第10話 2つの再会

 ゲートを潜り視界が晴れた時に一番先に目に入ったのは、膝を抱え怯えるように縮こまり、今にも滂沱ぼうだの涙を流しそうな顔をしているさくらだった。


 初めて見せる表情をしているさくらの存在に気づき、驚きつつも声を掛けようとした次の瞬間――


「――ま、真冬だよね?ごめんね……もう、いなくならないで……」


 さくらはいきなり子どものように泣きじゃくりながら、まるで雪山で遭難した人がたき火を見つけたときのような飛びつく勢いで、身体に抱きついて来た。


 さくらの行動から尋常じゃない事態が現在進行形で起こっているのか、あるいは過去に起こったのか、と真冬は焦燥を感じるも、今の自分ならば大体のことは解決できるだけの力があると思い、さくらの様子とは反対に冷静になれた。


「ど、どうしたの?」


「真冬がどこか遠くに行っちゃったと思った……」


 僕は彼女のことを勘違いしていた。


 多少のアクシデントならば持ち前の頭脳と人脈などでいとも簡単に解決するだろう。その上でけろっとした顔をして何事もなかったかのように笑ってくれるのが、本来のさくらなのだ。


そして、自分のことで息も絶え絶えな僕とはまるっきり違うさくらが、気に病むような事は絶対に自分のことでは無く、いつも決まって他人の事なのだ。


 そんなさくらを愛おしく想い、胸に抱きついているいつもより少し小さく感じる彼女を優しくゆっくりと撫でながら、


「ごめんね、ちょっと外に出てたんだ。心配してくれて、ありがとね」


 と、この先に言われるだろう言葉を予想しながら謝罪とお礼を言った。


「うん、心配したんだから!今度どこかに連れてってくれないと、許さない!!」


 ――帰ってきたその言葉は予想と寸分の狂いもなく、裏切ることはなかった。


 小さい頃からさくらは何かと不機嫌になることがあると、真冬にどこかに連れて行って、とこんな風にせがむのだ。

それが真冬発祥だろうと、他人発祥だろうとお構いないさくらは、真冬からすればいい迷惑と感じても何等おかしくない。だが、そんなさくらのワガママも真冬からすれば、お願い事になるのがせめてもの救いだろう。


 こと今回に限っては100%真冬は自分の所為だと思っているので、その答えは必然的に――


「わかったよ。じゃあ……明日、遊園地で良いかな?」


「うん、いっぱい遊ぶ。開園から閉園まで!」


 困った顔をする真冬を下から見上げているさくらは真っ暗でも分かるほど眩しい笑顔で、そう応じたのだった。


「そうだね」


 遊園地を縦横無尽に獅子奮迅の如く、乗り物も撮影スポットも食べ物も次々と制覇していくさくらに引きずられる未来の自分の姿が幻視でき、真冬は明日の自分にそれを任せるのだった。



 えへへ、と言いながら頬を緩みきってだらしのない顔をしているさくらを放置して、ひとまず電気をつける。


 パチッ


「ご飯まだだよね?なにか作っ――ん?どうしたの?」


 ようやく2人だけの世界に光が灯り、さくらに話しかけようと思った真冬は怪訝な顔をしながら、出しかけた言葉を途中で止めた。


 さくらは顔を茹でだこのように真っ赤にさせ、何かを言い淀むように――平たく言えば、告白をする前の女の子と同じ感じ、と言えばイメージしやすいだろうか、そんな感じでさくらは恥じらいを隠せずにいた。


「……僕の顔に何か付いてるの?」


「ち、違うの!真冬、急にかっこよくなった……いや、そんなことが言いたいんじゃなくて!オーラがすごい、ってそれも言いたいことじゃなくて……」


 さくらは聞こえるか聞こえないかギリギリの声量で何やらぶつぶつと呟いていた。今回は僕が作ろうかと思ったが、さくらが疲れているみたいなので早く届く出前を頼むことにした。


 プルルルルル。ガチャ。


「すいません、ピザを出前で2つください。あ、はい。お願いします」


「さくら、ピザで良いよね?」


「……もしかして彼女ができたとか?それは無いよね。女の子の気配は無かったはず……でも、昔から結構可愛い顔してたし。年上の人なら……」


 どうやら電話の最中もずっと何か呟いていたようだ。






 ピンポーン。


 若干一名が蚊の泣くような小さな声で呪言をぶつくさと唱えてるのを横で何言ってるのかを注意して聞いていると、家のインターホンが鳴り響いた。来客を知らせるその音を聞き、ドアに付いているカメラを起動し、ドアの向こうにいる相手に声を掛ける。


「あ、どちら様ですか?」


「こんばんわー!ピザの配達に来ました!」


 画面の向こうにいたのは、どこかで見たことがあるような感じのする、容姿が至って普通の女の子。その女の子の服装は見るからにピザ屋さん――全国チェーン店のピッツァ帽子、の格好と、電話で注文してからの時間的に、おそらく嘘ということはないだろう。


 ――こうも疑心暗鬼なのは、過去の出来事が関係しているからだ。



 その出来事は高校に入っていじめを受け始めた頃の最初の休日。


 ――ピンポーン


「宅急便でーす!お荷物を届けに来ました!!」


 ドンドンドン


 記憶を探っても何も頼んだ覚えがないことに加えて、急かすようにドアを叩くその人物に怪しく感じるも、待たせるのは悪いと思い、急いでドアを開ける。


 ――ドアを開けた瞬間、掴んでいるドアノブが向こう側に引っ張られる。その所為で真冬は綱引きで畳み込まれた時みたいに勢いよくたたらを踏み、外に引き出される。

 顔面から接地することは辛うじて避けたが、倒れ込むこと自体は引っ張られた勢いと何が起きたか分からない戸惑いで避けることは出来なかった。


 ドンッ


 受け身など咄嗟に取れるはずもなく、無様に背中から倒れる。


 そんな自分でも思うほど不格好な出迎え方に、思わず自分への嘲笑が溢れるも、真上から聞こえてくる別の大きな声で遮られる。

 

「だっさ」

「ちょっと引っ張ったらこれかよ」

「ざまぁーねーな」


 持ち主の性格を如実に表わしているその下卑た声は、真冬の自身への情けなさ来るあざ笑いよりももっと純粋な悪――おそらくこうなることを全て見込んでの行為だろう。人を肉体的にも、精神的にも傷つける下劣な犯行。


 ――それをしてくる人物はここ数日間で、文字通り痛いほど理解している。


「――ッ!!君たち……」


「よー、真冬くーん。遊びに来てやったぜー」


 リーダー格の男が存在そのものを見下すような蔑みの目で見ながら、ネットリと粘ついた声を掛けてくる。隣の二人も同じように見下してくるが、今までの経験上、勝てる見込みも算段もないため何も言い返すことが出来ず、自身の脆弱さに下唇を噛むことしか出来ない。


 そんな反応のない真冬につまんなさを覚えたのか三人は、


「せっかく来てやったのにお菓子の一つも出せないのかよッ!」

 一人は、真冬のがら空き同然の脇腹に向かって、脚を振り上げ勢いを付けてから蹴りを入れる。


「お茶も出せないのは親の教育の所為かなッ!」

 もう一人は、顔をボクサーのように腕を使ってガードする真冬のそこを遠慮無く蹴る。


「おいおい、二人ともやり過ぎんなよ!?――俺がやる前に気絶しちまったら、面白くねぇーからよ!!!!」

 最後の一人――リーダー格はガードされていないところを手当たり次第に遠慮も、手加減も、慈悲も全てなく蹴っ飛ばす。脚をやったら――脇腹。脇腹をやったら――顔。顔をやったら――脚。

 と、三人合わせて都合20発以上も悪意だけは存在していた蹴りを、真冬に入れた。


「――――」


 蹲ったまま動かなくなった真冬を見下ろして、三人は唾棄する。


「なんでこいつが」


「幼なじみなんだとよ」


「そんなことはどうでも良い。早く撤収するぞ」



 ――と、こんな事があったのでドアを開けるときは細心の注意を払っている。そのおかげで、これ以降あいつらが家に来ても無視をすることで難を逃れ、今では家に来ることもなくなった。もっとも、学校だと……なのだが。


 そんなことを考えている内に玄関まで来たので、ドアを開ける。


 ガチャ。


「配達ありがとうございます。ピザの値段はいくらですか?――え?」


 ドアを開け幾ら払えば良いのかと訊こうと思い顔を上げると、さっきのさくらとほとんど同じ感じに真っ赤になっている女の子がいた。


「――は!あ、あのー、連絡先教えてくれません……か?」


 ピザ屋の女の子はこちらを見てぼーっとする表情から一転、何かを振り払うかのようにいきなりかぶりを振り、泣きそうだけど至極真剣な目つきで連絡先を尋ねてきた。そんな一貫してるとも、してないとも、どちらとも言える行動に、真冬は困っていた。


 …………え?なんで急に……。出前のためとか?――いやいや、そんなことは生きてきて聞いたことがない。関わってきた絶対数が少ないからか?そんなことはともかく!何か悪いことしたかな?知らない間とか……もしかして――


「えーっと……その、理由を聞いてもいいですか?」


「大変お恥ずかしいんですが……あなたに一目惚れしました。だから、連絡先が欲しいです!」


「――――」


 生まれてこの方されたこともしたこともなく、空想の世界の産物であるとさえ思っていた告白に、真冬の思考回路は活動を自粛した。


 ドッドッドッ!


 不意に恐竜が獲物を追いかけている時みたいなSEがこちらに向かってきて、音の出所で歩さくらに思いっきり腕を引っ張られ、玄関からリビングまで瞬く間に連れてかれる。


「ここにいて!」


「――――」


 その有無を言わせないさくらの覇王色の覇気と、晴れ渡った空に雷や雷雨どころか台風まで発生してしまったかのような告白による思考回路停止とが相まって、真冬は開いた口が塞がらず、うんともすんとも言葉を発することが出来なかった。



 何が起こったか整理しながら待っていると、玄関からリビングにさくらが戻り、大きなピザを2つその両手に持ってきた。


「……何かあったの?」


「――なんでもないよ。うん。気にしないで」


 それ絶対に何かあったパターンのやつじゃないですか。と、訝しげな視線を送ると、お礼に返って来たのは、「これ以上何も言うな」という絶対零度をも思わせるほどの底冷えした目つきだった。


「そ、そっか」


「それより覚めないうちに食べよ?」


 今度はニコッと効果音が付いたような笑顔に、閻魔大王に笑顔を向けられたような気分だと感じたことは、墓場まで持って行こうと真冬はそう固く決意した。



 ピザ二枚の内一枚、ちょうど全体の半分位が二人の胃に収められたとき、さくらは唐突に聞いてきた。


「ねー、一つ気になってることがあるんだけど。さっき目の前に急に現れたやつどうやったの?外から帰ってきたなら普通、鍵の音くらいは聞こえるはずなんだけど……」


 やばい……。特に神様に話すな、とかは言われてないけど、いくらなんでもこんな荒唐無稽な話聞かせられないよね。何より話したとしても信じてくれないと思う。


(ナビー、どうすればいいのかな?)


(長い間放置されて、忘れられているのかと思いましたよ。――さくらさんを信頼してるなら話されても良いかと思います。それが信じられるか信じられないかは別として。ただ、無闇矢鱈と広めるのは真冬さんに害が及ぶかもしれないので、止めた方が良いかと思います)


 ナビーが言わんとしていることはこういうことだろう――

 異世界が有り、僕がその鍵になることを知っている人が多ければ多いほど、その情報が誰かの口から漏れる確率は跳ね上がり、実際に漏れていく。その結果、一回でも話してしまった人は罪悪感の薄れからか枷が外れ、口が軽くなる。口が軽い人から聞いたなら話しても大丈夫だろうと思う人が出てくるなど様々な理由なり、方法なり、手段なりでそれが明るみに出るだろう。

 そんな悪循環が起こり、知っている人がねずみ算式で増えていく。


 そしておそらく僕の所には異世界に行きたい人が連日殺到してくるだろう。

 さすがに四六時中ゲートを開く訳にもいかないので、人員をその都度選別する必要が出てくる。やがて、ふるいに掛けられ落とされた人たちの鬱憤が集まり、集団で何か良からぬ事をしてくるかもしれない、か。

 もちろん、そうなる前に政府や何かしらの機関が何かとかこつけて、人体実験や検証実験などに踏み切ってくる危険性もある。


「話せないなら大丈夫だよ。詮索しちゃってごめんね」


 ナビーとの会話はさくら、ひいては周囲には聞こえるようにしていないので、僕目線ではナビーと会話をしているのだが、さくらから見たら、話すか話さないか。あるいはどう話すかなど、様々な悩みや葛藤が渦巻いているように見えたのだろう。その機微をさくらはいち早く察し、心労を掛けまいと身を引いたというところだろう。


「ううん、話すよ。ただ他の人には絶対に話さないって約束してね」


「うん。絶対約束する」



 その言葉を聞き真冬は、さくらに避けられて落ち込んでいたことは羞恥心という理由からはぐらかす、もとい端折り、いきなり神様が出てきて異世界へ行けるようにしてくれたところから、今の時間まで何をしていたかなど、全ての出来事を余すことなく話した。


「わざわざ話してくれてありがとね。これで服装が中世っぽいのは何故か、というあとちょっとで迷宮入りするところだった謎が解けたよ」


「――すっかり忘れてた」


「真冬は昔からちょっと抜けてるところあるもんね」


「あんまり恥ずかしいから言わないで……それでさくらには、異世界に行くか行かないか決めて欲しい。理由はなんとなくだけど……。答えは今決めなくても良いか「行く!!真冬と離れたくないもん」」


 真冬の返事保留の通達にさくらは、腹が減った虎がえさに飛びつくように食い気味に快諾した。その反応に気圧されながらも真冬は忠告と微かなお願いを言葉にする。


「向こうでは死ぬ可能性だってあるんだよ?僕としては残ってて欲しいんだけど……」


「真冬が居ないなら死んだも同然。だからついてく!」


 さくらは自分も付いていくことはさも当前のようにさらっとそう言った。


「じゃあ、とりあえず今日のところはもう遅いし家に帰って。それで、明日は約束した遊園地に行く、で良い?」


「うん。わかった」


 それからさくらと一緒にネットで調べながら、明日の遊園地と行く時間を相談して決め、この場は解散となった。


「じゃあ真冬、また明日ね!」


「うん。また明日!」


 さくらが帰った後は、いつもの喪失感が心に割り込むようにして襲ってくるが、今日経験したさくらと初めて疎遠になった酸いも、さくらの気持ちに初めて触れた甘いも全てが、とても密度の濃いもので、人生で一二を争うほど充実していて、平常では感じたことのない気持ち――明日への期待、が闇よりも深い喪失感を覆い隠すほど、真冬の心には芽生えていた。

 こんな充実した時間を過ごしたのは小学生辺りかな。あの頃はなんだかんださくらに振り回されてたけど、楽しかったな。


 と、そんなことを考えながら思いを馳せていると、いつの間にか寝てしまっていたようで、気付いたら真っ白な部屋――部屋というよりは空間といった方が正しいだろうか、そんな音も、匂いも、温度さえも感じない場所に立っていた。もっとも立っているのかさえ怪しいのだが。


「――真冬くん、急に呼び出してすまないね。僕を覚えているかい?」


 辛うじて人の形に見えなくもない陽炎のような不明瞭なものが、瞬きの合間を縫って突如として目の前に現れた。


「は、はい。神様……ですよね?覚えています」


「よかったよ、忘れられていたら悲しかったからね」


 今日初めて邂逅したときと同じような感じのする物体は、安堵するようにその姿を揺蕩ませて見せた。おそらく忘れられていたら本当に悲しいと、この神様は思うんだろう。

 しかし、それは杞憂だろう。あんな壮絶な出会いをして忘れられるわけがない、仮に忘れたくても、だ。


 揺らめきが収まりこほんと軽く咳払いをすると、神様は真剣を帯びた声音で言葉を発する。どうやらこちらが本題のようだ。


「どうやら真冬くんは幼馴染みに、異世界のことを教えたようだね」


「あっ、すいません。特に注意されていなかったので……」


「それは別に構わないんだよ。ただ、君に渡した指輪をあの子にもあげないといけなくてね」


 本題だろうそれを語り出した時の張り詰めた空気が一瞬にして弛緩する錯覚を覚えながら、手に差し出されている指輪を受け取る。


「そうですか。でも、ここでもらっても意味無くないですか?僕、寝てると思うんですけど……」


「それは、まぁ、大丈夫だよ。それじゃあ、またね。再度呼ぶかもしれないけど、その時はよろしくね」


 一面真っ白な視界が端から暗くなっていき、数瞬の内には完全にブラックアウトした。



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