第六三話 第二の張角になれそう、ならないけど
口約束ではあるが、官軍の兵士は私の策に乗ることを約束してくれたので、具体的に計画を伝える。彼は心底、嫌な顔をしていたが賊の
まず、兵士に官軍が所有している馬を手綱を引いて連れてきてもらった。次に武装を完全に解除してもらい、顔が腫れるぐらいにボコボコに殴った。もちろん顔を殴ったのは策を成功させるためでもあるが、槍で叩かれた分を倍返しにするためでもある。
「ぐっ……あっ……くそが、覚えとけよ」
兵士は苦悶の表情を浮かべながら倒れていた。威勢よく喋れているので大丈夫だろう……元気になったら、刺されそうな怖さもあるが。
現在、城門の出入り口は逃げ込んでくる人々でごった返しており、城壁沿いの狭い道に私達はいた。
「じっとしててください」
私は兵士を立たせて馬の
本当ならば乗り慣れた愛馬を使用したいところだが一早く高家の屋敷から脱出しなければならなかったので、連れ出す余裕はなかった。
城壁から
しかし、あまり時間はない。
私は
これで私も黄巾賊! もちろん黄巾賊のフリをするだけで賊に加担するつもりはない。
「では行きます。落ちることはないとは思いますが気を張ってください」
私は馬に乗り、城門を通り抜ける。
時間が惜しいが人が多いのでゆっくりと馬を歩かせる。
――――城門と人混みを抜けた瞬間、私は足で馬に合図を送って疾走させる。
「怖っ! ああああっ! 俺、馬に乗ったことがねえんだよおおおお!」
背後で兵士が絶叫する。気にしないでおこう。
まだ、黄巾賊まで距離はあるが私に指を差してきているような気がする。逃げ惑う人々の中、向かってくる人間が目立つのは当たり前だ。
だか今の私は黄巾賊になりきらねば。黄巾の乱が勃発した日にトレードマークである黄色の頭巾を被って味方のフリをする敵がいるとは考えにくいだろう。だが用心はしよう。
あと数分で黄巾賊に辿り着く。
馬を全力疾走させると、さらなる絶叫が背後から聞こえた。
数分後。
「――――おーい! おーい! みんなー!」
黄巾賊の下に辿り着いた私は片手を振って、慣れ慣れしく話しかけた。
さらに私は精一杯、笑顔を見せる。これで敵意は感じないはずだ。
「なんだあいつ」
「あんなガキいたか?」
「なんでずっと歯見せて笑ってるんだ。あんまり近づきたくねぇな」
「うわっ、歯見せながら馬から降りて近づいてきたぞ!」
「なんか気味が悪いわ……」
びっくりするぐらい笑顔が不評だった。
しかも、姿は見えないが声から判断するに、最後は女性に嫌がられていた。前世で歩いているだけで女性にクスクス笑われた思い出が蘇ってしまった。ここで精神的なダメージを負わせてくるとは、さすが黄巾賊だ。一筋縄ではいかぬ。
賊と七歩(約五メートル)程度の距離を空けて馬を降りる。
馬に乗って逃げる算段なので、賊と近いところに馬は置けない。だが離れすぎても不自然だ。
若干、不自然かもしれないが、この距離ならばギリギリ大丈夫なはず……。
「私は高家に潜入していた
賊に近づいた私は
敬家の名を騙れば、警戒心は減るはず。
「敬家? お前知っているか?」
「いや、知らないな?」
目の前にいる黄巾賊は敬家のことを知らないらしい。
ということは……もっと上の立場の人間が知っているということか? 誰も知らないってことはないはずだ。そうであってほしい。
一滴の汗が額から流れる。ずっと心臓を鷲掴みにされた気分ではある。
気を張って友好的に話しているが目の前には数千人の賊がいるのだ、緊張しないわけがない。
落ち着け、私には現状、黄巾賊でしか知り得ない情報を未来の文献から得ている。それを利用するんだ。
私は深呼吸をすることで、緊張状態を解きつつ、意を決する。
「
「おお、そういうことか、
小方――黄巾党の役職名であり、五〇〇〇人から七〇〇〇人の兵を率いる者のことだ。また、この五〇〇〇人から七〇〇〇人の集団を小方とも呼ぶ。
黄巾の乱が勃発した瞬間に小方などという役職名を部外者が知っているはずがない。これでかなり信用してもらったと考えてもいいはずだ。後は小方が敬家のことを知っているのかが問題だ。わざわざ豪族の動きを抑えるために敬家を潜入させているんだ、知らないはずがない。
黄巾賊の後方から白馬に乗った男が現れる。右腰には鞘に納まった曲刀を携えている。
「話しは聞いたぞ」
男は馬から飛び降りながら話しかけてくる。中々、強そうな雰囲気を漂わせていた。
そもそも、この時代の刀は直刀が主流なのに、騎兵である彼がわざわざ曲刀を使ってるあたり、実力者であることが窺える。
中世ヨーロッパでは、曲刀もといサーベルは騎乗する兵に愛用されている。何故なら、サーベルは軽い上に片手で鞘から抜きやすく斬っても突いても威力が発揮できるからだ。ただ、それは一〇〇〇年以上先の話だ。今この時代に曲刀を愛用するのは感服に値する。
「初めまして私は敬家使用人の……
私は自己紹介をする、知っている人の名で。田豫でも問題はないと思うが一応、地元では知れ渡っている名前なので無名の人物の名を使った。
「俺は小方の
男は名乗る。
張白騎――文献で見たことがある名だ。文献には黄巾賊の一味と思われる程度の記述だったが、まさか小方の一人だったとは。
ちなみに張白騎は本当の名ではない。黄巾賊を率いる人間の名は単純なものが多く、元の姓や教祖の姓のあとに呼称された名を付ける。彼の場合、白い馬に乗るので
彼が今、呼称された名を名乗っているのはおそらく……かっこいいからだ! その気持ち分かるよ。だって白騎って字面がかっこいいし名乗りたくなるよね。私も白い馬に乗っているので
「やけに嬉しそうだな。そんなにいい報告なのか?」
「えっ、ええ! そ、そうですよ!」
妄想に浸ってたら口が緩んでたらしい。
「で、報告ってなんだ」
「実は主の命で、太守を捕らえてきました」
「なにぃ‼」
私は突拍子もないことを言うと泡を食ったように叫んでくれた。別に太守と信じてもらえなくてもいい、相手を食いつかせることが重要だ。
「あの馬に乗せてあります」
顎で後方にある馬を差す。
「どういうことだ⁉」
張白騎は状況が理解できないといった様子だ。
「実は
息を吸うようにデタラメを述べた。
「見所がある一家だとは思ったが、これは褒美を弾むよう張角様に進言しないとな」
「ほ、褒美ですか?」
「そうだ。魚陽郡の都市を一つ与えてもいいぐらいの手柄だ」
「おお! それは是非――」
――いや、是非じゃない。危ない危ない、心まで黄巾賊になるところだった。
「一応、魚陽太守の顔を確認してください。太守本人で間違いないと思いますが」
「太守の事は名前以外よく知らないんだが」
会ったことはないのか。顔を腫れるぐらいまで殴った理由は二つあり、一つは顔を判別できないようにしてもらうためだったが、分からないのならそれでいい。もう一つの理由は私を仲間だと思わせるために、ボコボコにした。
「そもそも、なんで首を取らなかったんだ。あの状態なら首取れるだろ」
「もちろん理由があります」
「理由?」
「ええ、これから大事を成すために必要なことです!」
私は大仰に腕を広げて、馬の下へと移動する。
「小方様にいまこの場で太守の首を斬ってもらうことで、勢いをつけるんですよ! これから始まる太平道の時代に! 私達の威光を、裁きを、存在を、世に知らせましょう!」
背を見せて、私は語る。
「おお……!」
張白騎は感嘆する。
いいぞ! ここでもっと、いい感じのこと言ってやる!
「魚陽郡太守がいとも簡単に捕まってしまったのは私とて不思議です。ですが、これこそが天の
ここぞとばかりに
「「「うおおおおおおおおおおおおおお!」」」
黄巾賊がおかしいくらいに盛り上がり始めたぞ。
「その通りだ! 周琳!」
「俺達の時代だ!」
不思議と教祖になれる自信が出てきてしまった。
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