第六二話 官軍は餌で黄巾賊は踏み台!

 再び城壁の上から外に向けて指を差す。


「もう一度言います。あの土埃つちぼこりが見えないんですか?」


「だ、だからそれがなんなんだ!」


 私が二度叩かれても平然としているせいで、兵士の言葉からは畏怖の念が感じられた。


「土埃が横に広がって舞い上がっているときは歩兵が進軍している可能性が高いんですよ。つまり今、攻められているんです」


「歩兵だぁ?」


 兵士はもう一人の兵士と顔を合わせて首を傾げ、それから少し間を置き、


「「はっはっはっはっ!」」


 と、哄笑する。


 この町はもう駄目かもしれない。


「お前の言ってることが本当だとしたら村の連中か近隣のやぐらにいる兵士が早馬で知らせてくるはずなんだよ」


「じゃあもうその村は賊に取り込まれているかもとより賊が支配していたのかもしれません。兵士だって殺されている可能性が高いです」


 と、予想を言ったがおそらく官軍が仕事をしていないか賊に取り込まれていると考えた方が現実的だ。


「いい加減にしろ! 次はさっきみたいに平気な顔していられると思うなよ!」


 兵士は槍先を私に向けてくる。


「お、おい! 見ろよあれ!」


 もう一人の兵士が槍を構えている仲間の肩を叩く。


 二人は城壁の外――数多の人影がこちらに向かって進行してきているのを確認し、呆然とする。


 かなり遠方にいるが進行をしている人達の手には剣、槍、矛、弓など多種多様な武器を持っていると思われる。とにかく統一感がなかった。また後方には幾人か乗馬している人達が見受けられる。夜だから分かりにくいが恐らく全員、黄色の頭巾を被っている。


 間違いない黄巾賊こうきんぞくだ。


「なんだありゃ! 何千人にいるんだよ! ど、どどうしよ!」


 兵士は気が動転していた。


 彼の言う通り、予想以上に人数が多い。目算で五〇〇〇人以上はいると思われる。


 城壁の上には目の前にいる二人以外にも官軍の兵士はいるが、予想外の出来事に慌てふためいている様子が見える。町中に駆け込み、住人や仲間に情報を伝達しようとする者もいれば、武器を捨て逃げる者もいる。


 黄巾の乱が起きてから朝廷が動いたのは一ケ月経ってからだ、本格的に軍事行動を起こしたのは二ケ月後。皇帝である霊帝れいていは自分がいる場所に戦火が及びそうになってからようやく軍を編成したというわけだ。その間、全国各地の官軍は負け続けたり、黄巾賊に取り込まれる始末だ。  


 絶望的ではあるが、ここで無名の人物が挙兵し局所的に黄巾賊相手に勝利したらどうなる? 官軍すら動くことのできない時期に黄巾賊を打ち破る義勇兵……注目しかされないだろう。


 従来、劉備が挙兵した時期は、当然、黄巾の乱が起きてからだ。有象無象の義勇兵の一人でしかない。だが今、挙兵し黄巾賊と戦って勝利し続ければ全国の豪族どころか朝廷が放っておくはずがない。だからこそ、劉備の挙兵の時期を早めたかった。できれば黄巾の乱が起こる前に。


 劉備の現状は分からず、今は私一人しかいない。ならば……あの黄巾賊には私個人がのし上がるための踏み台となってもらおう。


「待ってください!」


 近くにいた二人の兵士が駆け出そうとするので呼び止め、二の句を継ぐ。


「君は高家こうけの当主に兵を官軍と連携するよう連絡してください」


 私は暴力を振るってこなかった方の兵士に頼みごとをする。杏英あんえいにも頼んだことだが、高家が未だに状況を察していないことも考えられるので念の為に彼にも同じことをしてもらう。


「は、はい?」


「敵の数は五〇〇〇人から七〇〇〇人いると思われます。今この県城にいる兵士だけでは防ぎきれません、豪族の私兵と協力すべきです」


「言いたいことは分かるがいきなり俺が掛け合ったら戸惑うし、城壁の門を閉めている間に太守たいしゅの命令を待ったほうがいいと思うんだが」


 意外と冷静な人だ。


 この時代の町は今のような有事の際に備えて城郭都市になっているので、ある程度、敵の猛攻には耐えれる。それに太守たいしゅが軍を率いれば統制が取れるうえに士気が上がるだろう。ちなみに太守というのは郡を治める長官のことで二十一世紀の日本で例えるならば都道府県知事に値するだろう。


 ただ、魚陽ぎょよう郡の太守は性格に難がある。それに、


「この状況で門を閉めろと言うんですか?」


 城壁の外には農民たちの民家が広がっており、町の中に逃げ込んでいる。


「当たり前だろ! あいつらに悪いが死んでもらう」


「逆効果ですよ。平民たちも賊の反乱に参戦してしまいますよ、町に逃げ込んだ人達が賊を役人のところまで導く可能性だってあるんですよ。そのために一早く、独自に兵を動かせる豪族の力を借りるんです。豪族に戦わせている間に太守の命令を待ってればいいんですよ。そうすれば人心が離れることもなく官軍に被害はでない」


 私は相手にとって都合のいい言葉ばかり並べた、さらにここで培った名声を使う。


「高家には田豫でんよからの伝言だと伝えれば戸惑われることもないでしょう」


「お前が田豫だって? 子供ながら太学たいがくへの進学が決まってたのに、進学を蹴ったイカれたガキというやつか!」


 良くない意味でも名前が広まっているようだ。


「そうです。その田豫です、どうか高当主の下へお急ぎください」


 兵士は逡巡するが溜息を吐いて、背を見せる。


「その代わり、豪族と連携する案を出したのは俺の功績にしてくれ!」


 こ、こいつ。ちゃっかりしてやがる。


「か、構いませんよ」


 私は笑いそうになりながら口では了承する。


 すでに杏英に頼んでいるので君の手柄にはならないんだ。


「よっしゃあ! やる気湧いてきた!」


 兵士は階段を下りて町の中へと向かった。


「お、俺も俺も!」


 私に暴力を振るっていた兵士も便乗するように仲間に着いて行こうとする。その兵士が城門内へと繋がる階段を下り始めたとき、私は持っている麻袋を全力で後頭部にぶつけた。


「あっ、っっっ」


 兵士は階段上で倒れ込む。麻袋の中には麻縄、青銅の釘、天然の瓢箪ひょうたんを容器とした水筒が入っているのでかなり痛いはずだ。


「積年の恨みをここで晴らす!」


 今日会ったばかりだけど。


 立ち上がろうとした兵士に向かって跳び、馬乗りになる。


「なにしや……ぐふっ!」


 私は体を捻って体重を乗せた見事なストレートを顔面に食らわせた。


「こんなことしてタダで済むと思って……!」


 兵士は鼻を押さえて、恨めし気に私をにらむ。


「いい提案があります」


「なに……?」


「あの賊を率いている者の首を斬って、君の手柄にしてあげる策があるんですよ」


「⁉」


 兵士は目を大きく見開く。私が田豫であることを知った以上、戯言ではないことが伝わるはずだ。


「い、言ってみろよ。その策を」


 食いついた!


「ふっふっふっ」


 私は立ち上がって怪しげに笑った。ここでいかにも謎の自信がある風に見せるのがポイントだ。


「いいでしょう、説明をします。ただ、その前に私の言うことに従うという約束をしてください」


 今のところ、この兵士に手柄を渡すつもりは一切ない、だって私の手柄がなくなってしまうので。

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