第六四話 美肉の策と名付けよう

 近くにいる七〇〇〇人の黄巾賊が互いに肩を組んで盛り上がる。


「やっちまえ!」


「斬れ!」


 会場のボルテージは最高潮だ!


 馬の下へと戻り、


「さぁ、どうぞ!」


 その馬に括りつけた兵士の首を斬るよう張白騎ちょうはくきに勧める。


 目をギラギラとさせた張白騎は馬に近づく。


「この場にいる全員がお前の死を望んでいる! どういう意味か分かるよな?」


 張白騎は官軍の兵士を見下ろして、死を宣告した。


「ひ、ひぃ……! おた、お助けを!」


 兵士は顔を上げて、救いの手を私に求める。


 もうちょっとだけ我慢してくれ。


「噂通り、臆病だな! 雛平すうへい!」


 張白騎は今の魚陽ぎょよう太守たいしゅの名を呼んだ。


「顔が腫れたところをみると随分と敬家けいけの連中に可愛がってもらったようだな」


「あ、あああっ」


 怯えて目尻に涙を溜める官軍の兵士。


 革命を起こそうとしている黄巾賊からすれば、弱った太守の姿は加虐心を増長させてしまうのだろう。太守じゃないけども。とにかく、さっきから黄巾賊がうるさい。


「雛平の首が落ちるとこみてみたい!」


 と、一人の賊が言うと小気味良いリズムで拍手沸き起こる。


「それ斬首! 斬首! 斬首!」


 飲み会のコールかよ。


「はい、斬って~斬って斬って!」


 かなり耳障りだ。しかし、妙にノリがいいおかげで時間が稼げているから、続けてほしい気持ちがある。


 豪族達にはもう賊が県城けんじょうに迫っていることは分かっているはずだ。つまり私への誤解を解いているであろう杏英と玲華のことを信じるしかない状況だ。


 問題は官軍だ。さっき、張白騎が言った通り太守の雛平は臆病な人物だ。最悪、兵を集めるだけ集めて動かない場合も考えられる。


 ただ、豪族達が動いてくれれば、雛平も動かざる得ない状況になるはずだ。このいくさに勝った場合、雛平が何もしてなかったら、いずれは朝廷に罰せられ官職を剥奪される可能性がある。それに地域差はあるが、今の漢王朝は豪族を制御できない。そのため太守らは一部の際立った豪族を優先して気を遣う必要があり、雛平が嫌々、戦場に出る可能性が高いのだ。


「魚陽郡太守! 雛平! その首、この張白騎が貰い受ける!」


 と、意気込む張白騎。彼は腰のある曲刀の柄に手をかける。


 七〇〇〇人の黄巾賊まで距離は五メートル。


 賊を率いる張白騎は目の前。


 横には官軍から借りた馬とそこに倒れて乗っている名前も知らない兵士。くわえて、その兵士を斬ることしか考えていない張白騎。


 ――――今だ。


 張白騎が曲刀を抜き、刀を振り上げると同時に、直刀を抜刀し両手で持つ。


「はあああああああっ‼」 


 気合を吐きながら右足を軸に回転しつつ、勢いをつけたまま張白騎の首後ろに直刀を打ち付ける!


「うぐおぉぉ――⁉」

  

 張白騎は呻くも束の間、彼の首から血が飛散し、私の手に肉と骨を切断する感覚が伝わる。


 ――――張白騎の頭部は地面に向かって落下していった。


 首を刎ねるのは難しい、重い武器で力任せに両断するのが一番楽だが、刀を用いる場合、上手く首の骨と骨の間を狙わなければならないので技量が試されるが上手くいった。また、回転して勢いをつけたのも功を成したようだ。


 すぐさま、地面に落ちた首を拾い、隣の馬に乗る。あまり見たくはないが張白騎、何が起きたのか分からないような顔をしていた。


 真向かいにいる黄巾賊を見ると、時間が止まったかのようにその場から動いてなかった。呆気にとられている様子だった。いきなり自分達の指揮官が斬られたんだ。目の前の光景に思考が追いつかないに違いない。


 確実に黄巾賊の戦力を減らすために畳みかけるぞ。


 私は張白騎の首を片手で掲げる。


「張白騎! 討ち取ったり! すでに官軍と豪族は君達、賊の動きを把握し万全を期して待機しています! 奇襲しているつもりでしょうが、罠に引っかかりましたね! 逃げるなら今のうちですよ! 戦うのなら止めません、万を超える兵が待っていますがね!」


 私はここぞとばかりに相手を脅す。


 黄巾賊の多くは流民だ。目の前で指揮官が討ち取られたことで士気は下がり、混乱するのは明白!


 よし、もういい逃げよう!


「おいお前らどこに行く!」


「勝てるわけねぇだろ! 誰が指揮とるんだよ! それに敵は大勢いるらしいぞ!」


かしらが討ち取られたら、黄龍こうりゅう様が指揮を取る手筈だろ!」


 私は馬で駆け出すと、後方から状況を理解した黄巾賊の喧噪が聞こえてくる。


敬家けいけって連中に裏切られたんだ、そうじゃないと、あそこまで俺達の事情を把握できるわけがない!」


「あのガキを追って敬家共々、殺してやる!」


「待て! 足並みを揃えるんだ。ここは堪えろ! それに冷静に考えてみろ、我々の進軍を知っているのなら、ここまで回り込んだことをするはずがない。万を超える兵がいるのなら我々を迎え撃ったほうが確実なはずだ!」


「そ、そうだ黄龍こうりゅう様の言う通りだ!」


 距離が離れすぎて、ほとんど何を言っているか聞こえないが、肩越しに様子を確認すると、ある程度、相手の状況を把握できる。


 その場に足を留める者、逃げ出す者、私を追う者と、三者三様だ。


「ふふ、はーはっはっはっ!」


 我ながら悪い笑い方をしてしまった。


 黄巾賊の中には冷静なまとめ役がいるのか意外にも陣形を整えようとしているものが多い、ただ、逃げ出す者も少なくはない。確実に戦力は落とせた。


 ……なんだか、背後が騒がしい。


「おお、俺の! 俺の手柄!」


 馬に括りつけた兵が私が抱えていた張白騎の首を欲している。涙を流しながら、首に向かって手を差し伸べていたのが、なんだか哀れで、私も人の首を持ちたくはないので、一旦、投げ渡す。


 高家に潜入していた敬家がヘマをしたことで情報を制し、さらには前世で得た知識を駆使したことで相手が計略に引っかかってくれた。


 極めつけは太守を騙らせた兵士のおかげだ。顔もボコボコに殴ったことで疑う余地がなくなったのだろう。これに関しては苦肉の策を参考した。


 三国時代で最も有名な戦いの一つである赤壁せきへきの戦いにて黄蓋こうがいという将軍が仲間からムチ打ちの刑を受けることで、敵である曹操そうそうに投降した際に信用してもらい、曹操軍の船を上手く焼き払って、劣勢を覆したのだ。自らを傷付けることで敵を偽って信用させる、この黄蓋の行為が後の世では苦肉の策の語源となっている。


 しかしだ、苦肉の策は人間というものは自分を傷つけることは無いと思い込む心理を利用し、敵を騙す計略だ。今回は友達でも知り合いでもない官軍を武装解除させ、ボコボコにしただけだ。私自身は肉体的なダメージを負っていない。


 無傷で自分を相手に信用してもらう、この計略は苦肉の策とは言わない。


 名付けるならば美肉びにく! そう美肉の策だ!

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