第138話 パンク

「お邪魔しまーす……って目が覚めたんだ!」


 そう言いながら部屋の中にいる人を気遣ってるように、慎重に入ってきたのはフランさんだ。その手には色々な生活用品と思しき物を持っていることから、僕らが寝ている間様々な身の世話をしていてくれたのは、明白だろう。


「はい、おかげさまで」


 僕はまるで幼い子どもが奪い奪われをする玩具のように、無下に扱われている両腕を無視しながら、フランさんにお礼を言った。


 そして、探せばどこかしらにはあるのかもしれないが、少なくともこの部屋にはカレンダーやその他日付を知る術を持つものが存在しない。そのため、重要な感覚の一つである日付のズレを治すために、フランさんに尋ねる。


「それで、僕たちってどれくらい寝ていましたか?」


「昨日の朝帰って来たから……丁度丸一日、ね」


 人智を越えた強大な力を持つベルーゼとの死闘だったので、その疲労からもう少しの長い間寝ていたかと思えば、たったの丸一日で済んだとは驚きだ。しかし、その理由は大体予想がつき、ひとえにステータスのおかげと言えよう。


「それよりもさくらちゃんとかは後ろで何してるの……?」


 後ろで行なわれている僕の腕の争奪戦を苦笑いで眺めながら、フランさんが尋ねてきた。


「えーっと、頭を撫でて貰いたいみたいで……」


 三人が一人の腕をあーだこーだ言いながら取り合っており、いちいち後ろを見なくても分かるほどカオスなその状況に、僕の返答も苦笑いを添えている物となっていた。


「――――」


 目が覚めた時点でもう身体の充電は完了というわけではなく、最低限の体力が回復したから寝るだけではなく、それ以降は食べ物で栄養を取って回復してください、ということだと身体から言われている気がしている。


 だから、今の僕の身体は万全とは言い難く、節々は時々痛むし、全身は重りを着けられているみたいに鈍重になっている。


 そんなことから正直なところ、腕の奪い合いは身体に響くので辞めて欲しい。


「そろそろ――」


 取ったり取られたりとされている腕から、身体を蝕んでいく毒のように全身にまで疲労が回ってきた気がしてきた。そのため、原因である後ろの三人に「そろそろ辞めて欲しい」と言いかけたその時、先ほどまでその光景を見て苦笑いをしていたフランさんがおもむろにこちらへと歩き出して、僕の目の前に目線を同じくしてしゃがみ込んだ。


「その……私もみんなを運ぶの頑張ったので……撫でて欲しい……です……」


 顔から湯気が出るほど恥ずかしげな様子のフランさんに直接あてられた僕はもちろんのこと、後ろで争っていた一同も動きを止めざる終えなかった。


 そして、この部屋にいる全員の視線が自分に集まっているからなのか、それとも自分がした言動からなのか、あるいはその両方なのか判然としないが、一つだけ明らかなことがある。それは、フランさんの頭から吹き出る煙の量が、時が経つにつれてものすごい勢いで増えていっていることだ。


「――――」


 ここだけ時が止まったように感じ、やかんの中の水が沸騰するような音だけが鳴り響く中、僕は今にも爆発しそうなほど真っ赤になっているフランさんの綺麗な水色の髪にめがけて、結果的に奪い合いから解放された腕を伸ばし、頭を撫でていた。


「あ、ありがとうございます……」


「こちらこそ……」


 本来は僕がお礼を言わなくてはいけないところ、何故だか僕に向けてお礼を言ったのか分からないが、ボッと効果音が尽きそうな程最後に煙を吹き出したフランさんに、それを尋ねるほど野暮ではなかった。



 それからフランさんが落ち着くまで結構な時間が掛かったが、もしフランさんが来なかったら三人による腕の奪い合いはいつまでも続いていたと思うため、結果的に早く終わったのだろう。本当に有り難い限りだ。


「有り難いと言えば、気絶する前に……」


 僕が気絶する前、フランさんが階段から下りてきたときのこと。


 たまに、いやよく抜けているところがあるフランさんだが、ちゃんとするべきところはちゃんとしていて、そういうときは本当に頼りになる。


 そんなフランさんを見て、僕は張り詰めていた糸を緩め、心身共に安堵をした。その結果、唐突に気を失った訳なのだが、倒れる寸前何やらマシュマロのような柔らかく、お風呂のように温かい、不思議な物質に顔が包み込まれた気がした。


「手ではないだろうし……」


 もしあの夢見心地な物質が手だった場合、フランさんの手はよほど分厚いものとなる。が、フランさんの手を覗き見ても、柔らかそうですべすべだと一目見て分かるほど手入れが行き届いている掌ではあるが、そこまでの肉感は感じられない。


「足でもないような……」


 次に可能性として考えられるのは足。その中でも特に太ももならばあの柔らかさと温もりは再現できるだろうが、フランさんと僕の身長差からして倒れる寸前、というか地面に身体が着く寸前に太ももに着地するような事になるので、完全に否定することは出来ないがその線はごく薄いだろう。


「――――」


 ふと湧き出てきた謎を解明すべく、顔の赤みは多少引いたがぼーっと何かに浸るように天井を眺めるフランさんに直接尋ねる。


「フランさん、僕気絶した後ってどうなったんですか……?」


 僕が尋ねると天井を見つめていたフランさんの顔が、まるで壊れかけている機械のようにぎしぎしと音を鳴らしながら、ゆっくりとこちらに向いた。


「あ、え、あ……」


 顔はこちらをちゃんと向いているが、視線をしどろもどろにしながら言葉を上手く紡げないでいるフランさんの顔は再度徐々に赤くなっていき、先ほどよりもその表情は紅を差していた。


 そして、視線も言葉も、身振りも手振りも、その全てがごちゃごちゃになった瞬間、フランさんはパンク、そう表現するしかないような感じで完全に動かなくなった。

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