第一〇五話 兵を率いる立場の人間として

 無終むしゅう県で一晩、大層な歓迎を受けた翌日。


 田疇でんちゅうと彼に従う若者達、そして新たな義勇兵の志願者を加えて約三三〇〇人となった兵を連れ、泉州せんしゅう県に向かって出発していた。


 今回は帰還するための行軍なのでゆっくりと移動していた。


 今、私の目の前では程全ていぜん田疇でんちゅうがいて。


「お前今までどこにいたんだよ、うぃ!」


いたっ、普通に故郷で暮らしてたんだが」


 程全は田疇の肩を叩いて微笑んでいた。彼なりに再会を喜んでいるようだ。


 これで友人らが全員、偶然にも私が率いる義勇兵の一員となったのだ。運命的にも思えるこの出会いに感謝しよう。


「お、ていだ」


 義勇兵の誰かがそんなことを言う。


 亭というのは街道沿いに設置された宿泊施設のことである。


 私は亭を横目に通り過ぎようとすると、


「おお、お待ちを! 待ってくれ‼」


 亭の傍から騎乗している男が飛び出して来た。


「あ! あいつ田豫でんよ泉州せんしゅう県に援軍要請させたやつだよな」


 程全は一人の男を指差す。


 確かにそうだ。私は黄巾賊を迎え撃つときに早馬を一体走らせていた。


 義勇兵達が近づいて来る男の正体に気付くと騒がしくなる、


「お前、泉州に行ったんじゃないのか!」


「あんた、亭で隠れてたんだろ」


「サボりかサボり!」


「俺達は命賭けで戦ってたぞ」


 皆、冗談交じりに野次を飛ばしてた。


「サボってるわけないだろ! 今戻って来たんだよ! 大体お前らな……戦いに勝ったあと随分と無終むしゅう県で歓迎されたそうじゃないか!」


 男は野次に応じて、不満を漏らしていた。


「っと、こんなこと言ってる場合じゃない、田殿でんどの!」


 男は私の下に来る。


 さっきはいつものように仲間と罵り合っていた男だが私の前では神妙な顔をしていた。


「……泉州で何かあったんですね」


「いや! 泉州じゃない! その、広陽こうよう郡が……」


 男は郡の名前を言ったあと言い淀んでいた。


 広陽郡――私の故郷である魚陽ぎょよう県がある魚陽郡の西隣にある郡だ。


 そして幽州ゆうしゅうの中にある郡の中でも広陽郡は特別な存在でもある。何故なら、幽州の中心地――州庁しゅうちょう(州の政務を司る場所)を構える薊県けいけんがあるのだから。


 そんな場所に何かあれば一大事だが。


 男は意を決したように口を開く。


「広陽郡南部にある二県、安次あんじ県と広陽こうよう県が黄巾賊に落とされた」


「――――なっ!」


 私は瞠目し、雑談で騒がしかった周囲は一気に静まり返った。


 そして再び、周囲は騒がしくなるもそれは不安が伝播したからだ。何故なら、広陽郡の南部二県が占拠されたということは広陽郡の五割が占領されたということになる。


「おいおいマジかよ」


「広陽県から北上して川を越えれば薊県があったはずよ」


「あそこが落とされたら幽州の機能が麻痺するぞ」


「まぁ……もう麻痺してるようなもんだけどな」


 誰が言ったか分からないが既に麻痺していることについては否定できない。だが薊県が落とされるようなことがあれば相手は勢いづき、幽州にいる官軍の士気は酷く下がるだろう。黄巾賊に便乗する連中がさらに続出するかもしれない。


「とにかく今は泉州県に戻りましょう、話しはそれからです。ときに劉備りゅうび殿はもしや?」


「あ、そうだ。官軍と共に薊県を救出しにいった」


 泉州に援軍要請の早馬を出しても劉備が率いる義勇軍と官軍がいなくて徒労に終わることは予想していたが……その予想が現実になるほど嫌なことはない。


 それから、なるべく急いで泉州県の県城に戻り、私はその日のうちに県長けんちょうがいる役所の一室へと向かった。


「おお! て、てめえか」


「?」


 以前と違って妙によそよそしい県長に不信感を抱いてしまった。


「どうかしたんですか」


「どうかしたっておめえ……黄巾賊一万人を退けたうえに直接、頭目を直接二人討ったって聞いたが本当なのか?」


 なるほど、私が思いもよらない戦果を挙げているので話すことに気後れしているんだ。


 明らかに下に見られていたから、丁度いいや。


「まあ、そうですね」


 なんでもないかのように私は首を捻って答える。


「へぇ……」


 県長は息を呑んでいた。


 どうだ、凄いだろ。


「っとそうだ、ここに来た用事はなんだ」


「劉備殿の義勇軍と官軍が薊県を救いに行ったと聞きましたが、今の状況はどうなっているのでしょうか」


 先程と打って変わって、私は真剣な目で尋ねた。


「恐らく、もうすでに黄巾賊は薊県に到達しているだろう。二万人を超える兵でな」


「二万!」


 思わず復唱してしまう。


「救援に行ったのは知っての通り義勇軍の劉備だ。官軍の方は魚陽郡の太守、そして魚陽県とこの無終県の県尉けんいがそれぞれ兵を率いて向かっている」


 魚陽郡の太守といえば豪族の押しに弱い雛平すうへいか。それに魚陽県の県尉――師である顔仁がんじんも向かっているというわけか。


「賊が二万以上の大軍を率いているということは……大方だいほう(黄巾賊の役職)がいるということですか」


 黄巾賊の役職である小方が五〇〇〇名から七〇〇〇名の兵を率いるのに対して大方は一万以上の兵を連れている。二一世紀風に言えば、黄巾賊の幹部だ。


「ああ、大方一人と小方しょうほうが一人いるらしい」


 小方もいるのかよ。


「情報をありがとうございます」


「行くのか、薊県に?」


「……恐らくは」


 私はハッキリと行くとは答えれなかった。何故なら私達は一ケ月以上、連戦続きで先日の戦いの疲れが抜けきっていない。皆の顔を見るに疲労の色は濃い。兵を率いる立場の人間として……どうすればいいんだろうか。

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