第六〇話 これが田豫流のしのぎ方だ

「一体なにが……!」


 玲華を人質にしていた若者が倒れたので近寄ると、辛うじて息があることが分かった。だが、すぐに息絶えるだろう。


 彼の喉からはどくどくと、血が流れていた。


「これ使ったんだよ」


「うわっ」


 私の視界に玲華の血濡れた右手が入ってきたのでびっくりしてしまった。


「これは確か、峨嵋刺がびしですね。こんな暗器どこに仕込んでたんですか」


 彼女の中指には特筆すべきものがあった。峨嵋刺――先端がやじりの形をしている鋼鉄製の暗器。また、峨嵋刺は中指にめるための指輪が付属しており、掌で急所に刺突することができる。


 つまり、これで首を刺したわけだ。玲華も杏英も見た目は可愛い系で、虫一匹殺せ無さそうだけど、こういったことに関して全く躊躇がない。杏英は口調からして気が強いのは分かるが、玲華も侮れない。こればかりは時代故か。


「ここに隠してたよ」


 玲華は着ている深衣しんいのスカート部分を指差す。


「へぇ……スカートの裏にあったんですね」


 私はスカートを捲ろうとする。


「わっ、ちょっと」


 玲華は面映おもはゆそうにスカートを両手で押さえた。


 しまった、他意はなく、自然とやってしまった。普通に私も服の下に何か仕込んだ方がいいのかなと思い、素直に感心し、手が動いてしまった。


「すみません、別に覗こうとは思ってなかったんですよ」


「うん、分かってる」


 照れ隠しに後頭部を掻いてしまう。


「――殺気!」


 背後から悪寒を感じたので横に跳ぶ。


杏英あんえい、そう何度も手刀はくらいませんよ」


 私は後ろを振り返って、チョップを繰り出そうしているであろう杏英を目視すると、


「そ、それは洒落になりませんよ……」


 尻すぼみに喋りにながら首を横に振る。杏英は私が敵の首に投げ刺した直刀を構えていたのだった。彼女は半目でにらんできてる。


「返してくださいよ」


「もとよりそのつもりだ」


 私は直刀を返して貰い鞘に納める。


 死体が三体も転がってる部屋で呑気に会話している神経はどうかと思いつつ、すっかり慣れてしまっている自分がいるのを認識する。前世の記憶はあるが脳と体は全くの別人だ。精神構造が変わっていくのを感じる。


「「…………」」


「なんですか?」


 二人が私を真顔で凝視してきたので後退った。


「お前はまともに戦っても強いのだな」


 私を卑怯者か何かかと思っていらっしゃる?


「見たことない戦い方だったよ、やっぱり田豫君はすごいね」


「私なんかまだまだですよ」


 ここは謙遜して、なんて慎み深い人なの⁉ と思わせよう。


「お前、思いっきり口角が吊り上がってるぞ」


 杏英に思いっきりニヤけたていたことを指摘された。


 ……というか、こんなことしてる場合じゃない。すっかり呑気してた。


「皆を叩き起こして賊の来襲に備えてください。時間は無いですよ!」


「なんだ急に慌ておって、ただの賊なら大丈夫なのだ」


「ただの賊じゃないんですよ。太平道たいへいどうの信徒、四〇万人以上が全国で反乱を起こすんですよ。今この瞬間だって襲われてる都市があるかもしれません。それに賊ではありますが組織的な動きをしています、賊の中には朝廷の官僚もいるのですから」


 私がそう言い切ると、ドタバタと多くの人々の足音が聞こえた――


「――こ、これは!」


「血の匂いが」


「田豫、貴様がやったのか!」


 続々と祭祀に来ていた大人達がやってきた。中には高家こうけの使用人もいた。


 潁川郡の名家の一つであろうけい家の人が死んでおり、そこに直刀を持った私がいるのだ。疑われても仕方がない。


「待つのだ!」


 杏英は私への誤解を解くように叫ぶが、


「田豫、話しを聞きたい」


「なに悪いようにはしない、なぜ手をかけたのか聞きたい」


 相手は聞く耳を持たない。


 悪いようにはしないって絶対、嘘だ。小学校の先生の「怒らないから正直に言ってごらん」という台詞ぐらい信憑性がない。


「杏英! 構いません。太平道の連中が攻めてくることを高当主に伝えて、高家と杏家あんけの私兵を揃えて官軍と連携するようにしてください! 官軍がすぐに動かない場合は町の防衛に専念してもらうことも伝えてください!」


「だがお前はどうする! それに玲華の父親だってこんな話、急に聞かれてもすぐに動けるからどうか分からないんだぞ」


 それはごもっとだ。


 ぐたぐたしている間に黄巾賊の手で取り返しのつかない事態になるだろう。面倒ではあるが、私は私で黄巾賊の攻撃を遅らせにいこう。


「私は大丈夫です。これで場を凌ぎます」


 事態は急を要する。手段は選ばない。


 私は倒れている遺体から黄巾賊のトレードマークである黄色の頭巾を剥ぎ取って懐に入れたあと、


「わっ!」


 玲華の腕を引っ張って、体を寄せさせる。


 次いで抜刀し、腕を肩に回して玲華の首元に刀を当てる。


「お嬢様!」「貴様あ!」


 高家の使用人らは帯刀している得物を構える。


「動かないでください。玲華の命はありませんよ」


「くっ……」


 尻込みする大人達。玲華はきょとんとした顔をし、杏英は口を空けて唖然としていた。


(玲華、少しの間、我慢してください)


 少女に耳打ちをする。


(うん)


 こくりと頷く玲華。


 それから私は玲華に直刀を当てたまま、廊下へと移動する。大人達は苦虫を嚙み潰したような顔を私に向けている。大人達がいつ襲いかかってくるか分からないので念の為、後ろ向きで歩いている。


「どこに行くのだ!」


「杏様、危険です!」


 杏英は私に近づこうとするが高家の使用人に止められる。一方、私は後ろ向きに下がりながら、杏英に声をかける。


「杏英、その荷物取ってきてほしいな~、みたいな」


「はぁ?」


 黄巾賊に対抗するために部屋に置いてある荷物を取ってくるようにお願いした。言いたいことが伝わったのかは分からないが杏英はその……片目を吊り上げて、怖い顔をしている。


「お前というやつは……!」


 杏英は拳を震わせている。


「人遣いが荒い! クズ!」


「杏様! どこへ行くのですか!」


 言いたいことを言った杏英は私の横を走り抜けながら、


(貸しだからな)


 一言、呟く。


 悪態を吐きながら部屋に向かってくれていた。


 ありがとう。


 ――そのまま私は玲華を人質にしながら屋敷の外へ出て、さらに門扉の前まで到達する。もうすぐで敷地外だ。


 ただ、ここに来るまで思った以上に時間が経過した。


 例えば、弓矢を構えた高家の私兵がいたので、


(怖がったフリをして、打たないでって言ってください)


 玲華に演技するようお願いをする。


「こ、コワイー。う、ウタナイデ―」


 棒読みじゃねえか。しかし、高家の私兵は悔しそうな顔をしながら弓を下げていた。


 また、


「玲華様! その手はどうしたのですか!」


 私に近づかないようにしつつ玲華の心配をする兵士もいた。


 玲華の右手は敬泥けいでいの弟と思われる人物を刺し殺したことで血が付着している。


「この手は田豫君に刺されたの!」


「な、なんですと!」


 そんな設定付け足すな。


「これでは迂闊に近づけない……」


「田豫が本当に玲華様を殺してしまう恐れがある」


 なお、効果的だった。


 兎にも角にもここまで来たら杏英から荷物を受け取って、ささっと玲華を解放して黄巾賊のところへ行こう。


 事情は杏英と玲華が話してくれるはず、信じなくても、すぐに実害が起きる。そうなれば、信じざる得ないだろう。

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