第一一〇話 弓騎兵戦術による一撃離脱戦法

 今、黄巾賊二万を超える大軍の背後を奇襲するために川を越えていた。


 相手が敷いている陣は変わらず『方陣ほうじん』(各陣が正方形の陣)だ。しかも手堅いことに大将旗の位置からして、本陣は真ん中に位置しているようだ。つまり、後ろから攻めても敵の指揮官は討ち取れない。


 だが今の目的は敵の指揮官を討つことじゃない。前回みたいに直接討てるなら討ちたいが今回は無謀過ぎるから考えないようにした。


「黄巾賊が見えてきた!」


 横にいる呼銀こぎんは目をギラつかせていた。彼の言う通り、黄巾賊の後陣が視界に入る。


「間合いに入ったら合図します! いつでも弓矢を構えれる準備をして下さい!」


 肩越しに背後にいる騎兵達に向かって叫ぶ。


 今この場にいる約二〇〇名は出立したときと変わらず矢筒を二つ腰からぶら下げており、弓を背負っている。つまり近接戦闘は捨てたというわけだ。


 とにかく、間合いに入ったらすぐに撃つ!


 意気込みながら私達は馬を走らせる。


 周囲に鳴り響く馬の足音、それに黄巾賊の後陣が気付くのにそう時間はかからなかった。


「て、敵襲‼」


 敵の一人が叫ぶ。すると、


 ドォォォオン! と銅鑼が鳴り響く。黄巾賊は迎え撃ってくるようだ。


 敵との距離は〇・七里(三〇〇メートル未満)。少し遠いがどうする。


 撃つか撃たないか、刹那の瞬間に思考を巡らせ、


「ここで止まって撃ちます‼ 構えよおおおおい‼」


 私は目一杯、大声を出す。撃つと決断した。数千の敵は疾走し、こちらは前列と後列に一〇〇人ずついる状態だ。


 私達は矢を弓につがえた。


 すると敵は面食らった顔をする。


「なんだあの構え方は!?」


 それもそうだ、相手からすれば見慣れない構え方をしているからだ。


「これが南匈奴みなみきょうど族の技だぜ!」


 呼銀は意気揚々と叫ぶ。私達は弓に矢を番えるだけではなく引き手(弓を引っ張る手)に複数の矢を持っていたからだ。


 これが騎馬異民族特有の技の一つだ。こうすれば矢継ぎ早に矢を放つことができる。


「放てえええええええええ!」


 私は合図を送りながら矢を山なりに放つ、それも次々と。それに続き南匈奴族達も次々と矢を放った。


 数千人……下手したら五〇〇〇人はいるかもしれない敵の後陣がこちらに向かって来ているのは末恐ろしいが、


「うぐっ!」「ぐぅお!?」「ぐあ!」


 止まることを知らない矢の雨が頭上に降り注いでおり、敵はバタバタと倒れていく。


 すでに私は引き手に持った六本の矢を撃ち尽くし、最初に放った矢と合わせて計七本の矢を撃っていた。仮に二〇〇名が七本ずつ矢を撃ったとすれば、瞬く間に一四〇〇本の矢が敵に降り注いだということだ。


 目前まで迫ってきた相手もいたが、誰も私達に到達することはなかった。


 地上には死体の山と数多の矢が落ちており、地獄絵図のようだった。


「撃ってくる!」


 と、言いながら呼銀は私の方を振り向く。黄巾賊は接近することが困難だと思い、弓矢で応戦しようとしていた。


「退きます!」


 私達は予定通り退却するフリをし始める。


「逃げやがったぞ!」


「追撃しよう!」


「待つんだ! 上の指示を待て!」


 なにやら敵が慌ただしく意見を交わしてるようだ。


 さすがに大方だいほうが率いているだけあって安易な追撃はしないだろう。それに、あまりにも簡単に退却したから無理もない。


 なお、急いで退却しているせいで私達は前列と後列が入り乱れていた。


「釣られて来てくれるかな」


 たまたま私の隣に来た呼雪がそんなことを言う。私達の狙いは敵が追いかけてくるところにある。


「恐らくは、敵の後方部隊は大方が直接指示していません、きっとそれに連なる者が部隊を指揮しています。その者が半端な知識を持ち合わせていれば川に突っ込む私達を見て追いかけてくれるはずです」


 希望的観測ではあるが、根拠はある。元々、彼らは南の冀州きしゅうから北上してきた軍だ。ならば、騎馬民族の技を知らないはず。それに今の矢継ぎ早な攻撃にも面食らっていた。


 初動は上手くいった、さあ、ここからが一撃離脱戦法の真骨頂だ。

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