第一〇九話 失われていく技術

 義勇兵及び官兵の混成軍と黄巾賊が戦いを繰り広げている中、私は約三〇〇名の騎兵を連れて南にある幅二・五里(一キロ)ある川を越えようとしていた。馬で川を渡るのでなるべく浅瀬の場所を選んで進んでいた。今、通ってるところは川のかさが深くても馬の腕節わんせつ(足の関節部分)が浸かるぐらいだ。


 すでに移動しながら今回の戦術と戦法は皆に伝えてある。なんと言っても今回のかなめは私と南匈奴族二〇〇名の初動に掛かっている。この二〇〇名は両腰に矢筒を二つぶら下げており、背中に弓を背負っていた。


 残りの一〇〇名には私達の得物を持たせて、荷物持ちと化してもらった。


 私達は敵に気付かれることなく川を渡り終える。次いで、川越しに敵の背後へと移動し始めた。


「今日は俺達の腕の見せ所だ!」


 呼銀は同族である南匈奴みなみきょうど族の前で拳を振り上げていた。


 どうやら士気を上げようとしているらしい。


 私は呼銀を後目に前へと進み、前方にある川を眺める。


 あそこを越えれば黄巾賊の背後を突ける。距離は十分とれている。


「なんでわざわざ川を越えたの? もう一度渡らなきゃ駄目じゃん」


 呼雪が私を追いかけて疑問を投げかけてくる。


 少女を一瞥したあと口を開く。


「行動を悟られたくなかったので迂回したんですよ。それと川を渡るのは私達のみです。残りの兵は閻柔えんじゅうらに任せて、ここで待機してもらう……ってさっき私言いませんでしたっけ?」


 今回とる作戦は呼雪にも伝えたはずだが。


「肉食べてて聞いてなかった」


「いや聞けよ」


 思わず口調を崩してしまう。


「えへへ」


 照れくさそうにする呼雪。普段、話していると年相応の少女だが馬に乗ると平気で人を射まくるので末恐ろしい。これも時代のせいか。


 とりあえず簡潔に作戦を説明しよう。


「奇襲が失敗したときのために閻柔には安全な場所で待機してもらうのです。弓のみで攻撃を仕掛けるので万が一追いつかれてしまっては一溜まりもありません。そこで閻柔には敵が迫ってきたときに駆けつけてもらって撤退時の殿しんがりを務めてもらうのです」


 ただ、閻柔は私達の刀剣を持ってくれているので駆けつけてくれる際はそれを捨て置くことになるだろう。命には代えれないが、そんな事態は来て欲しくない。業物でもある水龍刀すいりゅうとうは失くしたくはない。そもそも、あれは玲華れいかから貰ったものなので、捨て置くのは申し訳なさすぎる。


「あれだね!」


「ん?」


 呼雪が元気よく人差し指を立てて口を開く。


「勝てないとみたら、無理に戦わず、すぐに撤退せよってやつでしょ」


「おお」


 私は感嘆してしまった。何故なら呼雪が口走ったのは兵法書に書いてある言葉だからだ。


「もしかして勉強してるんですか?」


「しないよ。でも兵法を田兄でんにいが教えてくれるじゃん」


「……そうでしたっけ。私、うんちく語る人みたいで鬱陶しくないですか?」


「あははは、大丈夫だよ」


 愉快そうに笑う呼雪。


 ちなみに今の言葉は兵法書『孫子そんし』と並ぶ兵法書『呉子ごし』に書いてある言葉だ。また、『孫子』と『呉子』を合わせて『孫呉の書』と呼ばれている。


「おいら達の出番はなさそうだな」


 馬に乗った閻柔がゆっくりと近づく。


「そんなことありませんよ。緒戦は出番がないかもしれませんが相手の数が多いので一度や二度の戦いで済まない可能性があります」


「そりゃ、腕が鳴るなあ!」


「突っ走って死なないで下さいよ」


「そりゃお互い様だ」


 ニヤッと不敵そうに笑う閻柔。自分を攫ってきた異民族と仲良くなったうえにいつの間にか黄巾賊になっていた男なだけあって、どんな状況でも彼は自分のペースを崩さないだろう。求心力もあるし、閻柔は指揮官向きだと再認識した。


「よし……皆さん!」


 私は話を切り上げて皆の注目を集める。


「今から戦術と戦法を再度伝えます!」


 呼雪みたいに話を聞いてない人がいるかもしれないのでもう一度言うことにした。作戦のすり合わせは大事だ。


「――――では、各自行動してください!」


 説明を終えた私は二〇〇名の南匈奴族に混じって前列に立つ。相変わらず前に立ちたくないとは思っているが皆を鼓舞するためだ。


 改めて南匈奴族の面々を見る。義勇兵全体にも言えることだが皆若すぎる。


「どうした?」


 呼銀が声をかけてくる。


「今回の作戦は呼銀らがいてくれるからこそ成り立ちますから本当に助かるな、と思いまして」


「そんなん、今更だろ!」


 それは言えている。


「でも田豫が言ってくれた戦法が出来るのは俺達の代で最後かもしれないな」


 呼銀は哀愁を漂わせる。


「そうかもしれませんね」


 南匈奴族はいずれ、歴史から名を消す。何故なら漢民族と融和してしまうからだ。現に呼銀は漢文化に染まりかけている。国境付近にいる南匈奴族はともかく今ここにいる南匈奴族の次の代には色んな技術を失ってしまうかもしれない。


 次世代に技術を伝える意思があってもその次世代が学ぶ意欲がなければ技術は残らない。


「では、後世の歴史書に文言だけでも残しましょう。私達の強さと技術を、より多くの人間に認識してもらうのです」


「なんだそりゃ」


「何も残らないよりはいいと思いませんか?」


「……確かにそうだな」


 私は呼銀と右拳同士をぶつけ合い、互いの健闘を称え、行動を開始した。

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