第257話 氷剣
「――――」
手に伝わる黒剣の感触。
それはとても言葉にし難い感触ではあるが、一言で言うとすれば、絶対零度の氷だろうか。
徐々に熱を奪っていくが、次第に触れている部分同士が同じ温度と化していくような金属のそれではなく、決して温度が変わらない絶対零度の氷の如く、触れている間は永遠と熱を奪い続ける。
そして、最期には掌だけに留まらず、身体中の熱を余すことなく全て持って行ってしまいそうな絶対零度の氷剣と読んでも差し支えのない、そんな無情なまでの冷たささえこの剣からは感じられた。
「……なるべく短期決戦で」
遠距離戦が得意な魔法使いと戦う上で、どうしても剣が届く範囲の近距離で戦わなければならない剣士が頭に入れて置いた方が良いことの一つとして、出来るだけ時間を掛けずに戦いを終わらせるべし、ということが言われている。
その理由を挙げれば枚挙に暇が無いほど数多くあるのだが、一番大きいところで言うと、魔法使い相手に時間を掛ければ掛けるほどそれだけ、強力な魔法を構築するための時間が魔法使い側に与えられることになり、最終的に剣では対処しきれず、かと言って躱すことも不可能な、高威力・高範囲な大魔法を構築されてしまうからだ。
「――――」
そして、それは相手の魔法使いが実力者であれば尚のことで、実力があればあるほど大魔法の構築に掛かる時間も大幅に減り、更には大魔法を構築している間でも他の魔法をそれなりのレベルで同時に使用することが出来る。
そのため、どんな布石をどのくらいまで打っているのか分からない魔法使いとは、早めに決着を付けるに越したことはない、とされているのだ。
「――――」
もちろん魔法使いであるさくらとウィルのペア相手に、そういう鉄則的な意図でもなるべく早く戦いを終わらせたい所なのだが、それ以外にも、絶対零度の氷のような黒剣を手にしている
「とりあえずは……」
ところが、自分は剣士で相手は魔法使いという状況に加え、底知れぬこの剣を一刻も早く鞘に納めるためと、それら2つの理由からいくら短期で決着を付けたいと言っても、急がば回れと言われるようにまずは実際に使ってみて、この剣の力量をある程度は把握せねばならない。
何故なら、切羽詰まったいざという時に、この溶けることの無い氷を触っているような冷酷な感触は実の所、僕の杞憂から生まれた単なる見かけ倒しに他ならなく、柄を持てば冷たく感じるような冷感加工が施されている『夏に便利なちょっと冷たい普通の剣』でした――では、外にアルフさんがいるとは言え、下手すれば命を落としかねないこの戦いの中では、洒落にならないからだ。
そして、今ならまだ、この剣を試した上で見かけ倒しだったことが判明したとしても、奥の手を使えば何とか隕石の対処は可能。
そのため、とりあえずは黒剣を頭上から足下に振り下ろし、剣を振った衝撃で出現するただの斬撃をさくらが放った隕石の一つに向かって放ってみる。
「――――ッ!!」
しかし、黒剣を振ったことで放たれた斬撃は、見かけ倒しばかりか思わず目を疑う物だった。
「――――」
振り終えた直後、剣から飛び出たのは、本当にちっぽけな三日月型の斬撃。
掌サイズのペットボトルがようやく縦に切れる程度の大きさで、僕が剣を振り下ろした範囲からすると、費用対効果が余りにも低すぎる代物だった。
「こ……これは!!」
だが、それは斬撃が出現した直後の話であり、飽くまでも斬撃の大きさの話でしかなかった。
肝心な中身はと言うと、バナナのような大きさながら溜め込んでいるエネルギーが目を疑うほど恐ろしかった。それこそ、大きさと重さが人間の常識と露ほども噛み合わない、ブラックホールのように。
「――――」
放たれたバナナほどの大きさの斬撃は、さくらが出した隕石を軽く凌駕するほどの力を有しており、そして、その見た目は闇のように深い――黒い斬撃だった。
「え……黒い斬撃!?」
目を見開くさくらの驚きは、この場にいる全員を代表しているかのようだった。
しかし、その中でも一番驚いているのは、他の誰でもない僕自身だ。
「――――!!」
そして、黒剣から放たれたブラックホールのような黒い斬撃は、目を丸くさせ一同が驚いている間に、掌サイズから隕石を越える大きさまで急速に巨大化しながら空気を切裂き、やがて相対的に小さくなってしまった隕石の一つをもあっさりと切裂いてしまった。
黒剣から放たれた黒い斬撃、出現から消失までその一部始終を見ていた僕は、誰にも聞こえない程度の声で思わず溢れる。
「振り下ろしただけで……」
黒剣を懐から取り出し、一拍置いた後それを振った僕を客観的に見ていたさくら達からすれば、取り出した黒剣を使って僕が何かしらの剣技を使ったかのように見えていたはずだろう。それも相当強力な。
だが、実際は黒剣をただ上から下に振っただけに過ぎず、そこから繰り出された普通の斬撃に他ならない。
それでも、攻めの強化による『双剛剣』で上乗せした力から繰り出した『双一閃』でさえも傷一つ付けられなかったあの隕石を、真っ二つに切断出来ただけの威力を持っていたのだから、どうやらカイトから貰った黒剣の力は僕が思っている以上に凄まじいようだ。
「――――」
しかし、何はともあれそろそろ隕石を対処するには危ない距離まで近付いてきていた。
いくら奥の手を使わずとも黒剣で斬れることが判明したからと言って油断していたがために余りに近くに引き寄せ過ぎてしまっては、切った後何かしらの原因で隕石が暴発した時など、その後の対応が出来なくなってしまう。
それに、普段は暢気でも有事の際は参謀役としてナビーに匹敵するほどのウィルがいて、ウィルから出されたのが多少無理めな作戦だとしてもそれを押し通せるほどの魔法センスがさくらにはあるため、万が一のことも考えて余裕が欲しいところ。
「――――」
なので、さくらの隕石を他愛も無く斬り伏せられる黒剣の力に驚くのは後回しにして、危険な距離まで近付いてこない内に残っている6つの隕石を黒い斬撃で斬る。
「――――!!」
隕石の数と同じく6振り。黒剣は赤子の手を捻るように隕石を切断し終えた。
これだけ強力な黒剣を使用するのに一抹の不安を感じてはいたが、剣技を使わずに上から下、もしくは右から左に振っただけであの隕石をいとも簡単に斬り伏せられたのは、ここにいる全員が最大火力の技を未だに見せていなく計り知れない余力があるはずのため、正直有り難かった。
「ふぅ……これでひとまずは安心かな」
「こっちもぴったり終わったにゃ」
黒剣を振るい僕がちょうど隕石の対処が完了した頃、みゃーこも同様に雷爪撃で隕石の処理を終えたようだ。僕と同じく、ホッと一息ついていた。
だが、安堵するのも束の間、頭上から善悪問わず全てを包み込むような慈愛に満ちた声が鳴り響く。
「さすが君たちだね、僕が見込んだだけあるよ。でも――」
その声に思わずパッと空を見上げると、強烈な光が目に飛び込んできた。
「「――――ッ!!」」
明るさはさながら太陽のようではあるが目が焼けるほどの猛烈な眩しさはなく、それどころか何時までもぼんやりと眺めていたと思える焚き火のような、温もりさえ感じられる世にも不思議な光であった。
そして、目を凝らして光の発生源をよく見てみると、光を放っているのは妙齢の女性であることが窺え、光のせいでシルエットになっているため誰かまでは特定出来なかったが、身長と声音からしてさくらではないことだけは分かった。
「――まだ僕たちには勝てない」
光がパッと瞬くとそこから徐々に明るさが収まっていき、シルエットが晴れた先にようやく現れたのは、何種類もの宝石が綺麗に織り混ざった物から神が己の一生を掛けて丁寧に彫刻したような、息を呑みながらもそう思ってしまうほど神秘的な容姿を持つ妙齢の女性だった。
その妙齢の女性とは前にも見たウィルの本来の姿であり、同時に本気を出すときの姿でもあった。
「――――」
そんな姿となったウィルの傍らには大きな杖を頭上に構えたさくらがおり、最大火力の技を持って決着を付けようとしていることが容易に察せられた。
「これで決めるよ」
ドームの天井付近にいるさくら達は、先ほど見せた大魔法の隕石よりも、多量かつ密度の濃い魔力を練り始める。
「みゃーもこれで最後にゃ」
僕と同じく地上にいるが遠くに離れているみゃーこも、決めに掛かっているさくらに釣られて雷を纏った身体に更に力を溜め始める。
「僕が勝つ……!!」
今思えば、こんな風に誰かと本気のぶつかり合いをしたことは無かった気がする。正面から向き合うことを恐れて、いつも逃げてばかりだったからだ。
そして、中でもそれはさくらに対して顕著であり、幼馴染みという子どもの頃からの長い付き合いであるにも関わらず、僕は逃げてばっかりだった。いや、幼なじみだったからこそだろうか。
「――――」
さくらは、僕程度の助けが必要ないぐらい強くて、立派で、何でも出来た。
勉強をやらせれば数学年先の問題まですらすらと答え、運動は男子にも匹敵するほど、家事をやらせればプロと見紛うぐらいの出来で、とにかくさくらは何でも出来た。
しかし、対する僕は勉強も運動も、果ては家事でさえも何をやっても平凡が良いとこ。何かを競い合ったら勝負にならないそんな平々凡々な僕の助けなど、何でもそつなくこなせるさくらにとって必要でないことは自明だった。
「――――」
でも、地球ではない
次は、その先を証明したい。
さくらが自分の身の不安はもちろん、僕の心配をしなくても良いほどまでに、僕は強くなった、のだと。
「これが成長した僕の本気だ――」
手に握っている一振りの不気味な黒剣。
そこに魔力、膂力、気力と3つの力を全力で注ぎ込む。
「――――」
案の定、氷のように冷たい黒剣はどれだけ力を注ぎ込んでも通常の剣とは違って力を蓄えられる上限が無い、もしくは僕では到底届かないようだったため、ほぼ力が尽きるまで3つの力を込めることが出来た。
「――――」
辛うじて何とか立っているぐらいに有りっ丈の力を込めたため、身体の熱が抜け落ちたように身体がふらつく。そんな重度の貧血にも似た状態の中、上と横の遠方で大きな力の渦が芽吹くのが感じられた。
「――――」
3箇所に存在する大きな力の塊。
三者三様のこの一撃で戦いが決着することを外にいるアルフさん達は察したのか、たちまち僕たちを囲っていたドームは水色から紫色へと変色し、ドームの厚み、密度、質と、魔法のレベルが格段に上がるのがここからでも分かった。
「――――」
そして、各々の持つ最大火力の技がドクンと一拍の脈を打つように一層高まるのを肌で感じた瞬間、僕、みゃーこ、さくらと同時に、
『――
『――
『――全属性複合魔法・
この数日間自分たちが修行でやってきたことを全て詰め込んだ最大の一撃を、自分たちの仲間に向けて放った。
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