第222話 震脚

「――――」


 ふと微かな振動を感じた僕は、目が覚めた。布団に横たわったまますぐ横を見ると、さくらが安らかな顔をして規則正しい寝息を立てていた。


 僕とさくら、早朝から夜までと、夜中から早朝まで、まるで地球の裏側同士に住んでいるような真逆の行動だった。


「こんな時間までお疲れ……僕はそろそろ行ってくるね」


 どれだけ揺すっても決して起きないんだろうな、とそう予感させる熟睡具合に、僕はさくらの髪を一撫でし、掛け布団を丁寧に整えてあげた。


「――――」


 ゆっくりと布団を出て、部屋を出て行こうとした時、光の球がフワフワと僕の目の前に止まる――ウィルだ。


「さくらちゃんはもの凄い勢いで強くなってる。真冬くんも負けないようにね」


 光の球のまま小声で発せられた言葉には、ウィル自身の驚きも含まれていて、さくらの急成長に目を見張っているのがありありと伝わってきた。


「うん、僕も頑張るね」


 ウィルは光をより一層強め、応援してくれた。




「また今日も来やがったのか」


 昨日と時間はほぼ同じ、朝靄が掛かっている早朝。そして場所も同じく、街を取り囲む壁の外。


 マルスさんは昨日とは違って、僕とリリスさんが着くとすぐに声を掛けてきた。足下には水たまりはすでに出来ており、醸し出されている雰囲気からしてもう仕上がっているように見えた。どうやらいつもの鍛錬が終わっているようだ。


「ほら、今日もやんだろ。早く準備しろよ」


 マルスさんは面倒くさそうに言っていたが、僕たちには楽しみにしていた感じに見えて仕方なかった。


「真冬くんのために終わらせたの?」


 リリスさんは僕が言うのを躊躇っていたことを何のクッションも使わずに、ずばっと直接尋ねた。すると、マルスさんは頭を乱暴に掻き、いつもよりも怒った声音で反発する。


「んなわけねーだろ!良いから早く剣持てよ、俺はお前らと違って時間がねーんだよ」


 そう言ったマルスさんはたじろぐほどの剣気を一斉に放ち、何がとは言わないが、この上ないほど分かりやすい反応を示した。


「――――」


 しかし、まだ冒険者として実績も経験も少ない僕なんかの修行に、全冒険者中4位にも関わらずマルスさんは付き合ってくれているので、真剣にやらなければ失礼が過ぎる。もっとも戦闘中に少しでもふざけていたら、冗談抜きの比喩抜きで文字通り殺されるだろうが。


「――――」 


 深呼吸をして、気合いを入れ直す。


「今のでてめーは20回は殺られてたからな!」


 僕が剣の柄に手を掛けたのも束の間、今回はマルスさんが先に攻撃を仕掛けてきた。


「――――!!」


 反動や筋肉の収縮などの予備動作無し、直立不動からの急速の接近はまともに姿を捉えようとすれば目にも止まらない早さのため不可能だ。

 だが、一度リリスさんの方向転換を見せて貰っているため、目で追うよりも咄嗟の判断でギリギリ反応でき、速さと体重、それに湯水の如く沸き上がってくる剣気が乗せられた一撃を、何とか剣で受け止める。


「ほう……ちっとはマシになったじゃねーか」


 現在、飛んできたマルスさんの剣を鍔迫り合いで受け止めているため、マルスさんの身体は完全に宙に浮いていて反動の付けようがなく、もうこれ以上剣に力を加えるのは無理なはず。

 しかし、剣の重さは時間が経つにつれて重みを増していた。まるで、マルスさんの足の裏にはジェット機でも積んでいるように。


「――――」


 もう耐えきれない。


 剣が押し切られる前に次の手を判断する。


「僕だって強くなってます――!!」


 真っ直ぐに向かって来ている力を剣の角度をずらすことで徐々に身体の左側へと移し、マルスさんに対して半身になった僕は、マルスさんの背中方面へと駆け出した。


「うわっ!!」


 力だけに頼らない走りをステータスが最低の状態で習得してから初めて、今のステータスで行なった。その勢いは自分でも制御が不能なほどで、街から草原を挟んで広がっている鬱蒼とした森に訳も分からず突っ込んでしまった。


 幸い咄嗟に剣を掲げていたため、向かってくる木々は自動的に切られていったので大きな怪我こそ無かったが、余りの勢いの出方に未だに心臓がバクバクして鳴り止まない。


「これが力に頼らない力か……」


 昨日の時点ではまだ力に頼らないで走れると言っても、それは力が無い状態という但し書きが付いている状態に過ぎなかった。そのためステータスが元に戻った状態で昨日の動きが同じように再現が出来るのか不安だったが、今回の失敗で大方勝手は掴めた。


「次からは」


 まるでトラックぐらいの巨大なバリカンが木々を刈ったように一直線にはげている森の先では、マルスさんが剣を担いでこちらをじっと見ていた。森の中では戦いの様子が僕の師匠であるリリスさんから見れなくなってしまうためか、どうやらこっちにはこないらしい。


 目が合ったマルスさんは挑発的な笑みを浮かべる。


「それじゃあ仕切り直して、行きますよ!」


 距離はざっと一キロ。森に突っ込んだ感覚からして、今ならば一秒ぐらいでマルスさんの元へと到達できるだろう。しかし、一秒も掛かってしまったらマルスさんにはいとも簡単に対応されてしまう。だから直線では駄目だ。もっと攪乱させないと。


「――――!」


 軽く踏み出した最初の一歩で、森を抜ける。


 次の一歩では、マルスさんに対して斜めに向かって力強く走った。そして、マルスさんに瞬きにも満たない時間で到達できるだろう間合いに入ると、その距離を保ったまま円を描いて走り回った。

 丁度リリスさんとの歩行の修行の時にやっていたみたいに、マルスさんを中心にして円を描く要領で。


「もっと……もっと……!!」


 最初は最高で出せる速さの3割程度で走っていたが、次第にステータスが元に戻った状態に慣れてきたので緩やかに速さを上げていく。


「――――」


 4割。


 5割。


 6割。


「――――ッ」


 さすがに身体への負担が大きくなってきた。でも、そのおかげでいくらマルスさんでも僕の姿を捉えることは容易ではないだろう。それに、同じ場所をグルグルと走ることによって砂埃が立ち上り、それが更にマルスさんの視界を塞いでいるはずだ。


 反対に、僕はずっとマルスさんを中心にして同じ距離を保ちながらコンパスのように回っているので、位置は完璧に把握している。


 あとは一撃に移るタイミングだ。


「――――」


 今回は攻撃のタイミングは非常に重要で、タイミングは攻撃の場所にイコールとなっている。


 マルスさんの背中側に回ったときに攻撃に移れば剣を後ろに回さなくてはいけないため反応を遅らせることが出来るし、後ろに来るとマルスさんが予想していたら反対に正面から挑んだ方が対応が遅れるだろう。だから、タイミングを見極めなければいけない。


 あとは完全に背中側、あるいは正面ではなく、少し角度をずらすだけでもマルスさんの対応の質が明確に変わってくるはずだ。


 何にしても今攻撃の鍵を握っているのは僕の他ない。


「――――」


 勝ちを確信したわけではない。でもそれなりに一矢報いることが出来るのではないか、という期待があった。しかし、それは淡い期待でしか無かった。


「てめーにしては考えた方だけどな、こちとら伊達に冒険者やってねーよ――!!」


 マルスさんは足を軽く上げ、地面を踏み鳴らした。その瞬間、僕の走る勢いに釣られて渦を巻き、軽い竜巻と化していた砂煙が中心からの爆風により一瞬のうちに晴れ渡る。


「――――!?」


 僕の走る速さと相まって、360度どこから攻撃をされるか分からない、というこちらに有利な条件を作っていた渦を巻く砂埃の視界不良。それをただ足を踏み鳴らしただけで完全に無効化され、僕の優位性が一瞬のうちに奪われてしまった。


「――――」


 早く攻撃に移らなければ。


 今はもう僕が現状で出せる速度に達している。そのため、これ以上マルスさんの目を攪乱させることは出来ない。

 それに体力的にもうすぐに限界を迎えてしまう。少しでも疲れて、立ち止まってしまったが最後、マルスさんの剣は僕に目掛けて猛威を振るうだろう。


「――今だ!!」


 相乗効果を生み出し、活路を見出す自分の手は完璧に封じ込められた。そして、まだ完全には物にしていないため力に頼らない走りは無駄が多く、体力が厳しいと限界を感じていた。


 だから、僕は攻撃に移ることにした。


 ――人はこれを焦りと、そう呼ぶ。


「――――」


 胸を貸して貰っている身なのだから出来る限りの最善を尽すため、僕はマルスさんの瞬きに合わせて、遠心力を振り切り中心へと飛び込んだ。そして、剣を右肩に担ぐマルスさんの左斜め後ろから切り込む。


「そんなんじゃいつまで経っても指一本届かねーぜ」


 死角から、しかも目を瞑り開くまでの僅かな合間を縫って行なった攻撃だったが、マルスさんは担いでいた剣を手首で少し立たせるだけで、僕の全身全霊を掛けた斬撃を受け止めた。剣の中で線でも面でもない、唯一点である剣の切っ先で。


「――――ッ!!」


 歯を食いしばり、どうにか剣をマルスさんへと押し込もうと躍起になる。しかし、どれだけ押そうとも、あるいは点である切っ先からずらそうとしても、僕の刃とマルスさんの切っ先がピタリとくっついたように動かない。


「不正解だ」


 身体に無数の穴が空いたのでは、と思うほど全身を襲った刺突の衝撃に、僕はその場で気を失った。




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