうじゃないか!」


「やるしかないね!」


 赤髪の青年はその髪に似つかわしいほど情熱的に、黒髪の少女は何時にも増して凜々しい表情で決意した。


「やるにゃ!」


 そして、最後の若干1名のおかげで、赤髪の少年と黒髪の少女が直前に発した威勢よりも何倍もの大きな声が蔵中に響いた。

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