第219話 歩行
「まず君はステータスに頼りすぎてる」
そうやってリリスさんに手渡されたのは、一時的にステータスをレベル1の時と同じ状態にする、禁忌薬の一つだった。
何でもこれは重罪を起こした高ステータスの冒険者を拘束するために開発された滅多にお目に掛かれない薬らしく、多少名の知れている程度の冒険者や人物では手に入れることは出来ないと言う。
しかし、何を隠そうリリスさんは冒険者四位。冒険者界隈のみならず多少では済まさないほど名が広範囲に知れ渡っているので、特別に許可が下りており、然るべき所に言えばいくらかは入手出来るらしい。
「――――」
そして、手渡された如何にも危なさが漂う
髑髏の隙間から見える液体は、瓶から伝わる温度は常温のはずなのに何故かグツグツと煮立っており、緑色のような紫色のようなよく分からない色からして、ただステータスを下げる所ではなさそうにしか思えなかった。
「これって炭酸ではないですよね……?」
炭酸と言えばシュワシュワと細かい泡が液体中に散見できる。だが、今手に持っている禁忌薬はシュワシュワとは程遠い、ブク……ブク……、といった粘度の高い溶岩が泡立っている様子だ。
だから、僕がリリスさんに炭酸かどうかを訊いたのは、希望的観測だ。出来れば炭酸であって欲しいという切なる願い。
「違う。時間があまり無いから早く飲んで」
リリスさんは案の定真顔で僕を希望を打ち消し、あろうことか覚悟を決める時間さえ用意させてくれなかった。
とは言っても、時間が無いのは本当のことだ。僕がこうしている間にも街の人たちは魔石を節約して、我慢しているに違いない。
それにこんな小瓶一つの液体も飲めないで、冒険者の頂点に立つことは不可能だろう。
そんな風に勢い任せで、小瓶の中身を一気に飲み干した。
「――――ッ!!」
とげのある酸味、雑草を煮詰めたような嫌な苦み、焼け付くような辛みに頭が痛くなるほどの甘み、と性格の悪い人たちが闇鍋をやり、一番性格の悪い人が出来上がった闇鍋をミキサーでごちゃ混ぜにしたような混沌とした味が、玉座に向かう王のようにふんぞり返りながら喉をゆっくりと通る。
「すぐ効くと思うから、水飲んで早くやるよ」
リリスさんの言葉通り、薬の効果はすぐにやってきた。
「――――ッ!?!」
身体を襲った異変を一応感じたのは感じたのだが、最初は何が起こったのか全く分からず、混乱が頭を駆け巡った。しかし、物の数秒、気が付けば僕の身体は鉛をぎっしりと詰められたような倦怠感を持ち、誰か別の人の身体に乗り移ってしまったかのように自分では思うように動かせない状態となってしまった。
「まずはその状態で動けるようになって」
リリスさんが言うには、ステータスが中身に伴わず急激に上がりすぎた冒険者は大体、数値だけ上がってしまった力にばかり頼って、身体を効率的に使うことをしなくなるという。
例えるなら、エンジンの性能だけをとことん追求した車のように、どれだけ車体に空気抵抗があろうと、どれだけ重量があろうと、エンジンの馬力だけで無理矢理走っているような物だろう。
だから、まずは上がり過ぎた馬力にだけ頼るのではなく、最低限のエンジンの力だけで効率的に走れるようにしてしまえば、馬力を元に戻したときに、エンジンの性能が上がった以上に車は楽にスピードに乗れる、ということだ。
「これ……結構きついです……ね」
たった一歩歩く度に、割れるほど歯を食いしばらなくてはいけないぐらいの重労働。そのため、このままではこの先の修行どころではなくなると見兼ねたリリスさんは、僕がさっき飲んだ禁忌薬をおもむろに懐から取り出し、何の躊躇いもなく一気に飲み干した。
「それは君がまだ力に頼ってるから」
飲み干した後一瞬だけ、僅かながらにリリスさんも身体の力がフワッと抜けたように見えたが、油断すればあっという間に地面にのめり込みそうな僕とは違い、すぐさまいつも通りの佇まいに戻った。
そして、それどころかリリスさんは膝を少し曲げたくらいの反動で、僕の身長を遙かに超える高さまで軽く跳躍してしまった。
「このぐらいは出来るようになって」
「ちなみにステータスはどのぐらいなんですか……?」
想像を絶する不味さを誇る禁忌薬を飲んだことと、ステータスをリセットするそれを飲んでしても尚、人を越えた動きが出来るリリスさんに呆気に取られる。しかし、結局はリリスさんの元のステータスが高いからでは、と半信半疑で聞くとリリスさんはスキル以外のステータスを見せてくれた。
「大体100強。私も最初は普通の人とそんなに大差なかった」
その言葉通り、リリスさんのステータスは平均して100を少し上回る程度しかなかった。地球で換算すると、鍛えていないただの一般人が平均100のため、それよりも少しだけ上の人が2~3メートルは軽くジャンプしているのだから、驚きだ。
「これって、コツとかあるんですか」
ステータスが最低まで落ち込んでから数分が経ったことで、動きが無ければ普通に話せるぐらいにはなった僕だったが、どうしても歩くのはまだのっそりとした動きしか出来なかった。
「自然体……かな。ありのままの姿でいること」
リリスさんにしては珍しくふわっとした言い方に、首を傾げざるを得なかった。そんなとき、こういう時に頼れるナビゲーターが助言をしてくれる。
(真冬さん、歩く時ってどうしてます?)
いつもは的確に分かりやすく簡潔に答えやヒントをくれるナビーだったが、今回は迂遠な言い回しに困る。
(歩く時って、ただそのまま足を出して歩いてるよ……それがどうかしたの?)
(そうです、何も意識しなければ人は漠然と足を出して歩いてしまえるんです。さっきの車の例で言うと、アクセルを踏めば車が前に進むように)
人は物心付いた時にはすでに歩けるようになってしまっている。だから普段、歩くことを意識しなくても足を踏み出そうとすれば、特殊な状況以外では転ぶことなく自動的に歩けるように出来ているのだ。
リリスさんがステータスを元に戻されても普通の人よりも動けるのは、漠然と行動できてしまう身体を捨て去り、その自然体を会得したからに他ならない。
(そうか、ナビーありがとう!)
自然体とは、気負いのないあるがままの格好のことを指す。もっとも、言葉通り受け取れば、の話だが。
「――――」
先述の通り僕たちは普段、歩くことを意識せずとも勝手に歩けてしまう。何故ならそれを叶えるだけの物理的な力が、成長と共に備わってしまったから。
そのため、成長の過程で人それぞれに独特な癖が歩き方一つ取っても染みついてしまっている。だから、物理的な力という今まで一辺倒で頼りにしていた大黒柱を取り払われた瞬間、歩くことさえままならなくなる。
そして、自然体という言葉の意味は、その癖を完全に取り払って、人が本来持っていたあるがままの動きをする事だろう。
「…………」
僕は一瞬でも気を抜けば、踏み出すために上げた足が地面に突き刺さりそうな不安定な状況の中、生まれて初めて歩くことに全神経を注いだ。
ゆっくりとゆっくりと、亀が歩むような早さで足を動かす。
「…………」
一歩。二歩。三歩。
「…………」
一歩目よりも二歩目、二歩目よりも三歩目……とゆっくりとだが歩く度に着実に、足の踏み出し方、反対の踏み出していない方の体重の移動の仕方などコツのようなふわっとしたものを掴んでいき、歩くスピードが目に見えて早くなっているのを実感していた。
赤ちゃんが歩くぐらいの早さから、子どもが走る早さ。
「…………」
かかとが地面に着き、つま先が地面を離れる瞬間、そんな細部まで頭の中で動きを思い描き、最高の効率で再現する。
その甲斐あってか、ついに大人が普通に歩くぐらいの早さまで、ステータスを最低まで下げた状態で出るようになった。
「やっぱり成長が早いね」
時間にしたら一時間ほどは掛かっただろう。それでもリリスさんは僕がこの状態で普通の早さで歩けるようになったのを見て、感心していた。
「ちなみにみんなどれぐらい掛かるんですか?」
ステータスに依存しない歩きを身体に染み込ませるため、スタスタとリリスさんの周りを歩きながら尋ねた。しかし、その答えは褒められた気がしなくなってしまう物だった。
「他の人は知らない……でも、私は五分で出来た」
「え……って――わ!!」
リリスさんの天才っぷりに絶句した僕は、集中を完全に持って行かれたせいで鉛のように重くなった足が絡まり、物の見事に顔面から地面に突っ込んでいく形で転んだ。
そんな顔の凹凸が消えてしまったのかと思うほどの痛みの中、リリスさんは一つだけ付け加えた。
「けどそこまでステータス無かったから、ほんとに凄い」
上げて、下げて、上げる、まるでジェットコースターのような褒め方に、言葉足らずなリリスさんらしさを感じるも、僕は顔の痛みでそれどころではなかった。
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