第八八話 知識人と交わるには勉強勉強勉強!

 劉備りゅうび黄龍こうりゅうを仲間に引き入れたあと、来た道を戻って魚陽ぎょよう県城けんじょうへと戻った。


 往復で四〇キロである。しかも、次の日は兵を集めるために故郷へと戻る日でもある。


 私は体に鞭を打って、孫乾そんけんが作ったという義勇兵の名簿に目を通していた。なお、私が率いる予定の呼銀こぎん南匈奴みなみきょうど族と夏舎かしゃ含む勇士達の名前は載っていない。


 深夜だが、料理屋の外で常設されている長椅子に腰掛け、篝火かがりびを頼りに名簿を読んでいると、


「この子とか田豫が好きそうなんだよな~」


 隣に座っている閻柔えんじゅうが名簿に書いてある女性の名前を指差していた。


「なに茶化してんですか」


 私はやれやれ、と力なく笑った。


 今は真面目に歴史に名を残した人物が義勇兵に紛れていないか探し出そうとしていた。


「気になる人物の名でもあったのですか?」


 閻柔と反対側に座っている孫乾が興味深そうに名簿を覗き込んできた。


 彼の姓はそん、名はけん、そして字は公祐こうゆう。簡雍と同い年で二〇歳だ。孫乾は学者の弟子で儒学に通じ、礼節を重んじている。


 儒学は上下関係に厳しいが、孫乾は年下の私に丁寧に接してくれている。儒学に傾倒しているわけではなく、自分の考えで相手を見極めて接し方を考えているようで好感が持てる。


 黄巾の乱のあと、劉備は各地にいる群雄の下を転々とするのだが、群雄らと交渉し劉備の居場所を作り続けたのがこの孫乾だ。つまり、孫乾がいなければ劉備は各地を転々とすることも出来ず、戦乱に巻き込まれて死んでいた可能性があるかもしれないのだ。


「気になると言いますかただの兵としてだけではなく重用した方がいい人が何人かいますね」


「やはり、地元故に知り合いが多いのですね」


 私はええ、と言って頷く。説明が面倒なのでそういうことにした。


「まず、関殿かんどのの部隊に入っているこの二人は重用した方がいいです」


 私は二本の指で名簿に書いてある鮮于輔せんうほ鮮于銀せんうぎんという名前を指差す。


 この二人は皇族である劉虞りゅうぐの部下になるはずの二人であり、さらに鮮于輔の方は後に魏国ぎこくで功臣として名を残す軍事と政治に長けた人物になる。鮮于銀の方は文献では途中で記録が途切れているが軍事に長けていることがなんとなく分かる。


「おお、その者達は先の戦で関羽かんう張飛ちょうひに続いて活躍した者達ですね。玄徳げんとく殿はすでに関羽に対して、この二人を重用するように言ってます」


「じゃあ、余計なお世話でしたね」


 そうだった劉備は人を見る目というか、人の本質を見抜ける眼を持っている。出会ったばっかりにも関わらず、まるで未来を知っているようだと言われてドギマギしたこともあった。


「私達が知らない逸材がいるのであれば、教えてほしいので引き続き、名簿に目を通してください」


「では遠慮なく見させてもらいます」


 引き続き、名簿に目を通す。まだ会ったことがない趙雲ちょううんが率いる部隊にいる人達を確認する。


「……これ閻柔の弟では?」


 私は閻志えんしと書いてある部分を指差す。


 閻志も兄の閻柔同様、魏国に仕える男である。閻柔ほど輝かしい功績は残さないが太守にまで上り詰めた一角の人物である。


「そういや、おいらに弟いたな」


「えぇ……」


 私は閻柔に怪訝な目を向けた。


「何年も異民族のところで暮らしてたからしょうがないだろ」


「存在を忘れるのはおかしいですよ」


「それもそうだな。思い出すためにも会いに行ってくる!」


 そう言い残して閻柔は走り出し、去った。


 私は孫乾と二人きりになってしまった。


「「………」」


 ついさっき魚陽に帰ってきて、名簿を貸してもらうために私は孫乾と対面を果たして今に至る。


 つまり初対面の状態である。名簿にも目を通し終わったし、話すことがない。


 だが、優秀な孫乾なら会話を引き出してくれるはず。


田殿でんどの


 ほらきた。


「なんでしょうか」


「いい天気ですね」


「今、ド深夜ですけどね」


「ま、まぁ、雲がないということですよ」


 私は顔を見上げて、目を細めて空を注視する。


 星が一切見えなかった。思いっきり曇りだった。


 孫乾は話すことが無さすぎて天気の話を無理くりしている感じだった。なんからしくないぞ。今日会ったばっかりだから、人となりはまだ分からないけども。


「申し訳ない、議論や交渉の類などは得意なんですが日常会話となると上手いこと話せないのです。貴方とは初対面なので尚更、話題が無くて」


 孫乾は照れ臭そうに後頭部を掻く。


「意外ですね」


「よく言われます」


「いいですよ、議論や交渉の類の話でも」


 私は彼に歩み寄ってみた。


「では議論ではないですが質問をしたいと思っていました」


「なんでしょうか」


 孫乾は少し考えこんだあとに私に顔を向けて喋る。


「では遠慮なく聞かせてもらいたいことがあるのですが、なぜ閻柔に弟の存在を伝えて黙って行かせたのですか? 劉殿の別動隊を率いるとはいえ、それはもう田殿の独立した部隊でもあり、優秀な人材は一人でも欲しいと思っているはずです。交友関係を築いている閻柔は貴方に付いて行く可能性は高い、だが玄徳殿の下にいる弟さんと会わせたら才ある閻柔が玄徳殿に従軍してしまう可能性があり、貴方にとって損失になるのでは?」


 私の立場で物事を考えていたようだ……閻柔が劉備の下で従軍するかもしれないことは確かによぎったが別に止めはしない。


 というか損失云々まで勘定してなかった。


「優秀な人材は確かに欲しいですよ。でも、利己的な考えで人を家族と会わせないような人間になってしまえば、天下に眠る国士を招く度量は得られませんよ」


「……なるほどです。確かに『菅子かんし』の覇言篇はげんへんでは、大局を見通せば人材が得られるが――」


「――目先の利益にこだわれば人材を失う」


「!」


 兵法書でもあり経済や政治に通じている『菅子』に書いてあることを引用してきたので、言葉を遮り、それに続くことを言った。


 孫乾は目を見開き、


「さすがですね。敬服します」


 私に礼をした。


 いやー死ぬ気で勉強してきてよかったー!


 私塾に通いつつ、兵法書を読み耽って研究したかいがあった。


 やっぱり、知識人や名士と仲良くなるには儒学だけじゃなくて色んな学問に通じてないと駄目だ。

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