第一三八話 一騎当千の猛者再び

 このままでは張角ちょうかくに逃げられてしまう。しかも彼が向かう先には森がある。あの中に入られてしまえば一人では追えなくなる。


 気付くと私は駆け出していた。


「待て! 『黄巾殺し』!」


「足で追いつけるわけないだろ!」


 背後にいる兵士の制止する声を無視した。


 距離さえ詰めれば、矢で狙い撃つことができる。もし私が張角を直接、この手で討つことができれば……誰も私の功績を無視できない。今の年齢に関係なく官職を与えられるはずだ。それも相応の地位に就くことできるかもしれない。


 手柄が欲しい! 千載一遇の機会!


 基本的に深追いは手痛い目に合うが……ここはやると決めた。


「とはいえだ」


 人間の足で牛の速度に追い付けるはずがない。張角は遠ざかっていく。


田豫でんよ!」「田兄でんにい!」


 私は南匈奴みなみきょうど族の兄妹けいまいの声で足を止める。


「なにをそんなに焦っちゃってんだ!」


「前を走る牛の集団の中に張角ちょうかくがいるんです! 追いかけるんですよ! 手柄……この乱を終わらせるために」


 私は呼銀こぎんの声で後ろを振り向いて事の重大さを伝えた。二人とも馬に乗って、私に追いつこうとしていた。


「なんだと⁉」


「今、手柄って聞こえたよ」


 驚く呼銀に耳聡い呼雪こせつ。いやそれより呼雪は乗っている馬とは別にもう一匹馬を連れている。


「じゃあこれに乗って!」


 私の傍にきた呼雪はもう一匹の馬――私の愛馬である『白来はくらい』の手綱を渡す。


「ありがとうございます! はっ!」


 私は気合を入れて馬に乗る。


「『白来』! 少々、無茶をさせます。少しの間だけですが!」


 愛馬は『ブルルッ』と鼻を鳴らす。気合が伝わったようだ。


 愛馬の腹を蹴って全力疾走させる。馬を数分以上、全力疾走させると肺から出血させてしまう。一里半(二〇〇メートル)以上走らせないようにしよう。恐らく一里(四〇〇メートル)は走れるだろうが……万が一の可能性もあるので半分の距離に抑えよう。


 全力疾走の『白来』。


 私は風の強い抵抗を一身に受ける。


 戦場だというのに不思議と風が心地良い。


「この距離ならば矢を放射線状に放てば当たる!」


 私は体を馬の横に向けて弓矢を構える。狙う先は牛に乗っている張角。距離は……〇・三里(一二〇メートル)程度だ。


穿うがて……」


 私は矢を放つ。


 張角の進路を予測した射線は弧を描き、彼に当たる――


「なっ⁉」


 ――はずだった。


 私は口を開けて驚いた。


 森の中から数人の賊が現れると、張角達が乗っている牛は驚き戸惑ったのか足を止めたり、あらぬ方向へと移動したり、そのまま賊と衝突していた。


 しかも、私の放った矢は馬に乗った人物が振るった両刃の斧によって弾かれる。


楊奉ようほう!」


 手綱を持って愛馬の歩を止め、斧を振るった人物の名を呼んだ。


 楊奉は口を開けて私に向かって何かを言っていた。声は届いていないが、


『足を射抜かれた借りを返しにきたぜ』


 とか言っているのだろう。


 彼がいるということは白波賊はくはぞくの一団が現れたということだ。


 張角の軍と連携を取っていたのか? それともたまたまか。


 何にしろ。


「くそっ……」


 張角は森の中に消えていった。完全に見失ってしまったのだ。仕方ない、ここは盧植ろしょくの下に戻るか。広宗こうそう城の戦いは黄巾賊が敗走したという結果に終わったということだ。


「私の方にくるのか!」


 楊奉は私の方へ向かって馬を走らせていた。


 しかも、


「確実に奴を倒すために手段は選ばねえ! いくぞ徐晃じょこう!」


「分かった」


 徐晃を連れて二人で迫ってきた。徐晃は徒歩なので遅れてやってくるだろう。


 正直、徐晃一人でも負けるのにおまけに楊奉がいるなんて。敗北は必須だ。


 私は素直に逃げることにしたが。


「……」


 私は思わず口を真一文字に結ぶ。後方から再び数多の牛が走っていたのだ。


 横方向に逃げるしかない。


『……ッ……ッ』


 しばらく逃げていると愛馬は鼻息を荒くしていた。


 『白来』の速度は落ちていく。


 そのうち二人に追い付かれるのだろう。盧植の下には戻れないが。


 「呼銀、呼雪」


 近づいてくる二人の兄妹の姿が見えた。

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