第一一一話 パルティアンショット
南へと撤退する私達に対して黄巾賊の後陣は付かず離れずの距離で追ってきていた。
未だに追撃するか決めかねているのだろう。
「川が見えてきました! このまま突っ込みます!」
きっと皆は作戦行動を把握していると思うが再確認の意を込めて指示を下した。
私達、騎兵は川へと突入する。
すでにこの川の深さは把握してあるが、やはり馬の機動性は落ちてしまう。さらに隊列は総崩れになり、敵に背を向けている状態だ。このまま背後を突かれれば一溜まりもない。
「川に飛び込むとは笑止千万!」
敵の方から大声が聞こえる。
引き続きその敵は喋る。
「我が名は
まくしたてる大方補佐の劉石。きっと彼が黄巾賊の後陣を指揮する者だろう。
記述はほとんどないが、劉石は黄巾賊として未来の文献に名を残している人物だ。確か、今から八年後に
「へへっ、来やがったぜ!」
姿が見えなくなったが、そんなことを言う
肩越しに後方を確認すると劉石の指示の下、黄巾賊が私達を本格的に追撃しようとしていた。
「釣れたねっ」
隣にいる
「呼銀今です!」
「おう!」
私が叫ぶとどこかにいる呼銀が応じた。
「背面撃ち用意!」
呼銀の言葉で私達は乗っている馬の向きと逆方向に体を向け、敵に弓矢を向ける。引き手(弓を引っ張る手)には先程と同様、複数の矢を持ったままだ。
「ぬっ⁉」
「なんだありゃ!」
瞠目する黄巾賊。やはり、この射法には疎いらしい。
「放ちやがれえ!」
呼銀の合図で私達は退却しながらも後ろ向きに矢を放ち続けた。
敵からすればありえない体勢からの騎射、予想できない攻撃だった。
「またかよおおおお!」「う、うあああああ!?」
黄巾賊は再び目にする数多の矢に
「ほ、ほげえええええぇ」
さっきまで勇猛さを見せていた劉石だったが腰を抜かして尻餅をついていた。
周囲から聞こえるパァンという矢を放つ音。
空を覆う数多の矢は吸い込まれるように黄巾賊を射抜く。
そして、あっとう間に、また私は引き手に持っていた六本の矢を撃ち尽くしていた。
「た、たた! 退却! 退却!」
劉石は矢で射ぬかれた黄巾賊の死体の中から這い出て、逃げようとしていた。
敵全体が後方へと下がろうとしている間に、私達は迂回しながら川から這い出て敵に接近する。
私達は再び引き手に矢を数本構え、逃げ惑う敵に対して矢を連射したのだ。
「おまっ、どけ!」
「お前こそどけよ!」
劉石は仲間を率いて後退していたが、彼の後ろにいた軍は川へと進軍しようとしていたので黄巾賊同士ぶつかり合って、喧嘩していた。劉石が前に出てきてしまったことで後方までに突然の退却命令が行き届いてないのだ。もはや、混乱状態である。
「だ、大方補佐殿ーーーー!」
敵の方から叫ぶ声が聞こえた。すると、ぶつかり合っていた黄巾賊は一瞬、静止する。
「あ……」
横にいる
「
私は思案顔で少女の様子を窺う。
「セツが撃った矢、たまたま劉石って人に当たった」
抑揚のない口調で朗報を伝えてくれた。いつも元気な呼雪が淡々と語ってるあたり本当にたまたま当たったのだろう。
というかよく見えたな。やはり、騎馬異民族というのは視力が良いのかもしれない。
「「「うああああああああああ!」」」
黄巾賊の後陣は一斉に逃げ出す。後陣は完全に麻痺していた。
「攻撃を止めてください!」
私は矢を放つのを止めるよう味方に伝える。
「田豫! 追撃はしないのか!?」
馬を走らせてくる呼銀。
「このままでいいです。追いかけて本陣と合流されてしまえば手痛い目に合います、今は川を渡って
敵は大軍が故に指揮官が判断を誤れば混乱に陥りやすい。この戦いを反面教師にして私も気を付けようと思う。
負傷者はいるものの初戦は死人を出さずに制することができた。
これが騎馬異民族による一撃離脱戦法の真骨頂――別名、パルティアンショットだ。
パルティアンショットは紀元前に中東地域を支配したパルティア王国が用いた一撃離脱戦法を指しており、戦いの前線に出てから後ろ向きに矢を放って後退することを繰り返す戦闘方法だ。今回は繰り返し背面撃ちを行っていないが、敵の戦力を大幅に削ることができたので、これ以上は望まない。引き際はここだと思った。
後はどうなるか分からないが臨機応変に対応していこう。
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