第七話 寒い時期に出会った弓使いの武人

 一連の騒動の後、私は県長に深く感謝された。賊達を欺いた私の行動が口から口へと伝えられ雍奴県の役人に一目置かれるようになっていた。こんな経験は初めてだ。その反面、私が謀略に長けているという噂もあり距離を置く人もいるという事実には目を伏せよう。


 とにかく多くの人に認められたというだけで私は昇天しそうだった。


 色々あったが結果的に程全ていぜんとは仲良くなった。当初の目的は子供を通じて役人とのコネを作る事だったが程全とその取り巻き達とよく野山を駆け回って遊ぶ事がほとんどになっていた。


 これはこれで体力が付くからいいんだけど、精神年齢が四十超えている男が子供達と一緒に野山を駆け回るって犯罪の匂いしかしない。くっ! つい頭の中で転生する前の自分が程全達を追いかけている図を想像してしまった。自己嫌悪で吐きそ。


 さすがに冬が来ると私達は外で遊ぶのを止めた。とにかく寒い! 寒すぎる! 地球の二酸化濃度が低い時代だという事もあるが、この時代の中国近辺が寒冷期に突入したせいもある。私の記憶が正しければ寒冷化のピークは西暦一八〇年と記憶している。最悪な事に今は一七六年。田豫でんよ……君はなんて時代に生まれて来たんだ。


「おい、田豫。外行こうぜ、外」


「え? 滅茶苦茶寒いから嫌です」


「えー、我儘言うなよ」


 我儘は君だろ。


 今日、私は程全の家に居た。程全の父親に招待されたのである。食事もたんまりと食べ終えた。そして、家にある書物を取って読んでいると好きなのを持っていきなさいと言われて、吟味している最中である。


「程全も書物の一つや二つ嗜んだらどうですか?」


「俺は戦場を駆け回るから、そんなもんはいらねぇよ」


「戦場を駆け回るからこそですよ。功績を上げていると必ず兵を率いる立場になります。敵の指揮官も兵法の一つや二つは知っているはず特に優秀な方ならありとあらゆる兵法を網羅していますよ。そんな相手と無知なまま戦ったら必ず負けますよ」


「俺の突撃で全部、ぶっ飛ばすぜ」


 話聞いてたか、おい。単身、武器一つで千人、二千人を討ち取る事ができるゲームみたいな世界じゃないからな。


 そう言えば、武力だけなら三国志史上最強と言われている呂布りょふが数十騎で数万の敵を打ち破った逸話があったような……んなアホな。逸話故に話を盛っている可能性は高いかもしれないが私の頭の中で戦場で出会いたくない武将ランキング一位が呂布になってしまった。


「本は決まったかい?」


 程全の父親が私達の居る部屋にやって来た。県長を務めている人だから厳格な印象を持っていたが彼は気さくな方だった。


「ええ、これにします!」


「お、それは『六韜りくとう』かな? いいよ、全部持っていきなさい」


「ありがとうございます!」


 私は『六韜』に関する本をすべて抱えた。『六韜』は武経七書ぶけいしちしょと呼ばれる兵法書の一つである。全部で三巻あり、六十編から成っている書物でもある。


 あの劉備りゅうびや日本の戦国時代では徳川家康が愛読してた本でもある。私にとっては幸運だった。劉備と出会ったら、この本がきっかけで話題が弾んで仲良くなれるかもしれないからである。そういえば……黄巾の乱が起きたら、どうやって名乗りを上げようか、挙兵? それともこのまま程全の父親と仲良くなって兵卒から始めるか? んーどうしようか。


 私は程氏一家に帰る旨を伝え、一礼してから家を出た。すると、中庭から物音が聞こえたので家の周囲を回り込んで中庭を覗く。そこには弓矢で的を射る武人が居た。


「…………ふんっ!」


 と武人が弓を引いて矢を放つ、すると見事に的の中心を射たのであった。私は感嘆し「おお……」と声を上げた。更には驚くべき事が起きた。


「す、すごい‼」

 

 私は思わず大きな声で感想を言った。何故なら、的に刺さっている矢の矢筈やはず――つまり、矢の後ろ端に矢を命中させたのである。もしや以前、遠く離れた距離から賊の頭領の後頭部を射たのはこの方なのでは?


 私の声に気付いたのか武人はこちらを見た。


「おめえは確か……程全を助けた、田豫だったな」


「あ、はい! そうです!」


 私を書物を抱えながら近寄った。この人だ! この人から弓術を習うべきだ! と私は思ったのであった。


 近付いてみると武人の顔には傷跡があり、歴戦の戦士といった出で立ちだ。顔からして三十代だろうか?


「あ、あのお願いがあるのですが!」


「……なんだ」


 あれ? 急に険しい顔付きになった。こわっ、なんでだろう。


「私に弓矢の使い方を教えて下さい!」


「はぁ、やはりか……」


 武人は私が何を言うのか分かったようだ。そんなに嫌な事だったのだろうか?


「私は強くなりたいんです」


「駄目だ」


 ええええええ! 三文字で断られた。


「な、なぜですか」


「駄目なもんは駄目だ」


「あなたのような弓の名手になりたいんです! 賊の頭領の後頭部を射たのはあなたですよね。あの精巧な技術に憧れてしまったんです!」


 私は褒め倒しておねだりする作戦に出た。これで照れて「しょ、しょうがねぇな! 教えてやるよ!」みたいな展開になってくれ。


「ほう、良く分かったな。だが駄目だ。おめえはまだ子供だ、戦うには早すぎる」


「じゃあ。大きくなったら教えてくれますか!」


「駄目だ」


 教えないんかい! 今の流れ、少し大きくなったら教えてくれる感じだったよね。むむむ。さてどうしようか。


 結局、私は頑固な武人を説得する事が出来ず、家に帰る事になってしまった。とても口惜しい。むむむ。

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