第一〇〇話 大将旗が二つあった理由

 敗走した敵を追撃しようとした私だが、後方から聞こえる「田兄でんにい!」という言葉で足を止める。


 私を田兄と呼ぶのは一人しかいない。


「いたいたー!」


「やはりせつでしたか」

 

 馬に乗っている呼雪こせつが二匹の馬の手綱を引いてやってきていた。そのうち一頭が私の馬である『白来はくらい』だ。


「これ! あいつら追うんでしょ!」


 呼雪は『白来』の手綱を渡してくれる。


「ありがとうございます!」


 私は手綱を受け取りつつ、馬に飛び乗る。


「どっちの方にいくの?」


「単純に近い方……私は川側に逃げた部隊を追います」


「セツも行く!」


 私は呼雪含む数十人の部隊を連れて川側に逃げた敵部隊を追う。


 すでに多くの仲間が追撃したあとではあるが、川を渡ろうとした敵部隊は反転して、僅かな人数ながらも乱戦に持ち込んでいた。


 最後の意地ってやつか? だが好機! もしかしたら敵が掲げている大将旗の下に張雷公ちょうらいこうがいるかもしれない。


「あれ背水の陣ってやつじゃん」


 並走している呼雪が敵の様子を見て、そんなことを言う。


「よく知っていますね」


「田兄が昔、教えてくれたんだよ」


「そうだっけ」


 全然、覚えてないや。 


 だが、あれは背水の陣でもなんでもない。


「確かに川を背にして戦っていますが背水の陣の効果は発揮しません」


「そーなの?」


「ええ、背水の陣というのはあらかじめ川を背にして戦うからこそ、後に引けなくなって奮起するのです。敗走した軍が川を背にして戦うのは自分自身の首を絞めているだけですよ」


「じゃあ勝ち確じゃん」


 能天気なことをいう呼雪。


「その通りですが、あの中では乱戦が行われていますから、流れ矢に当たって討ち死にしないように気を付けてください」


「セツは遠くから弓で攻撃するから大丈夫。危ないのは田兄の方だって、あの中に突っ込むつもりじゃん」


「まあ……そうですね。気を付けます」


 呼雪にぐうの音も出なかった。


 しかし、ここまで敵を追い詰めたうえに、大将の首が手の届く範囲にあるんだ。私以外の兵も血眼になって敵の大将を討とうとしている。だが、そうはさせん! 手柄はこの田豫直々に貰い受ける!


 黄巾賊は相変わらず一方的に数を減らす。もはや一万いた敵は見る影もなかった。


 川を背にして戦っていた黄巾賊はついに、川の中にまで押されており、足首が水に浸かっていた。


「……いない!」


 敵の大将旗に近づいた私は張雷公の姿を探すも見つからない……つまりここにいるのは――


「――どおりゃあ!」


 敵の大将旗の傍にいて、唯一、馬に乗っていた男が私に飛びかかろうとする。


鉤爪かぎづめ⁉」


 私は男が両手に装備している武器に驚きながら馬から飛び下りて川の中に足を入れる。


 一方、飛んできた男は『白来』を通り越して川の中に突っ込んでいた。


「ぐぬぬ! 避けおって!」


「そりゃ避けますよ」


 私は直刀を抜刀し、飛びかかってきた相手を見据えると、相手は両手に付けた鉤爪を向けてきた。


 風格からしてその辺の黄巾賊じゃない。頭に巻いた黄色の頭巾、頬に十字傷、鉄製の胸当てを袖がないほうの下に着ており、屈強な二の腕をしていた。


「君はもう一人の頭目ですね」


「ほう! よく分かったな! 俺は黄巾賊の小方しょうほう! 張速影ちょうそくえい!」


 私は相手の宣言を聞き、泉州せんしゅう県の県長けんちょうとの会話を思い出す。



『県長殿、差し出がましいかもしれませんが、張雷公は冀州きしゅうに戻ることなく幽州ゆうしゅうに留まり続けています。何か算段がある可能性が高いと思うのですが』


『はは、無い無い。良く考えろ、右北平ゆうほくへい郡に行くには必ず、この魚陽ぎょよう郡を通らなきゃいけないんだ。黄巾賊の大軍が右北平郡に向かった話は反乱が起きてから今のところない……それにだ! この好機を逃すわけにはいかない! 頼むからさっさと討ちに行ってくれ』


 

 黄巾賊が魚陽郡を通過して右北平郡に来たという話はなかった。しかし、張雷公と同じく五〇〇〇人から七〇〇〇人を率いる小方という役職に就いている黄巾賊、張速影が目の前に現れた。


 簡単な話だ。反乱が起きる前から元々、右北平郡に黄巾賊がいたということだ。そして、張雷公が張速影と合流しただけの話だ。


「張速影と張雷公、この二人がいたからこそ大将旗が二つもあったんですね」


「そういうことだ!」


 と、張速影が言い切ると両腕を引きながら突っ込んできた。


 さて、一騎討ちといこうか。

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