第七一話 凶悪な難敵

「――くそ」


 高家の敷地に足を踏み入れた私は悔し気な表情をする。道端には息絶えた高家こうけの私兵達が倒れていた。


 敬家けいけ以外にも黄巾賊こうきんぞくの息がかかった人もしくは黄巾賊そのものが潜り込んでいたことは読んでいたが、五〇人の私兵が守備している高家の敷地を簡単に占拠できる戦力があるとは思わなかった。


 高家の屋敷に近づくと黄巾賊も何人か息絶えていた。


 高家の兵と比べると黄巾賊の死体が圧倒的に少ない。さっき、自白させた賊いわく二〇人の黄巾賊が屋敷を攻めたと言った。数で勝っている高家が追い詰められているということは圧倒的に強い武人が黄巾賊の中にいるということになる。


 屋敷に裏に回ろうとすると交戦している人々が目に入った。


「貴様らどこからやってきた!」


「うるせぇ! くたばりやがれ!」


 当然、戦っているのは高家の兵と黄巾賊。激しい剣戟を繰り広げていた。


「ぐあっ!」


「こ、こいつら中々やる……うがっ!」


 高家の兵が次々と斬られていく。


 一人の賊が討ち取られている間に三人の兵が死んでいってるようだ。


 高家を援護するために私は黄巾賊の背後を取る。城壁の通路と違って、開けた場所なので矢を放物線状に飛ばす必要はない。


「はっ!」


 気合を吐くと同時に私は矢を放って賊の背中を射ると、賊の体は弛緩し、持っている得物を落とす。その隙に高家の兵は賊に止めを刺していた。


 この調子で援護しよう。


 矢筒に入っている矢は残り八本だが、構わず、一本ずつ矢を放ち続けた――――


 ――――六本の矢を放ち、三人の敵を討ち取った。一人だけタフな人がいたので、そいつに矢を四本も使ってしまった。戦場という場所は人外じみた強さを持った人間との邂逅が多い。


 杏家あんけの屋敷にいた黄巾賊の話を聞く限り、もう一人、人外がいたはずだ。今、倒したタフな人とは特徴が一致しない。


 私は右手で矢を一本取り出すと、


「田豫もういい! 裏庭にお嬢様達がいるんだ! 護衛を頼む!」


「厄介な野郎はお前が倒してくれた! ここはもう大丈夫だから早く行け!」


「分かりました!」


 乱戦の中、私は駆けていく。途中、賊の一人が斬りかかろうとしていたので持っていた矢を投げると横跳びで避けられたが、相手の動きを読んでいた私は直刀で腹部に横薙ぎの一撃をくらわす。


 攻撃後、私は相手の死を確認せず、そのまま通り抜ける。


 裏庭に差しかかると、


「賊が一人いる! あれが噂の……!」


 裏庭を視界に入れた私は、高速で視覚から伝わる情報を脳内で整理する。


 屋敷の縁側に祭祀に来ていた豪族や名士がいる。非武装なため高家の兵が縁側の前に立って、皆を守ろうとしていた。その中には杏英あんえい玲華れいかもいた。あろうことか杏英は縁側の前に出て「何をしておる! 右を狙えガラ空きなのだ!」とかヤジを飛ばしていた。


 そして、裏庭には一人の賊しかいないにも関わらず、その賊に高家の兵は次々と討たれていた。


「こ、こいつ……⁉」


ええっ!」


 賊が持っているのは蛇行剣だこうけん。刀身が波打っている剣だ。


 賊は高家の兵が払ってきた槍を力任せに弾くと、兵はよろめく。その隙に蛇行剣を兵に投げていた。


 乱回転していく剣は相手の胸部を裂く、その間に賊は兵が持っていた槍を奪い取り、後ろを振り返らずに迫ってきた兵を槍で突き刺す。


 型に捉われない、その戦い方に既視感があった。おごりかもしれないが私のようだと思った。


 気付くと裏庭には非武装の人達を守っている高家の兵しかいなかった。賊は真っすぐ、兵に向かって走ったので、残り一本の矢を放ったが、


「おっと! あっぷねい!」


 恐ろしいことに賊は飛来物の矢柄やがら(矢の棒部分)を掴んでいた。


 賊は矢を地面に投げ捨てる。私は身を軽くするために弓と空になった矢筒を地面に置く。


「その距離から走ってる人間の顔を狙えるのか……」


 賊は目を丸くして、私の方を向いていた。


 相手との距離は一五メートルもある。裏庭も広く、賊との距離をすぐに詰めることもできないので矢を放ったがいとも簡単に掴まれてしまった。


 再度、抜刀した私はゆっくりと相手に近づく。対して賊は投げた蛇行剣を拾ってゆっくりと歩いてきていた。


 聞いてた話と賊の特徴が一致する。身長は張飛ちょうひと同じぐらいで私より頭一つ分も高く、黄色の頭巾は被っていないが黄色の鉢巻を身に着けており、黄巾賊の一味であることを表わしている。また、防具は身に着けておらず、着ているほうから胸元が見えた。


「小僧、歳はいくつだ」


「今年で一四です」


「名前は?」


田豫でんよです」


「馬鹿正直だなあ。だが覚えた……その歳でその弓術は普通じゃない、幼い頃から鍛えているみたいだなあ」


 普通の賊相手に年齢や名前を聞かれても答えない。ただこの人物には応じたいと思った。


 ハッキリ言えば平民からしたら死んだほうがいい人物ではあるが、この瞬間だけは歴史に名を残した人物に敬意を払いたかった。


「姓と名は褚燕ちょえんで間違いないですね」


「…………どこで俺の名前を聞いた」


 険しい表情を見せる褚燕。


「杏家の屋敷に残っていた君の部下が口が軽くて助かりましたよ」


「チッ! あとで締め殺してやら」


 怒りを露わにする褚燕。


「「…………」」


 しばし、無言で対峙しながら、私達は静かに半身で構える。


 褚燕――後世では張燕ちょうえんという名で歴史に名を残している。ここ幽州ゆうしゅうではなく南にある冀州きしゅう出身の人間だ。本来であれば黄巾の乱に便乗して反乱を起こし、黒山賊こくさんぞくと呼ばれる一〇〇万人の賊の頭目になる男だ。朝廷ですら張燕を討伐できなかったので将軍職を与えて手懐けていた。最終的には曹操の下で将軍になった男だ。


 略奪と殺戮を繰り返すも功臣こうしんとして名を残した数少ない人物。そんな相手と今から戦わなければならない、しかも張燕の肉体が全盛期であろうという時期にだ。

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