第七〇話 戦場では予想外のことしか起きない
現在、
私は
何事も起きなければいいのだが。
右往左往する人々とすれ違う。穀物が入っていそうな樽を載せた荷車を引く者、赤ん坊を抱えた女性、手を繋いでる男女、皆、町の中心地へと向かって避難していた。
そして、中には、
「ぐぶあ!」
黄巾賊に斬られる男もいた。賊は町に侵入したうちの一人なのだろうか?
賊は男が斬られた際に落とした絹を拾おうとしている。絹は貨幣の代わりにもなる貴重な物だ。狙うのも無理もない。
私は抜刀しながら賊に向かって走り、
「なんだ! てめっ……⁉」
腹部を突き刺す。賊は反応する暇もなく、驚愕の表情を見せたまま固まり、私が直刀を抜くと倒れる。
この調子じゃ、局所で被害が出ていると思うが、私は私で優先すべきものがある。
――
「門が開けっぱなしだ……人はいないのか?」
門扉の前で違和感を感じて立ち尽くす。
門番すらいないのはおかしい。兵を出しているにしても屋敷を守るために何人か兵を待機させているはずだ。もし誰もいないのなら
私は杏家の敷地へと足を踏み入れた。数年前、来たときと造りは変わらない。まず、庭が広がっていて、前方には三叉に分かれた屋根付きの道がある。
「うぐっ……す、すびばせんでした」
泣きそうな男の声が屋根付きの道から聞こえたので、私は駆け出す。
すると、そこには屋根と繋がっている柱を背にして座っている、血まみれの官軍の兵――私が張白騎を討ち取るために利用した男がいた。彼の目の前には黄巾賊がおり、左腕で大きめの麻袋を抱え、右手に持った得物を兵に突き立てていた。
二人は私に気付き、顔を向ける。
「て、てめえ! 一体なにもんだ!」
黄巾賊は憤りながら私に問いかける。
「通りすがりです」
「舐めてんのか!」
「そ、そいつですぅ……
官軍の兵は力がこもってない声で口を挟んできた。
「それは本当か? こんなガキがか?」
…………私の顔を知らないにしても、張白騎を殺したのは成人前の人間だということは進軍してきた黄巾賊に伝わっていると思ったのだが。黄巾賊の中でも、かなり後方にいて私のことが伝わっていなかったのか?
いや、今この場にいるってことは比較的、前方の隊列にいた賊のはず。
張飛と閻柔を通して、私の進言が採用されてたら今頃、黄巾賊を包囲しようとしているはずだ。隊列の後ろにいる黄巾賊が今この場に来れるはずがない。
――――つまり、この賊は、ずっと町の中にいた? そうなってくると、私の推理が当たってる可能性が高くなってきた。
思慮を巡らしていると、黄巾賊は大きい麻袋を見せつけてくる。
「まぁいい、とりあえず
麻袋の中身、張白騎の首だったんだ。
「こいつの命が惜しかったら、武器を全部捨てろ」
黄巾賊は官軍の兵を得物の先で軽く突く。
私は無言で弓矢で構えた。
「て、てめえ! 人でなしか! 俺達でも仲間を見捨てるような真似はしなっ、ぐああああああっ!」
矢で賊の二の腕を射ると、道の上に倒れて、ジタバタと暴れていた。
「時間がないんです。この屋敷にいる理由を教えてください」
私は
「うぐっ、す、すみませんでした」
賊は深々と矢が突き刺さった二の腕を押さえていた。
「いいから早くここにいる理由を教えてください」
「そ、そんなもんたまたまだ。北門から攻めて、上手いこと潜り込んだんだ」
この期に及んで何を言っている。
「……時間が惜しいですが、君の末路を教えてあげましょう」
「な、なに?」
これ以上、矢で射たら、萎縮しすぎて喋れなくなったり、死亡する可能性があるので脅す方向で情報を聞きだすことにした。
「万里の長城は知っていますよね」
「ああ……」
万里の長城――異民族の侵入を防ぐために築かれた防御壁であり、未来では世界遺産にも登録されている。この
「君のような犯罪者は
「はぁ……はぁ……はぁ……!」
息を荒げる賊。腕の怪我と今の話が相まって、心拍数が上がり、激しい動悸を起こしているようだった。
「こんな話を聞かされても、死ぬわけではないと、まだ心のどこかで安心してませんか? さきほども言った通り牢屋は井戸のような場所です。光も当たらず、空気を入れ替えることもできないような場所です。そんなところで病気も怪我もせず、生きることなんてできるのでしょうか? 一年、二年と月日が経つうちに体が弱っていき、劇的に惨めな最期を迎えるでしょうね」
「い、嫌だあ……そんな人生は嫌だ……」
見るからに顔面蒼白だ。
「見逃してくれ」
「では、本当のことを言ってください」
「…………分かった」
ためらいながらも賊は本当のことを言うようだ。一応、相手が嘘をつくかもしれないことを考慮しておこう。
私は、いつから魚陽県にいて、何人潜り込んでいるのか? なにをしようとしていたのか? ということを尋ね、相手の言うことを一言一句、聞き洩らさないようにした。概ね、推理通りで、彼らを内部に手引きしていた人物も予想と一致した。だが、肝心な点が予想と違った。
それから急いで、高家の屋敷へと駆け込んだのであった。
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