第203話 剣舞・弐

「何でまだ生きてるんだよ……」


 大鬼は、食べるや感情を伝えるという元来の目的に適さないほど過度に大きくなった口で笑い、


「ハンブンニナッタトキハサスガニアブナカッタゼ。ミノガシテクレテアリガタイナ」


 ついさっき対峙した時よりも流暢な言葉遣いで話した大鬼は、手に持っている得体の知れない数多くの物体を、顔を上に向け地割れの如く大きく開けた口の上で細々と擦り潰しながら、それを流し込む。


 そして、蟹の甲羅を割っているような硬く聞き苦しい音だったり、ガムを噛んでいるような粘着質な音などをない交ぜにし、さも僕たちが求めているかのようにおおっぴらに咀嚼する。


「やっぱり美味いぜぇ……ここの食い物はよぉ」


 何かを食べたことによってもう人間と区別が付かないほど話が出来る大鬼は、口元を涎を拭うように腕でぞんざいに擦りそのままその腕を振ると、僕たちの方に食べ残したある物体が飛んでくる。


 ボウリングの球とスライムを同時に下に落としたような不愉快な音に、嫌な予感を脳裏に過ぎらせながらゆっくりとした視線移動で目を向ける。


「――――ッ!」


 胸騒ぎは見事的中しており、それは目を白く剥き舌をべろんと出しながら息絶えている、犬型の魔物の生首だった。


 そして、間もなく死んでいる魔物の首は、ダンジョンの掟通りガラスが割れる音を立てて、一つの魔石となった。


「ここにはもう用はねぇ。お前らを殺したら、下に行かせて貰うぜぇ。その方が骨のある奴と戦えるかもしれねぇーからなぁ」


 今回は調査のために上級冒険者のほとんどがダンジョンへと駆り出された。


 しかし、ダンジョンに入る前の広場で見た通り、挑んだ上級冒険者の大多数は僕たちが掴めた異常の原因を知る前に、蠱毒によって力を強化していく魔物達の前で実力が及ばず、引き返せざるを得ない事態となってしまった。


 もちろん、その途中で命を落とした冒険者も少なくない数いるだろう。


 そのため、トップのリリスさんを含めた僕たちまでここでやられてしまった場合、このダンジョンにはギルドマスターであるアルフさんを始め、相当な実力者達が異常の解明に乗り出してくるだろう。


 何故なら、そうしなければこの町の生活は次第に成り立たなくなってしまうから。


「――――」


 それら全てを分かり得るほどの高度な知能を獲得してしまった大鬼は、まだ見ぬ強敵に思いを馳せるように青黒い舌で口の周りを舐め回すと、剣を片手に上空に跳躍した。


「――――」


 宙に飛んだことでさっきよりも僕たちと距離が離れているにも関わらず、地上にいた時よりも少しも薄れることの無い存在感は、僕たちを怯ませるのに充分すぎた。


「――守って!」


 リリスさんの怒号がやっとのことで耳に入ったときには、空にいる大鬼は刻一刻と巨大化しており、それは僕たちに向けて次第に近付いていることを意味していた。


【剣舞】


 リリスさんは魔物の壁にトンネルを作った位の力をエクスカリバーに込め、斬撃として宙にいる大鬼目掛けて数発飛ばした。


「全然足りないぜぇ」


 落下してくる大鬼は悪魔のような凶悪な表情で、あれほどの魔物達を一太刀で消し飛ばしたほどの威力を持つそれらを、無骨な剣で次々と真っ二つに斬り、少しも掠ること無く後方へと流す。


【剣舞・弐】


 リリスさんは自身の渾身の技でもやり過ごされるのを見越していたみたいで、落ち込むことも自棄になることもせず、次の手を瞬時に繰り出した。


「――――」


 僕たちの目の前で何回か出している強力なスキル剣舞、それは力の奔流を足や剣などに纏わせることによって瞬間的に力を一気に高める。


 その力は先述の通り、魔物が密集して出来た分厚い壁をトンネルのようにぶち抜くほどの威力を有している。


「――――」


 すでに完成されていると言っても過言ではないそんな剣舞の発展系と言うべき――弐は、足だとしたらつま先から太ももまでの全体だったり、剣で言えば刀身全部だった無印に対して、それよりも力の凝縮に凝縮を重ねた、一点極集中のものであった。


 右手で持った剣を右足と共に背中側へ引き、ゆっくりと腰を低くし剣を持っていない左手で、大鬼に狙いを定める。


 そして、無印と同じく力を駆け巡らせると、弐である今度はエクスカリバーの剣先、つまり日本刀とは違い三角形になっている剣先のただ一点、そこだけに全身を駆け巡っていた力を集めた。


「――――」


 リリスさんはまるで弓を目一杯引き、いずれ来るその時を待つかのように目を瞑り、ゆっくりと息を吐く。


「これでお前らも仲良くあの世行きだなぁ……せいぜい幸せでなぁ」


 自由落下でさえ甚大な被害をもたらしそうな巨大な剣を片手で振りかぶり、鬼というその風貌に似合った深く不気味な笑みを浮かべながら落下してくる大鬼に、ぴくりとも動かず静かにその時を待っていたリリスさんは、突然目を見開いた。


 そして、限界まで引き絞り力を十全に蓄えた矢を放つように静かにエクスカリバーを、空中で余裕を見せて止まない大鬼に対して突き出す。


「――はぁぁぁ!!」


 あれだけ大量で強力な魔物達を蹴散らした無印の絶大な力を、剣先一点に圧縮した弐による突き出しは、半ば戯けている大鬼目掛けて、空へ流れていく流れ星の如くただひたすらに真っ直ぐな一直線になって飛んでいった。


「――――」


 途轍もないエネルギーを一気に放った弐の反動も、大鬼に向かった刺突と比べればまだ幼子のような扱いを受けるだろうが、それでも実際は馬鹿に出来ないエネルギーを放っている。


 そのため、リリスさんから発せられる風はハリケーン並みに荒れ狂い、腕で衝立を作り顔を守る僕たちを、フラフラと数十メートルにおいて後ろに下がらせる程だった。


「――――」


 そして、暴風を巻き起こすリリスさん本人から距離が離れたことによって風が少しは弱まり、やっとのことで顔を上げる。


「――あ?」


 自分が勝つと心の底から信じていた、慢心していた大鬼は一瞬の違和感の後、自身の身に起きた異変について、直視できなかった。


「おいおいおい、まじかよぉ」


 剣を持っていない手で胸から腹に掛けて出来た大きな穴を確かめると、掌に付着した自身の黒い血を、重力に従うように落下しながら呆然と眺める。


「――――」


 ちょっとしたビルぐらいの巨体を持つ大鬼は、胸とお腹を貫く大きな穴によって左右の脇腹のおかげで辛うじて上半身と下半身が繋がっている瀕死の状態。


 それに加え、空いた穴から見える生々しい黒い肉からは血がポタポタと滴っていて、サッカーボール大の大きさの血の塊が下一面に隙間無く生い茂っている白い草を、ドス黒く染め上げる。


「こんなんじゃ終われねぇ―よぉ――」


 ヒューヒューと息が漏れる音が混じりながら弱々しく声を出した大鬼、その顔色は血の気が一切引いており、身体に空いた穴のダメージを物語っている。


 ――かのように思えた、その時、突然大鬼は掌の血を啜り舐めた。


「――なぁ!!」


 そして、鬼の形相になり目をかっぴらいて僕たちを睨むと、身体に空いた大きな穴がボコボコと泡が立つようにして膨れあがった肉によって、瞬く間に綺麗に塞がってしまった。


「それじゃあこれがお返しだぁ!」


 大蛇に睨まれた小蛙のように一歩も動けない僕たち目掛けて空から向かってきた大鬼は、土管のような腕で巨大な剣を振下ろした。


「――――ッ!!」


 その攻撃が僕たちに直に当たることは無かったが、叩きつけられた剣がもたらしたその衝撃たるや凄まじい物で、次元の違う圧倒的な力を前にして僕たちは為す術も無く、綿毛のように容易く吹き飛ばされた。

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