第204話 地獄の底まで

 大鬼が振下ろした、余りにも大きすぎるため聴覚が機能しなくなってしてしまうほどの爆音を伴った剣の衝撃は、起点を中心に波紋のように全方向へと円状に瞬く間に広がっていった。


 そして、辺り一面に広がっていた真っ白な草原を手当たり次第無慈悲に捲り上げ、刹那の出来事であったため逃げる間もなくそれに乗せられた僕たちは、まるでぬいぐるみでも投げたかのように錐揉みしながら飛ばされた。


「――――ッ」


 吹っ飛ばされてから勢いを徐々に無くした僕の身体は、地面へと叩きつけられるように背中から着地し、そのままされるがままに転がる。


「…………」


 大鬼の衝撃に乗せられ飛んできた大小様々な砂や石、岩などの堅牢な物質達は、僕たち人間に比べて小さく軽いが故に僕を遙かに凌ぐ勢いで飛来してきたため、僕の身体に無数衝突し、当たったところは大小様々な打撲や、擦り傷、切り傷など、目も当てられない数出来ていた。


 更に勢いは弱まっていたとは言え、着地と同時に地面を転がったのも決して少なくないダメージをもたらしていた。


「…………」


 身体全身が隈無くヒリヒリと擦り傷で痛み、所々では大きな岩とぶつかったため脈を打つようにドクドクと鈍痛が走る。


 満身創痍、とはまさにこのことだろう。

 

 経験したことのない痛みから地面に伏せていること以外、他に出来ることがなかった。


「真冬さん、無事ですか!?」


 ナビーの声が痛みや耳鳴りをかき分けて直接、頭の中に響く。


「すみません、指示できなくて……あの魔物、感知がほとんど出来ません」


 その後、ナビーから告げられた大鬼の情報はただ一つだけだった。


 それはあの大鬼は自我を持つほど超強化されたことによってダンジョンから完全に独立したため、この階層は疎かダンジョン自体、つまりこの塔からも出られるという驚愕の事実だった。


「……だとすると、ここで止めなくちゃ……」


 例え一ミリでも動こうものならば全身を駆け巡る稲妻のような痛みを何とか堪え、僕はコートのポケットから、ここに来る直前にフランさんから貰った回復薬一本を全身に満遍なく掛け、もう一本は地面に這いつくばったまま飲み干した。


「――――」


 身体に掛けた物、直接摂取した物、それらの回復薬は上等な物だったらしく、おかげで大きなダメージは残る物の、少し切ったぐらいの細々とした傷の痛みが消える程度には回復することができた。


「正直なところ、それはおすすめできません」


 まだ完全には傷が癒えていないため、生まれたての子鹿のように震える足でどうにか立ち上がろうとする僕を、ナビーは冷酷で淡々とした口調で止めに掛かった。


「今の真冬さんではあの魔物には到底敵いません。……万全の状態のリリスさんでも、望みは薄いでしょう」


 ナビーは飽くまでもスキルのため僕の身体を直接動かすことは出来ない。しかし、ナビーは僕の事を言葉によって間接的になら動かすことが可能だ。


 何故なら、ナビーが僕に対して言うことは絶対に近く、そして間違えることはない。だから、ナビーが無理と言えばそれは無理で、可能と言えばそれは可能なのだ。


 それほどまでに信頼しているし、信頼に足る実績を持っている。


「これを言えば諦めていただけると思いますが、あの時のベルーゼを上回ってます」


 僕とウィルが力を合わせて死力を尽くして戦ったベルーゼ、その時は一撃、ただ一度だけ攻撃を当てれば良かったのだが、今回はそうではない。


 ベルーゼよりも強い大鬼を倒さなければいけないのだ、その難易度は指数関数的に跳ね上がっていると言っても決して言い過ぎではないだろう。


「――――」


 今までで一番強い敵に満身創痍の僕たちで挑む、これを無謀と言わずして何を無謀と言うのだろうか。


「……ですので、広場で貰った物を使って帰りましょう。そして、万全の準備を整えてから挑むのが――「それは出来ない」」


「――な、何故ですか!?」


 今まで車に付いている本当のナビの様に、事実だけを淡々と述べていたナビーだったが、僕の反対にさすがに声を荒げた。


 回復薬では痛み止めにすらならない程の大きなダメージの所為でゆっくりと立ち上がったのと同時に、少し離れていたさくらたちも緩慢な動きながらもしっかりとした足取りで立ち上がる。


 そして、僕たちが衝撃に飛ばされている間も僕たちを守るために、たった独りで圧倒的な強者と戦っているリリスさんのサポートに向け、集中力を高め始めていた。


「僕は仲間を置いて、独りだけ逃げるわけにはいかないんだ」


 まだ中身を確認していなかったのだが、ダンジョンの外で貰った物はナビー曰く、使うと現在居る階層の十分の一の階層まで瞬時に戻れるという、特殊で高価な代物らしい。


 しかし、それを使って帰れる人数はおそらく決まっているだろう。もし仮に人数制限が無かったとしても、絵に描いたような戦闘狂のあの大鬼が大人しく逃げさせてくれるはずもない。


 結局の所、誰か一人はここに残り時間を稼ぐ、つまり結果的に犠牲にならざるを得ないということだ。


「だとしても、合理的に考えて真冬さん一人でも助かった方が……!!」


「そうだね、でもそれはやっぱり出来ない」


 ここで誰が犠牲になろうとも、一人だけでも良いからこの場所から逃げて、出来るだけ早く今のダンジョンの状況、それとあの大鬼の地上進出の情報を誰でも良いから外の人間へと知らせる方が、賢明な判断と言える。


「――――」


 それに正直な所、この中では一番の実力のあるリリスさんに任せて、僕たちだけで逃げたいという気持ちはなくは無い。


 そして、それをもし実行したとしてもリリスさんは、僕たちを責めることは万が一にも有り得ないだろう。


 最後の最後、自分が死ぬ瞬間まで、リリスさんは自分が弱かったから負けた、と自分独りで全てを、皆が見ているよりも小さなあの背中に背負い込むに違いない。


 それは独りででこのダンジョンに潜っていることを考えれば、誰でも分かるような事だ。


「――――」


 だからこそ、そんなリリスさん一人にこの状況を、誰の目から見ても不利な状況を押しつける訳にはいかない。


「それにほら、ナビーもいるしさ……ちょっと楽天的かもしれないけど、何だかいけそうな気がするんだよね」


 これは所謂殺し文句だ。でも、嘘でもお世辞でも無く、心の底からそう信じている本心だ。


 ナビーは僕の考えが全てお見通しである。だから、それが嘘偽りのない真実の言葉であることはすぐに分かっただろう。


 そのため、僕に聞こえるように深く溜め息を吐いた後、


「分かりました……地獄の底まで全力でサポートします」


 ナビーの力強い返事は、僕に力を与えてくれた。


「――――」


 もっとも、行き先を示してくれるというナビゲーションの意味から付けたナビーという名前からして、地獄の底まで案内されては困るのだが。

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