第六五話 始まってしまった魚陽防衛戦

 県城けんじょうへと馬で駆け込む。


 道中、乗馬している黄巾賊が追いかけてきたが弓矢を使って追い払った。相手も騎射してきたが避けるまでもなかった。元々、騎射は北方民族から取り入れられた技術だ。そう簡単に馬に乗って矢を放てる人が賊から現れるのは困る。私の特技が霞んでしまう。


 北門をくぐった私は馬から降りる。辺りには城門を開閉する兵と逃げ込む平民達しかいない。賊が近づけば、城門は閉まるだろう。


 黄巾賊が接近するまでにかなり時間を稼いだと思うが、平野で敵を迎え撃つ準備は整ってなさそうだ。


「おい! 早く降ろしてくれ!」


 馬に括り付けた兵士はジタバタとして、解放するようにかしてくる。


 今、解放したら張白騎ちょうはくきの首を持っていかれそうだ。


「その首を渡してください」


「どうせ持っていくんだろ! 俺の手柄を!」


 兵士は大事そうに首を抱える。


 君の手柄ではないだろうに。


「本当は手柄を譲るつもりはありませんでしたが、君は存分に働いてくれました。そこに免じて、手柄を折半することにしませんか」


 自分で言っておいてなんだが討ち取った首の折半ってなんだよ。できるわけがないが、ここは兵士をなだめることを優先しよう。


「……いいぜ」


 相手は上擦った声で喋っていたのでいぶかしみつつ、彼を縛っている麻縄を直刀で斬る。


 兵士は馬から崩れるように地面に落ちて、立ち上がる。


 そして――


「馬鹿が! 何が折半だ! これは俺のもんだ!」


 兵士は捨て台詞を吐きながら一目散に逃げた。


 私は直刀を納めて弓矢を構えようとしたが、かぶりを振ってやめる。


 今、張白騎の首を取ってきましたと太守たいしゅに言っても信用はされないはずだ。官軍からすれば賊のかしらは今、賊をまとめている人物だ。張白騎、誰それ? 状態になるに違いない。


 それより早急に考えることがある。


 ――――北門近くにある扉がない石造りの建物の中に入る。誰もいないが、室内に漂うアルコールの匂いで居酒屋だということが分かった。お店の中にいた人は逃げ出したのだろう。


 私は置いてある長椅子に腰掛ける。


 時間はないが、落ち着いて状況を整理しよう。多く見積もって七〇〇〇人いた黄巾賊は張白騎が私に騙し討ちされたことで数を減らしていた。仮に六〇〇〇人の賊が残っていると仮定しよう。


 官軍の兵士が何人いるかは把握していないが、ここ魚陽ぎょよう郡の中心地である魚陽県の県城には数千人はいるはずだ。くわえて高家こうけを中心とした豪族もいれば倍以上に兵数が膨れ上がるはずだ。


 以上のことを踏まえると、黄巾賊に互角程度の兵数で対応できる。もっとも県城近くまで黄巾賊さえ迫っていなければ、官軍も豪族も多くの兵士を集めることができて、相手の兵力を上回ってたはずだ。こればかりは敵の襲来を察知できない官軍の怠慢だ。


「――来たか」


 外の喧噪を聞き取り、立ち上がる。


 二つの方向から声が聞こえる。一つは県城の外にいる黄巾賊の声、もう一つは県城内にいる兵士らの声だ。


 私は勢いよく外に出ると城門に向かって疾走する数多の兵士がいた。最初は筒袖鎧とうしゅうがい(鉄製の子札を重ねたシャツ状の鎧)を着ていたので官軍だと思ったが見知った顔がいたので豪族の兵士であることが分かった。


高当主こうとうしゅ!」


「おお! 田豫でんよ!」


 私は馬に乗っている高輔こうほを呼び止めた。彼は他の兵と同じく筒袖鎧を着ているが、頭の赤い頭巾が特徴的だった。立場上、他の者と区別を付けるために被っているのだろう。


 高輔に官軍や豪族の状況を問おうとしたが上空から矢の雨が降ってくるのが見えたので居酒屋に戻り、高輔を手招きする。高輔も異変に気付いており、すぐさま建物の中に駆け込んだ。


 放物線を描いて飛んできた矢は辺り一帯に突き刺さる。また、矢に当たってうめき声を上げる兵士や当たりどころが悪くて絶命する兵士が居酒屋の入口やガラスのない窓から見えた。


「すまぬな。色んなことを把握するのに少々、時間がかかった。事情は玲華から――」


「その辺の話はもう大丈夫です。高当主が兵を率いているということは事態を把握しているということなので」


 切羽詰まっている状況なので高輔の言い分を聞かないことにした。


「高当主、兵にはどういう指示を出しましたか?」


「兵士らにはを持たせて城壁から賊を撃つように指示してる。それから親族らが太守に兵を前線に出すよう圧力をかけている最中だ」


「ではいずれ太守は動きますね。にしても弩を持ってたんですね」


「お主のおかげで財を築き上げることができたのでな。官軍からある程度武器を買い取った」


  弩――弓矢に並ぶ飛び道具で、この時代の花形武器でもある。弓矢を扱えるようになるには相当な修練が必要だが弩は新米兵士でも扱える。弩の上に弦を張り、矢をセットしたあとに引き金を引くだけで強力な矢が発射できるからだ。ただ、弓矢と違って装填に時間が掛かり連射できず、重さもあるので、馬上では扱えない。その場から動かない兵士向けの武器だ。


 通常、弩は朝廷が管理しており、群雄割拠の時代でもないのに豪族が保有しているのは珍しい。


「ちなみに兵数はどれくらいですか? 屋敷に兵を置いていますか?」


「ここには八〇〇人の兵を連れて来た。そのうち五〇〇人には弩を持たせておる。これで高家が保有する弩を全て持ち出したというわけだ」


 よし、いいぞ。相手は弩なんか持っていないから今頃、多くの賊が討たれているはずだ。


 豪族の当主だけあって決断力に優れ、行動力が速い。だが、高輔は善良な人間故に、その決断力が仇となって没落しかけた過去があるので不安は残る。まぁ……没落しかけたのは私のせいなんだが。


「屋敷周りには五〇人の兵がいるが呼んできたほうがいいか?」


「いいえ、そのままでいいです」


「うむ」


 高輔は頷く。


 びっくりするぐらい素直に従っている。まるで私が当主だ。それぐらい今は信用されているのだろう。


「県城にいる高家の兵士はそれで全てですか?」


「いずれ、親族と他の豪族達が一五〇〇程度の兵を連れてくる」


 豪族側の兵数は全部で二三〇〇人か。


 思ったよりも少ない、賊の来襲が突然だったから無理もないか。


「お答えいただきありがとうございます。では私が得た情報と状況を説明します」


 私は相手の指揮官を討ち取り、虚言で相手の兵力を減らして混乱状態に陥らせたことを伝え、今は求心力があり、兵法に長けているであろう人物が賊をまとめているかもしれないという推測を言う。


 高輔は瞠目どうもくしながらずっと私の話しを聞いており、せきを切ったように喋り始める。


「すんばらしい! すんばらしいぞ田豫! 知力、武勇、それを生かす大胆さ! お主がこの魚陽に来てくれて本当に良かった。相手の兵士があまりにも多くてな、不安だったのだが希望が見えてきた! このことを皆に伝えれば士気もあげることができるな」


 高輔は感涙しそうになりながら私を褒め称えていた。


 カッコつけて、感謝の言葉は戦いが終わってからくださいと、言って背中を見せつけて去りたい。


「これからわしはどうすればいい?」


「……えっ?」


 私が決めるの⁉ 


 いや……私の言うことに従ってもらおう。高輔は私を信頼しきっている、美肉の策の件で心酔に近い状態だ。後々のために、ここで高家をコントロールし、無事この戦いが終わって勝利すれば本当に心酔してくれるかもしれない。


「高当主自身は何が起きても前線に出ないでください。私が新たに指示を出すまでは後方に下がって、状況を把握しつつ官軍と他の豪族が来るまで耐えてください」


 と、私が安全策を提案したとき、居酒屋に高家の兵が駆け込んでくる。


「高当主! 少数ではありますが賊が壁を越え始めています!」


 それは嫌な報告だった。

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