第六一話 正義感などなくただ理想と欲のために

 玲華を人質にしたまま、門扉もんぴの前で多数の人間に囲まれていると、屋敷から私の荷物――弓、矢筒、麻袋を持った杏英あんえいが出てくるのが見えた。


 これであとは、荷物を受け取って、玲華と杏英に門扉を通さないようにお願いしてもらおう。


田豫でんよくぅん……」


 玲華がチワワみたいな声を出してきた。


「どうかしましたか?」


「手痛いかも」


「ああ、これは失礼」


 私は玲華が後ろに回してくれている手を片手で掴んでいるのだが痛いらしい。彼女の首元には直刀の刃をギリギリ当たらない程度に添えているのでなるべく、体を引き寄せていたのだがどうやら苦痛だったらしい。


 手の力を緩める。


「別に強く掴んだままでいいんだよ」


「え? だってさっき痛いって言ってたじゃないですか」


「むしろ、もっと強く握って。田豫君に命の手綱を握られてるこの感じ、いいかも」


 そう言って、玲華は上気した顔を見せてきた。


 前言撤回。


 苦痛でも何でもない、こいつ変な癖に目覚めてる。豪族の娘って異常性癖の集まりなのかもしれない。


「ちょ……杏英⁉」


 なんと杏英が目前に迫ってきていた。


 荷物を渡すためか? 投げればいいのに。


「杏様、なにしてるんですか!」


「貴方も捕まえられますよ」


 大人たちは杏英に警告し、訳の分からないことを言い始める男もいる。


「おのれ田豫、女子のみ引き寄せおって! 人を魅了する妖術でも使っているに違いない!」


 この世界に妖術とかないから。妖力とか霊力とかの特殊な力の概念があることも期待していた時期もあったが、そんなものは見つからなかった。


「んんっ」


「喘がないでください」


 呆れ気味に玲華に忠告すると――


「このっ、変態野郎!」


「ぐぶあ‼」


 杏英は見事な跳び蹴りを顔面に食らわせてきた。


 いい……蹴りだ。


 私は蹴られたことを利用し後方に跳んで、ゴロゴロと転がり門扉の外へと出る。当然、直刀は握ったままだ。


「おらっ!」


 すぐに立ち上がってて直刀を納めると、杏英が勇ましい声と共に私の荷物を投げきた。華麗にキャッチし、流れるように弓矢を背中、矢筒を腰に携え、麻袋を肩に担ぐ。


 急に苛立っているなと思っていたが考えなしに蹴ったわけではなさそうだ。


「今だ! かかれ!」


 大人の一人が私が玲華から離れたと見ると、襲いかかろうとするが、


「待って!」「待つのだ!」


 玲華と杏英は両手を広げて通せんぼする。


「見て、ほら、本当は手は怪我してないんだよ」


 玲華は血濡れた手を見せて、元気そうに振る。さらに、


「それにけい家? の人は一人、私がぶち殺したんだよ」


「えっ……?」


「どういうことですか」


 玲華の告白で動揺を隠せない大人達。特に高家こうけの人々が困惑している。


 いいぞ玲華! この借りは多分そのうち返す!


「田豫、お前が何をするのかは知らないが、きっと官軍と豪族の態勢が整うまでなんとかしてくれ……」


 杏英は喋りながら振り返ってくる。


「……あたしが喋っているのに門を閉めるな」


 私はちょうど、門扉を閉じていた。すでに皆の顔は見えない。


「時間がないんですよ! とりあえず杏英、玲華、助かりました! 事が終わったら、なんでもお申し付けください、できることならしますからー!」


 私は大声で喋りながら夜の街を駆けていく。


 確か、敬家の老人は北門から攻めてくると言ってたはず。


 私は真っすぐ、北門へと向かった。


 この街を救いたいだとか大層な正義感はない。知り合った杏家あんけと高家の人々を見捨てるのは確かに後味が悪い、だがそれだけだ。ハッキリ言ってしまえば、杏英と玲華以外は命を懸けて守りたいとは思えない。


 じゃあ何故、躍起になっているかというと、見たい世界があるからだ。


 劉備りゅうび諸葛亮しょかつりょうが望んだと言われる仁の世を。我ながら理想に酔っているのだろう。正気じゃない。だが、正気なままだと生き残れない気がする。


 それに今回の危機を踏み台にし、成り上がっていくという打算もある。


 ――魚陽県の北門に到着し、私は門の中から城壁の上へと繋がる階段を上がる。


 槍を持った兵士が二人いたが、気にせず外へと目を向ける。


「なっ……」


 言葉を失う。黄巾賊の姿は見えないが、遠くで土埃つちぼこりが横に広がって舞い上がっているのが分かる。城壁の周りや今いる通路には篝火かがりびによる明かりがあるが、夜に遠方の土埃が視認できるのは不自然だ


 兵法書『孫子そんし』の行軍篇には土埃の舞い上がり方などでも、敵の動きを知る事ができると記述されており、今回は土埃が一気に横に広がっているので多くの歩兵が進軍していることが分かった。


「おいガキが入ってきていい場所じゃねぇぞ!」


「帰った帰った」


 二人の兵士が私を邪険に扱う。


 そんなことより、


「あの土埃つちぼこりが見えないんですか」


 私は外に指差す。


「それがどうしたんだ。訳の分からないことをいいやがって、お前みたいなやつにいられると上官に怒られんだよ、うらっ!」


 兵士は槍の石突いしづき(槍先の反対側)で私の頬を殴りつける。首を横に向けさせられるが平然と兵士の方を向き直す。


「なんだこいつ、くそっ!」


 さらに兵士は私の頭を石突で叩く。

 

 叩かれたことで顔が下がり視界に廊下が映る。


 分かっていたことだが、官軍も官軍で腐っている。だがこれでこいつ個人に対して遠慮はいらなくなった。黄巾賊の戦力を下げるための餌になってもらおう。


 私は口元を歪めながら顔を上げる。


「こ、こいつ……」


 私を叩いていた兵士は気味が悪いものを見るかのような顔をしていた。

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