第211話 執念

 リリスさんの、自らの命を削ることで今までの比にならないぐらいの力を生み出す真・剣舞、そのタイムリミットが切れるまで残り一分。


 59……58……57…………。


 僕は仕切り直して、また剣に力を込め始めた。リリスさんの剣はまるで水分を渇望していたスポンジのように僕が込める力を余すことなく有りっ丈吸っていき、まもなく気絶しないギリギリの所まで魔力を吸い取られた。


「まだ足りない……」


 気絶するまで魔力を使い果たしても、おそらくは今のリリスさんの力に遠く及ばない。


 そのため、今のまま剣に込められた力を一気に解放して籠もった力の全てを大鬼に当てたとしても、倒さなくてはならないのに致命傷を与えるどころか、おもちゃのプラスティックナイフを振るったような、良くてちょっとした掠り傷程度だろう。


 49……48……47…………。


 今度はHP、つまり命を力に変えて剣に込めようとしてみる。


「…………」


 しかし、剣には未だ力を吸う余力が残っているのは明々白々なのだが、見よう見まねの猿まね以下である僕の行動に答えてくれるほど、剣の世界は物質的にも精神的にも甘くないようだった。


 それもそのはず、リリスさんのように剣神という、名前からして如何にも剣を極めてそうな人が行なう剣の修練を積んでいないし、ましてや剣を初めて握ったのもここ数週間前の話、当然リリスさんほどの一角の人物と比べたら経験や技能などでは足下にも及ばないからだろう。


 39……38……37…………。


 僕がここで何をしてもしなくても、刻一刻とタイムリミットが迫ってきている。加えて、大鬼も身体の傷を徐々に回復させてきており、あと数十秒の間にはリリスさんを払える程までには回復出来ると予想される。


 29……28……27…………。


 今更ダンジョンでもっとレベル上げをしておけば良かった、あるいはリリスさんに剣を教えて貰えば良かった、などなど考え得る様々な後悔が枚挙に暇が無い程内から湧き出てきて、何とか心を落ち着かせ平常心を保とうとすればするほど逆に焦りが出てきた。


 そして、前を向けば視界に嫌でも入るリリスさんの命を懸けた奮闘に、その焦りは加速度を増す。


「…………」


 だから、僕はギュッと世界から逃げるように硬く目を瞑った。そして、情報をほぼシャットアウトすることによって無理矢理にでも身体に意識を持ってきた。


 19……18……17…………。


「――――」


 MPは血液と同じく、血管みたいなものが身体全身に隈無く張り巡らされており、それを認識したことで操作することは出来るようになっている。そのため、剣に魔力を込めることが可能なのだ。


 では、HPはどこからどうやって身体を流れているだろう。MPが血管とは似て非なる別のネットワークだとしたらHPは――


「――――!!」


 その答えは、血管だ。

 HPはおそらく血液と似たような物なのだろう。もしくは紛れもない正真正銘の血液なのかもしれない。


 そんな仮説に賭け、僕は真っ赤な血と共に身体を巡っているHPをイメージし、自然な流れを妨げないようにそのまま剣に移す。


 9……8……7…………。


 タイムリミット、すなわち限界が近付いているため目に見えて遅くなっているリリスさんの動きは、ボロボロに傷ついていたはずの大鬼を回復に間に合わせていた。


「――――」


 一番初めが最高潮で肉体的な限界のせいで徐々に右肩が下がっていくリリスさん、反対にリリスさんの攻撃の間隔が空いていくことで回復が間に合い始め徐々に右肩が上がっていく大鬼、それらは同じグラフ上にいればいつかは交わり、時が来れば立場は絶対に逆転する。


 動けるまで回復した大鬼はリリスさんが剣を振る間を狙って、瞬時に立ち上がると同時に、剣を振り上げたことでがら空きとなったリリスさんのお腹を蹴り飛ばした。


「――――ッ!!」


 命を削っている疲労からか一切の反応も出来ずに蹴られたリリスさんは、僕のいる方向の反対へと飛ばされ、転がった先の地面では蹲って一歩も動けなくなっていた。


 6……5……4…………。


「リリスさんが作ってくれたチャンス、無駄にしない」


 HP 9075/9075→75/9075

 MP 4267/4267→7/4267


 剣に持てる力全てを込め終わった僕は、すでに大鬼の元へと無我夢中で駆け出していた。そして、一秒も経たないうちに大鬼に剣が届く場所に到達し、MP、そしてHPと文字通り死力を込めている剣を、左足を地面が割れるほど踏み込み、右肩に背負っている形から斜めに思いっきり振下ろす。


 3………………。


「ふぅ……危なかったぜ」


 僕が現状最大の力を込めた剣による攻撃は、大鬼の圧倒的な腕力による剣の防御でいとも簡単に防がれてしまった。


 そこからそのまま、袈裟斬りの要領で剣を振下ろそうとしている僕と、何とかそれを阻止しようと剣を顔の位置で横にして防いでいる大鬼との、甲乙の付かない力比べが始まってしまった。


「あと少しだぜ」


「――――ッ!」


 いくら力を込めようとも、大鬼の剣は下にも上にもびくともしない。しかし、それは相手も同じで、大鬼の押す力に対して僕の力も同じく拮抗していた。


 だが、この局面さえ乗り越えれば良い大鬼と違って、こちらにはチャンスがこの一度きりしかない。


 2………………。


 ――もう無理だ。一か八か仕切り直すしかない。


 そう思った矢先、張り裂けそうな声が響いた。


「真冬くん、受け取って――!!」


 リリスさんは今にも死にそうなほど蒼白となった顔で、僕に向かって声の限り叫んだ。


 声に遅れてリリスさんの身体を包んでいた赤い力の奔流が紐状となり、意志を持ったかのように僕目掛けて飛んできた。そして、紐となった赤い力は蛇がとぐろを巻くように足下からグルグルと抱きしめるように僕を優しく包み込み、完全に包みきった後、HPの源である心臓をハンマーで殴ったが如く、力強く鼓動させた。


 1……………………………………………………。


 全身を巡る血液が炎を宿したように熱を持つ。だが、それと同時に、心臓がはち切れんばかりに脈を打つ度、制御困難なぐらいの膨大なエネルギーが身体の奥底から無尽蔵に湧き出ていた。


 熱くなる身体に任せ、何の捻りもなくそのまま湧き出てくる力を剣に伝えると、力を享受した剣は掌を通して伝わってくるほど歓喜し、その猛威を振るった。


「――――」


 あれだけ両者互いに一歩も譲らなかったが状況は一変、大鬼の持つ剣にほんの些細なヒビが一筋入った。その上、瑣末だったヒビは蜘蛛の巣のように網目状に一気に広がっていき、あっという間に刀身を飲み込み網羅した。


 結果、僕の剣を通して伝わっていた大鬼の強力な腕力がふと堰を切ったように急に手応えがなくなり、目の前にはキラキラと細かな破片が飛び散った。


「――――ッ!?」


 そして、大鬼の剣が粉々に砕け散ったのと同時に、もう何も遮る物が無くなった、僕の全てを込め、リリスさんの全てが込められた剣が、大鬼の左肩から右の脇腹まで一直線に走った。


 ………………――0。


「これで、終わりだ!」


 動けなくなったリリスさんが咄嗟に貸してくれた真・剣舞、熱を出し続ける太陽のように果てしなく産出されるそのスキルは持ち主のタイムリミットによって消えてしまったが、僕は気合いで左下に振り切った剣を持ち上げる。


「おい、やめろ……それ以上やったら――ッ!!!」


 僕は再度袈裟斬りの要領で左上からひと思いに振下ろした。


「――――!?!?!」


 あれだけの頑丈な肉体を持つ大鬼の胸には、右肩から左脇腹に掛けてと、左肩から右脇腹に掛けて刃が走った二つの跡が顕著に残っており、バツ印のそれは致命傷となり得るほどのダメージを与えていることを静かに物語っていた。


「…………」


 しかし、魔物としての最後を見せても良いはずの大鬼の姿が一向に消えること気配が無い。絶望からかあるいは疲労からか、僕の手から剣が滑り落ち、高く重い音が地面に転がる。


「よくも……よくもやってくれたな!!」


 リリスさんから借り受けている剣を持っていることさえ出来ないほど力を使い果たした僕に、残酷なまでに凶悪な鋭爪を持っている手を伸ばしながら、大鬼はゾンビのようにジワジワと近付いてくる。


「こ、ろしてやる……殺してやる……」


 霞む視界の中、大鬼越しにボンヤリとリリスさんの姿が見えた。しかし、リリスさんは真・剣舞の反動で指一本でも動かせそうにも無いため、応援は当然望めない。


「お前ら全員を八つ裂きにして……最後は喰らってやる。それがお前らの当然の報い……だ」


 真っ黒な執念を燃やす大鬼から逃げようにも困憊した身体には力が入らないため、鉛が詰められたような身体でふらつくように後ずさることしか出来ない。


 そんな僕の目に、大鬼の爪がガッと迫ってきた。黒曜石のような黒くて鋭利な爪、目を射貫くように近付いてきたのだ。


「――――ッ!」


 もうダメか、諦めかけたその時、大鬼の動きが一次停止を押されたかのように何の前触れもなくピタリと止まった。


「くそ……くそ……くそ…………!!」


 石のように微動だにしない大鬼の身体には、胸にある僕たちが与えたバツ印を中心として、雷のようなギザギザ模様が全身に広がった。


「――――」


 そして、魔物としての最後を迎えた音――ガラスが割れたような音が高らかに鳴り、大鬼は綺麗さっぱりとその姿をこの世から消滅させた。


 大鬼がいた場所には、見たこともないエネルギー量を内包している魔石と、先ほど僕の目に目掛けて迫っていた爪がドロップアイテムとして落ちていた。


 グレード 3→4


「――――」


 考え得る結果の中で今の状況はおそらく最善で、暴食によって著しく強化された大鬼をダンジョンの外に一歩も出させること無く、この場所で僕たちの手によって完全に倒すことが出来た。


 そのおかげで僕たちはここから生きて帰れ、外の人たちもこれ以上心身共に傷付かないで済む。


 そんな風に心の底からほっとしたのか、強力なスキルを使った反動で倒れているリリスさんの方へ歩こうとしたが、一歩踏み出そうと右足を挙げた瞬間、足下にあった地面が突如消えたかのように、今まで立っているのが不思議なくらいだった僕の身体は膝から崩れ落ちた。


 顔が地面に近付くことによって徐々に視点が低くなる視界の中で、大小様々な何かがこちらに向かって地面と空中問わず大量に近付いて来ているのが分かった。

 疲労のせいで薄ボンヤリとしていて鮮明にはそれらの正体が分からなかったが、死闘が終わり疲労が限界を超えているこの状況下で、控えめに言って一番あって欲しくなかった最悪の事態だ。


 ――こちらに向かってきているのは、数え切れないほどの魔物だった。


「…………」


 もう僕の身体は動かそうとしても動かない。それどころか、このまま地面に倒れればそれが駄目押しとなり、僕は意識をパッと手放すだろう。せめてもの救いは、さくらを乗せたみゃーこが逃げた方向とは逆から大群がこちらに向かってきているため、ウィルもいるしおそらくは無事だ。


「ここまでか……」


 さすがにここまで僕を運んできてくれた幸運も底を尽きたかと思ったとき、ふわっとした温かな雲に包まれたかのように倒れかけていた身体が支えられ、何時までも聴いていたくなる心地の良い声が上から振りかけられた。


「――よく頑張ったね」


 柔らかく包み込むその声のおかげで、僕は意識を無理矢理剥奪されるような気絶をするのではなく、この人になら任せても良いという安心から安らかな眠りへと入った。



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